9d-6



女とのことを振り払うように、啓介は牛丼屋で特盛を掻きこんで帰宅した。8時前だった。
ガレージには見慣れロードスターがあり、史浩がボンネットに腰掛けていた。
「ちょっと早いけど待たせてもらってるぞ、啓介」
「……あ、うん」
優しい言い方だった。しかし、どこかいつもとは少し違う。
「飯は?」
「吉牛で食ってきた……」
「そうか。涼介はちょっとショップに寄るから、時間ぎりぎりだと思う」
「ショップ?」
「車の」
「ああ……」
史浩と涼介は何かというと市内にあるカーショップに行って車を見てもらっていた。
そんなに弄って、一体何が違うんだ、と車を知らない啓介は思う。啓介もバイクを少しは弄ったりもするが、走る山によってタイヤを付け替えたりする涼介のまめさには流石に驚きを隠せない。
「今日は学校行ったか、啓介」
「うん、行った」
「そっか」
史浩が笑った。
(退学、しないといけないんだよな……オレ)
学校、という響きに啓介はきまり悪くなった。退学のことを、史浩はもう知っているだろうか。知らなくても時間の問題だろう。
啓介は史浩のその笑顔を直視できなくて、思わず目を反らせた。
(オレ、変だ。絶対変だ……)
史浩の顔を見ると、啓介は何故だか恥ずかしくてたまらなかった。
「啓介、どうした?」
「……別に」
「久しぶりに学校で勉強して、頭使いすぎたか?」
はは、と史浩が笑う。
啓介は頷き、何も知らないくせに、と唇を噛んだ。やがて聞きなれたエキゾースト――ロータリーサウンドが遠くから聞こえてきた。
「……涼介がやっと帰ってきたか」
時刻は8時10分。白いFCがガレージに滑り込んできた。
すぐに出るつもりなのか、アイドリングのまま涼介はいったん車から降りた。
「済まないな、ついでに今度のジムカーナの申し込みをしてたんだ」
「出るのか、涼介」
「史浩お前もだぞ? 表彰台の一位二位に並ぶんだからな」
「えぇ? 勘弁してくれよォ……オレ実習と重なってるかも」
「大丈夫だ、教育学部の奴に確認したが重なってない」
「……流石手回しが早いな」
何の話だか、啓介には皆目見当がつかないが、話の流れからどうやら車で走る大会だろう。
「啓介、それ寄越せ」
「え、あ……うん」
啓介のぺたんこのバッグを受け取り、自分の鞄とともに涼介は家に置きに戻った。
アイドリングしっぱなしのFCの傍に寄り、史浩はタイヤに触れた。
「タイヤは三山、セッティングもダウンヒルのバトル用……完璧だな」
「……?」
史浩の言っている言葉がの意味が分からず、啓介は首をかしげた。
(何言ってんだろ……)
やがて、涼介が着替えて出てきた。
「史浩、あれは?」
「言ってあるよ。皆快く了解してくれたよ」
今日の企みの為に、史浩は赤城をホームとするほかのチームには「赤城を使うから、一時間ほどコースを開けてくれ」と連絡を済ませていた。
“赤城の峠が今以上に面白くなる走り屋を引き込めるかもしれないから”というおまけを付けたことは、涼介には内緒だった。その、史浩がつけたおまけに、他チームが食いついたのは言うまでもない。
「さあ行くぞ。啓介、オレの隣に座れ」
「……え、」
涼介の命じに、啓介は気が進まなかった。涼介の隣に座れば、お小言のワンセットが現地に着くまでに延々と繰り広げられるのが目に見えていた。
「オレの隣だ、啓介」
返事を濁す啓介に、涼介がきつく重ねる。
「アニキの? ……オ、オレ、史浩の車に乗る!」
「だめだ啓介、涼介の隣に座れ」
「……えぇ……」
いつもなら啓介の味方をする史浩が珍しく涼介の味方をした。
渋々、啓介は涼介のFCのナビシートに座った。涼介の車も史浩の車も、バケットシートというらしい、普通の車のシートとは違う形の座席にされていて、四点式ベルトだ。シートは倒せないし窮屈きわまりない代物だ。
先に史浩のロードスターが出、涼介のFCが続いた。
「――で、何処行くんだ……? アニキ……」
最初の信号で停車した時、啓介が恐る恐る訊ねた。
「着けば分かる。それより、これ」
涼介が何かを投げて寄越した。それは啓介の膝の上に落ちた。
「何これ」
「見たままだ。タオルだ」
俗に言うハンドタオルだ。
「……なんか意味あるわけ?」
「噛んでろ」
「?」
行き先を訪ねると、赤城山と言われた。


赤城までは史浩のロードスターが先を走り、涼介のFCが後を追った。
車中で涼介は終始無言で、啓介はそれを不思議に思った。
(アニキ……いつもなら絶対何か言うのに……変だ)
いつもと何か違うということは分かっていた。
最初、啓介は二人が高橋クリニックに啓介を連れて行くものだと思っていた。しかしこの方向はそうではない。逆方向だ。
(なんかあるんだ……これから……オレが想像してないことが……)
息を呑むと、啓介は真剣な眼差しでステアを握る涼介を見た。
(アニキ……)



一方、先行する史浩は、父親にこの話を持ちかけた際に言われたことを思い出していた。
『啓介君を更生させるのは、容易なことでないぞ』と――。


『不良の世界は、真面目な道から反れたことがないお前や涼介君からは分からないことだらけだ。不良から足を抜けさせると簡単に言うが、実際には難しいことなんだ』
『……オレが思っていることは甘いって言うのか?』
『そうだ。ただ悪ぶっているガキがつるんでいるだけじゃない筈だ。簡単には足を抜けさせては貰えないだろう。走り屋になる為にはそれが最大の難関と言っていい』
父親に断言されたことに史浩は一抹の不安を覚えたが、難関と言われてもそれを乗り越えなければ史浩の更生はあり得ないのだ。
(難しいことくらい百も承知さ――)
アクセルを踏み込むと、ルームミラーで後ろを着いてくるFCを確認した。


「あ……赤城……」
着いたのは赤城山だった。
「え、なんで赤城なんか……」
史浩の車がハザードをつけて脇に停車し、その脇をFCがすり抜けた。
「アニキ、史浩が……」
「いいんだ」
振り返る啓介を気にする様子もなく、涼介はいきなりアクセルをぐんと踏み込んだ。
「……アニキ?」
「上までいったらUターンする。そしたらタオルを噛んでいろ。ラバー持ってろ」
派手な音を立て、FCが赤城山の坂道を一気に駆け上った。



そして。

「さぁ行くぞ……赤城の白い彗星の、全開ダウンヒルだ」



啓介を乗せた涼介のFCが赤城の山に信じられない速さで軌跡を描いた。






next