リフレイン

高橋兄弟。
赤城最速を自称するロータリー乗りの兄弟の苗字を最初に耳にした時から、なんとなくそんな気はしていた。
ロータリーエンジンを選ぶセンス。
涼介に啓介という名前の付け方。
チームを大々的に展開する、ともすればビッグマウスと取られかねないやり口。
だから彼らが高崎に住んでいておまけに実家が病院だと聞いた時、文太は確信した。


ああ、あいつの息子たちだ、と。

もやもやしていたものが晴れたとたん、秘めていた筈の気持ちの蓋が開いた。
偶然ではないだろう。
あれからたっぷり二十五年は経っている。
それまでまったく接点は無かったのに、また息子たちが接点を持ち始めている。


だから―― 手紙を書いた。
電話帳で調べた高橋クリニック宛に。

二十五年ぶりに、会いたい、と。

手紙をポストに投函してから、丸一週間後。
文太は赤城の神社の駐車場で人を待っていた。
約束をしたわけではない。ただこちらから、日時を指定して会いたいという手紙を出しただけだ。
あちらは忙しい大病院の院長先生で、文太のような暇な豆腐屋とは訳が違う。
会ってくれない可能性のほうが大きかったが、小さな賭けに出た。

回りくどいことはこの上ない。
件の、あちらの病院に患者として行けばいいのだろうが、それは違う気がした。
だから手紙を書いた。
ハチロクのボンネットに腰をかけて煙草を一本銜えて火をつける。
初春の昼過ぎは、ひどく冷え込んでいた。
空気は冷たさを伴って下に下に降りようとしてい、背中から首筋が冷たく感じられた。
(二十五年か……)
拓海に見せられたクルマの雑誌に、高橋兄弟が載っていた。
笑えるほど顔が似ていた。
若い頃のあの男に瓜二つだ。
兄のほうが特によく似ているように思えたのは髪型のせいだろうか。血というのはすごいものだと思い知らされた。

平地の上り口から薄もやがかかっていたが、はるか向こうにライトが見えた。
重厚な藍色のベンツがこちらに向かってくるのが見え、文太は口の端を僅かに上げた。
賭けには勝ったようだ。
(さすがは大病院の先生様だな)
思ったとおりそのベンツは独特の排気音と共に駐車場に滑り込み、文太の前に斜めに停まった。
よく手入れされた、藍色のベンツ。
アイドリングをしたまま、運転席から出てきたのは、思った通りの男だった。
「よぉ。久しぶりだな、晋介」
「呼び出しが急すぎるよ、文太」
「悪ぃな。平日のこんな時間に」
「はは……」
髪に白いものが混じり、メガネをかけてはいたけれど、あの頃のまま少しだけ齢を取った――それだけのように見えた。
上等そうな三つ揃えのスーツに年の割りに高い身長に……記憶のままの、昔の恋人がそこにいた。
「変わらねぇな、晋介」
「文太もな……」
目を細めて微笑むと、文太より十も年上の晋介――高橋兄弟の父親である高橋晋介は、文太の隣、ハチロクのボンネットに断ることなく座った。
「息子たちから話を聞いたときから、もしかしてって思ってたんだよ。藤原拓海って子は文太のと ころの子じゃないかって」
「こっちもだ。晋介ンとこの息子じゃないかとうすうす気づいてたぜ。あんな派手なやり方、」
「褒められてないね、それ」
「当たり前だろ」
「そうだ、一度だけ文太の息子さん、うちに来たことがあってね」
振り返った晋介からは、医者らしく消毒液のにおいがした。
「へぇ。拓海が」
「ああ。啓介が……下の息子が連れてきたんだ。文太と顔が似てたから、ああ、これはって思ったよ。話を聞く前に確信した」
「そうかぁ? オレぁあんまり似てねえと思ってんだけどな」
「いや、似てるよ。よく似てる……」
晋介は目を閉じてくすっと笑った。

お互い、それぞれの配偶者……文太の場合は逃げられてしまったが……には、隠してあった昔話がある。

二十五年前。
文太と晋介の二人は同棲していた。

峠で知り合った駆け出しのラリー屋と新米の勤務医。
正確に言えば、晋介が文太を養っていた、ヒモのような関係ではあった。
男同士でのそういう関係に理解などあるわけもなく、対外的にはルームメイトを装っていた。
年齢も職業もちぐはぐな二人の生活は、深く愛し合ったけれど決して長くは続かなかった――晋介が大阪の病院に転勤して、解消された。
関係はそのまま、フェードアウト。
交し合った連絡先に電話の一本もないままに二十五年が過ぎた。
若い勤務医は実家の大病院を継いで院長先生に。
駆け出しのラリー屋は廃業してやはり実家を継ぎ、温泉街にある古くて小さな豆腐屋の店主になった。

