青春の終わり

六畳と台所が三畳、トイレと風呂は共同。
家賃は相場よりははるかに安い。
ただし隣が工場で、昼の間は騒音と振動と多少の化学臭……と、条件的には良いとは言えない。
それでも、カネはクルマに全てつぎ込み、レーサーとしても駆け出しで金欠の文太には、此処はこの上ないアパートだった。
騒音と振動のおかげで、仲間を連れ込んで騒いだって文句は言われない。
工場の敷地と続いていて、区切りがはっきりしない駐車場では車を弄り放題、タイヤも置き放題、ドリフトの練習も出来た。
だった、という表現をしたのは、もうすぐここを離れることになるからだ。
少ししかない荷物はダンボールに詰め込んで部屋の隅に積み上げた。
後は当日を待つだけだ。
指折り数える、一人暮らしの終わり。
この家を引き払い、渋川にある実家に戻り、父親の後を継いで豆腐屋になることが決まっている。
それは所謂、青春の終わりと形容してもいいものでもあった。


窓を開けなくとも、隣の工場からは金属を削るような音や、機械音が聞こえてくる。
大の字になって仰向けで寝ていても畳が振動している。
この騒がしい一人暮らしも、もうすぐ終わりだ。
(案外あっけなかったな……)
帰って来い、頼むから帰ってきてくれないかと、電話越しに久しぶりに聞いた母親の声は、記憶よりもだいぶ弱弱しいものだった。
『どうかしたのかよ、お袋』
『実はね文太。……お父さん、あまり長くないかもしれないのよ……』
頑固者の父親が病気に罹り、どうやら命の期限を切られるかもしれないという。
今はまだ店を切り 回しているが、それも何時までかはわからない。店を休む日も増えたという。
だから早く家に帰ってきて、後を継いで欲しいと……母親からの切なる頼みは、若い、まだ遊びたい盛りの文太の気持ちを動かした。
レースの世界に入り、やっと起動に乗り始めてきたところではあったが、夢は諦めて現実を見ることにした。

壁につるしたレーシングスーツに目をやる。
もう袖を通すことも無いだろう。
荷物に入れてもいいはずのそれをまだ吊るしているのは、諦めの悪さ、いや、よく言えば矜持かもしれない。

階段を上がる音がする。鉄製の階段の音。それも、二人分。
「よお、文太、まだいるよな!」
「来てやったぞー」
インターホンもノックも無しに入ってくるのは、気心の知れた政志と祐一の二人だ。
「おう、来たのか」
よっこ らせ、と身体を起こす。祐一が持ってきたスーパーの袋を、ささくれた畳の上に置いた。
「ずいぶん片付いたなぁ」
政志がつみ上がったダンボールを撫でた。
「思ったより荷物ねぇな」
祐一は袋の中身の、菓子パンやジュース缶を畳の上に広げながら言った。
「パーツの類が多かったからな。全部後輩連中に配ったんだよ」
少し寂しそうに、文太は笑った。
「昼飯まだだろ? たいしたもん売ってなかったけどちょっと買ってきたんだ、食おうぜ」
「ああ、悪いな」
「水臭ぇな。こんなたいしたもんじゃない飯も、もう終わりだろ」
「ははっ……確かにな」
笑いながら、祐一の差し出したアンパンを受け取った。
たいしたことの無い食事で済ませられるのは一人暮らしの特権かもしれない。
家に帰れば、母親の作る食事と、店の残り物で三度三度の食事はきちんとすることだろう。

青春の終わりは、文太一人のものではなかった。

祐一は父親が経営するガソリンスタンドを継がないかという話が出ていて、勤めていた本屋を辞めて目下店長見習いの最中で、その上お見合いの話が出ていた。
高校の頃のひとつ下の子だというが、文太や政志の記憶にはない、地味な子らしい。
実家が自動車整備工場の政志は、修行と称して働いていた親戚の自動車整備工場を来月の末には辞めることになった。
もういいだろう、年季は明けたとあちらからお墨付きが出たらしい。
実家の工場に戻れば、本格的な二代目修行が待っている。今は峠でチームを率いているけれど、それも出来なくなるだろう。
付き合っている彼女の親からは、跡を継ぐめどが立ったならそろそろ結婚を、とせっつか れている。

「祐一、お前どーすンだよあのクルマ」
文太はコーラを一気に煽り、祐一のクルマのことを訊いた。
祐一が本屋勤めの傍ら、給料を注ぎ込んで手を掛けて仕上げたクルマだが、お見合いをするとなるとあの車は走り屋仕様過ぎて、少しまずいだろう。
「ああ。オレはアレまだ乗るつもりだよ。でも何時までかはわかんないなぁ……」祐一の表情が、少し曇った。
「お見合いの時はどーすんだ」
「そりゃオヤジの借りるさ。文太は?」
「オレか? ……残念だけど、多分手放すな……」

下の駐車場に停めてある文太の愛車は、次のオーナーが決まったところだ。
峠の後輩だ。
「一番大事にしてくれそうなやつを選んだつもりだよ。あのクルマじゃ豆腐の配達は出来ねえからな」
苦笑すると、二人も「確かに」と同意してくれた。