そして父親たちの そんな過去は知らないはずの息子たちが、また峠で知り合って。
父親譲りのドラテクを駆使し鎬を削っている。
何とも不思議なことだ。
「じゃあ大阪で見合いしてそのまま結婚したのか」
「そう、断れないお見合いでね。文太は、ラリー辞めたんだね」
「まあ、いろいろあってな。……それにしても大病院の先生はいい車に乗ってんな」
晋介が乗ってきたベンツを煙草の先で指し、文太が言った。
「いやぁ、あんまり乗りたくなかったんだよ、ベンツはね……でも体裁とかお付き合いとかいろいろあってね。
ホントはオレだって息子たちが乗ってるようなやつをブン回したいんだよ」
ステアを切る仕草で晋介は不満を顔に出した。
「あの涼介のFCなんか、オレが見つけてセカンドカーで乗り回すつもりだったのに、アイツがさも自分が選んだみたいな顔をして乗ってるんだぜ? 理不尽極まりないよ」
「はっ、ガキなんてそんなもんだろ……う ちの息子の拓海だって、何が秋名のハチロクだァ。ハチロク選んで買ったのはこのオレだっつーの……」
銜えていた煙草を携帯灰皿に押し付けると、「まだタバコ吸ってんのか。もう身体に悪いよ」と、晋介はあの頃と同じせりふを口にした。

「オレは文太が羨ましいよ」
「何が羨ましいだ、ちっせえ豆腐屋だぜ」
「だって好きな車に乗ってるし、なんていうか……昔も今も、”らしい”よな」
「そうか?」
「ああ。文太らしいクルマだよ。このハチロク」
晋介は座っているハチロクのボンネットを撫でた。
「文太らしくていいと思う」
撫でながら微笑む晋介の顔はとても優しいものだった。
だから、――文太の手は、自然と伸び、晋介の顎を捕らえた。
「文太、」
「悪いか?  嫌か、晋介」
「いや……逆だよ」
晋介の手も伸びた。文太の肩に置かれた。
「そのつもりだったよ」
晋介が目を閉じたのと、文太の唇が重なってきたのは、ほとんど同時だった。


二十五年前はお互いアタマの中は子供だったし、若かった。
同棲した期間はよく喧嘩もしたし、同棲を解消した最後の辺りはフェードアウトだったのに。
今になってまた会って、何のわだかまりも無くすんなりとまた話をして手を伸ばしあえるのは、大人になった証拠だろう。
お互い悪かったと、許しあえるからだろう。


乗るか、と文太が誘った。
晋介は年甲斐もなく頬を赤くして無言で頷き、文太と共にハチロクに乗り込んだ。
ハチロクは薄もやの中を走り出した。


山道を少し 下って、平日のこんな時間でも営業している、わざとらしい色のネオンのホテルにハチロクは滑り込んだ。
「まだやってんだな、ここ」
「……そう、だな」
昔もあったホテルで、建物の雰囲気こそ多少違うもののまだ現役のようだ。

部屋に入ると、途端にタイムスリップした――互いの気持ちが、だ。
二十五年がたって、やんちゃだった駆け出しのレーサーもいい年の豆腐屋のオヤジになった。
新米で白衣に着られている様だと揶揄されていた医者も、今は大学生の子供を二人も持つ大病院の院長になって。
服と共に肩書きなど脱ぎ捨ててしまえと、文太が言った。だから昔に戻れた。
それなりに年を重ねて、それなりの衰えに差し掛かったお互いの身体を晒し合って、興奮よりも先に笑いがこみ上げてきたのはご愛嬌だ。
「かみさんとちゃんとやってんのかよ、晋介」
「お互い仕事が忙しいからそれどころじゃないよ……そういう文太こそ逃げられたんだって?」
「うるせーよ」
「まったく、昔っからアンタはワガママで独善的なところがあるから……」
「説教すんじゃねえよ、セックスの最中に」
昔よくそうしていたように、晋介が文太に説教をした。
面倒くさそうに顔を背ける文太も、昔のままで。


「ご無沙汰とか言いながら結構遊んでたんじゃないのか文太……すごく硬い……」
白いものの混じった伸びかけた髪を乱しながら勃起した文太自身を、それこそ二十五年ぶりに銜える晋介は酒も入っていないのに顔を真っ赤にしていた。
「お前より十は若いんだ よ、硬いのは当たり前だ……」
五十を過ぎてはいるが、晋介の身体は引きしまっている。あちこちに齢を感じさせる部分はあるけれど、若い部類だ。
ベッドに腰掛けた文太の足元にひざまずいて懸命に奉仕する晋介の髪を優しく撫でてやりながら、文太は細い目をさらに細めた。
「相変わらず上手じゃねえか……お前こそどっかで遊んでたのかよ」
「そんなこと……オレは男は文太しか、」
唾液にまみれた口元をぬぐいながら、こんな年になってもうお互い結婚までしたのに、まだ操を立てようとする晋介に、文太の胸はなぜだか きつく締め付けられる思いがした。
「知らないから……」
そう言い、また銜えた。
喉の奥まで深く銜え吸い上げ、必死になっている姿が昔と重なった。


延長を一時間、フロントに電話をして、その後に風呂場で繋がった。
あの頃住んでいたアパートは風呂も無かったから、こんなラブホテルの風呂場でするのはたまの楽しみだった。
「じっとしてろよ、久々すぎて裂けちまうぞ晋介」
「っ、ローション、もっと……っ、」
備え付けのローションをたっぷりと垂らし、冷たい壁に頬を押し当て腰を突き出した晋介の双丘を開き、怯える孔へと文太が自身をあてがった。
「あんまりほぐれてねえけど……っ」
「あ、あっ、痛っ……」
鈍い痛みが晋介を覆う。、遅れてやってくるのは、忘れかけていた、其処を責められる快感。
萎えかけていた晋介自身がゆっくりと頭を擡げる。
「痛いか?」
「……少し……でも……平気、だ、」
ずっと男を受け入れていなかったから無理も無い、それでも快感が蘇れば、痛みは薄れていく。タイルの壁を掻く指先が白くなる。
「文太、大丈夫だから、もっと……奥、」
「いいのか、晋介」
「……いい、」
そんな風に言われ、細めの腰を抱き、文太が、ぐっと奥へと侵入した。晋介がのけぞって喘いだ。
「ッ、あ、はぁぁぁっ…」
「なぁ、晋介、」
「なんだよっ、」
「オレらのガキ同士がこんなことやってたらどうする…」
文太の手が、頭を擡げてきた晋介自身を握りこむ。
「それは、困るよ……ウチのは二人とものめりこむタイプだから……」
「だな……ウチのも後先考えずに突っ込んじまうやつだからな、こんなこと覚えちまったら困る」
二人して笑いあった。


「やっ、文太っ、あんまり動かないで……」
文太の律動が次第に激しくなりかけ、晋介がかぶりを振った。
晋介の中はきつく文太を銜え、締め付けて、久しぶりの侵入に甘い蜜を垂らしかけている。
「何でだよ、お前ん中、締め付け凄いぜ、」
「だって、耐えられないっ……あ、ああっ…!」
襲ってくる快楽の波に抗えず、晋介は文太に貫かれ、さらに自身を扱かれながら、若い頃よりは少ない量の精子を吐き出した。
白濁が塗れたタイルの壁を汚す。
「なんだよ、イけんじゃねえか」
「久しぶりすぎて、コントロールが……っ、ダメだって、文太、」
残滓を扱き出そうとさらに扱く文太に、二度目の射精がすぐに来た。
「いや、あっ、出るっ……」

背筋を駆け上がる電流のような快楽に、晋介の意識が薄らいでいく。
「中で出すぜ、晋介」
文太が耳元でささやく。頷くと、体の奥で熱いものが弾けるのを感じた。

仕舞いをつけてお互い着てきた服を再び身に纏えば、現実が待っている。
院長と豆腐屋に、戻る。
「これから医師会の食事会なんだ。もっと居たいんだけど……」
「こっちも明日の仕込があるんだ。ま、なかなかそううまくはいかねえよ」
部屋の入り口の精算機に晋介がゴールドカードを通した。文太が慌てて財布を開けようとすると、
「今日はいいよ」と晋介が止めた。
「あ?」
「次は文太におごってもらうから」
そう言って笑うと、文太より背の高いかつての恋人は、文太の頬に軽くキスをした。
「会えて嬉しいよ、文太」
「……ああ、」
「また会ってくれるだろ?」
「そりゃあ、まあ」
「じゃあ、そういうことだよな」
文太の手を握ってきた晋介に、文太はふっと笑って、握り返した。
「晋介。コレって立派な不倫だぜ」
「そうだね……ばれたらどうしようかな?」
「どうしようかじゃねえよ……」
「また、連絡してくれよ。これ……」
「ああ、」
晋介が名刺入れから一枚、出して文太に差し出した。
ご立派にも医学博士の称号がついている。
「待ってるから、連絡……」
そういってはにかむ顔は、五十を過ぎているというのに、とても可愛く思えた。
「そうだな、またすぐ連絡する」
大事そうに煙草の箱に仕舞うと、文太も晋介にキスをした。
フェードアウトしたあの頃を取り戻すように。

(終わり)


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