青春にはいつかは終わりが来るだろう、そんなことは百も承知だったけれど、終わりはそれぞれに突然、あっけなく訪れた。
そしてその先には、重たい現実が待っていた。
未練が無いかといわれれば嘘になるけれど、じゃあずっと遊んでいたかったかといわれると素直に首を縦にも振れない。
いつか終わりが来る、だから楽しもう、そう思って青春をぶつけてきたからだ。
遊びながら、青春を謳歌しながらも、未来のことはそれなりに考えていたつもりだ。
三人とも、それは同じだった。

「ま、しんみりするのは止めようや」
「そうだな」
「案ずるより何とかっていうしな……そのうち、嫁さんとガキの話で盛り上がるようになるんだろうぜ、オレらも」
笑いながら、文太はコーラを飲み干した。
喉の奥で、炭酸がひりついたのは気のせいだろうか。
青春が終わるのは自分だけではない、その事実は、文太の気持ちを少しだけ軽いものにしてくれた。
政志も、祐一も同じだ。
戦友のようなものだ、と思った。
「豆腐屋継いで落ち着いて、いいクルマがあったらまた教えてくれるか、政志」
「ああ、勿論だよ。配達にも使えて、ちょっと走れるスポーツタイプのいいのが出たら、真っ先に教えるぜ」
「その前に、ウチにガソリン入れに来いよな、文太」
「分かってらぁ」
空元気、その言葉の通りに笑いあった。
目の前で消えそうな蝋燭の灯火のような、青春。

じゃあ、アレももう終わりだな、と言ったのは、政志だった。
そういうことになるよな、と頬を染めて俯いたのは祐一。
ヤり納めも近いな、と真っ先にシャツを脱いだのは文太。
若さの余り三人で、しかも同性同士でぶつけ合った性欲は、これからはしかるべき相手にだけ向けることになるのだろう。
隣の工場からの騒音と振動は、こんな時にもありがたかった。

他に尋ねてくる人間のあては無い、工場のおかげでセールスマンも来ない。
それでも一応玄関には鍵をして、カーテンも閉めた。
煎餅布団を敷いたら、誰からとも無く手を伸ばしてきて、それが合図のようなものだった。
普段は気の合う幼馴染三人だけれど、裸になれば、夫々の身体を求め合った。
歪んだ関係と言えるほど入れ込んではいないつもりだけれど、いつだったか政志が、
「この先みんなそれぞれ女と結婚するんだろうけど、セックスの相性は今が一番だよな」と笑っていたけれど、あながち間違いではないだろう。
よく知った同性の身体だからこそのいろはは、レースの後、峠で高ぶった後に、よくぶつけ合ったものだ。
終わりかけた青春の最後には少々不恰好だけれど、今日もまた。


「ちょっ、そんなの無しっ……」
怯えた顔で腰を引こうとする祐一の脚を、文太が「うるせえ、じっとしてろ」と引き寄せた。
「こっち、口がお留守だぜ」
さっきまで咥えていた政志のペニスを祐一が手放したものだから、ほら、と政志は祐一の口に捻じ込んだ。
「コレ使うのも最後だろーな」
薄く笑みを浮かべ、文太は細めのディルドと自分のペニスの二本をいっぺんに祐一に押し込んだ。
「ッ、うぁっ…」
いつもなら単品で責めにつかうものを二つ同時に。
狭い祐一の孔はきつそうに皺を広げ、二本を咥え込みながらも拒んでいた。
「無理っ、文太っ、」
「んなこたねぇだろッ…もうあんまりヤる機会もねえんだしよ、我慢しろッ」
ずん、と腰を一気に推し進めると、ディルドと共に深く祐一に埋まる。
「ッはあああっ…」
祐一がのけぞった。
「その顔エロいぜ、祐一ッ」
その祐一の口に、再度自分のものを押し込むと、政志はぷっくりと膨れた祐一の乳首を摘まんだ。
入れられるのは祐一が殆どで、文太と政志の二人がかりで祐一を抱くのが常だった。
それももうすぐ、終わる。
もしかしたら今日が最後かもしれない。
そう思うと、いつもより深く、求め合った。

祐一の口に二回出して、先に畳に寝転がっていびきをかきはじめた政志をよそに、二人はなおも繋がった。
どれだけ喘いだって騒いだって、隣の工場の音がすべてかき消してくれる。
「文太っ、文太っ…」
「んだよ、祐一ッ」
祐一の締め付けがきつくなってきたことに限界を感じ、文太は珍しく、祐一にキスをした。
「こっから、先も……友達ではいてくれるよな……?」
こんなことをもうしなくなっても、と付け加えて、祐一が訊いた。
「ったりめぇだよ……」
薄く笑い、文太は「それはこっちのセリフだ」と返した。
青春はゆっくりと終わろうとしていた。
自由気ままにクルマを走らせることも、こんな風に男同士でセックスをすることはなくなるだろう。
それでも、三人のつながりは途切れることはない。

仲の良い友人として。

あ、あ、と泣きそうな声を上げ、祐一が達した。
続いて文太も達し、抱き合ったままで布団に崩れ落ちた。

隣の工場からはまだ騒音と振動が。

とっくに終業時間になっているのに、残業だろうか。
自分たちの青春は終わるのにな、と文太はぼんやりと頭の隅で考えながら……襲ってきた眠気に逆らうことなく、短い眠りに落ちた。


(終わり)

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