「今日はお父さんがタバコを15本吸ったら、帰ります」
昼前に藤原豆腐店を訪れた涼介は、開口一番よくわからない宣言をした。
どうやら大学で実験の為に二晩徹夜した勢いで来たらしく、テンションがどうもおかしいのはそのせいらしい。涼介が手にしていた紙袋にはくしゃくしゃになった白衣が無造作に入っていた。細切れの仮眠すらとれなかったといい、どうもふらふらしている。汗臭かったし、何よりとても眠そうだった。
高崎の自分の家に帰りやがれ、と文太は言いたかったが、こんな涼介を今から帰すのも危ない気がして、渋々家に上げることにした。
店番をさせるにも不衛生だし、どうせ暇な時間帯だ。居間ではなく文太の寝室で一緒に過ごすことにした。涼介が寝てしまうだろうと思ったからだ。
お触りは禁止だぞ、と予め釘を刺し、四畳半の文太の寝室に涼介と入った。何度か涼介を抱いた部屋だ。


予想通り三十分もしないうちに、涼介は睡魔に負けてしまった。



一緒に過ごすといっても、話をしたり体に触れ合ったりするわけではない。
文太は胡坐をかいて新聞を広げ、涼介は丁寧に膝を折って正座をし、本棚の古い車雑誌を読んでいた。表紙は当時発売されたばかりのサバンナだった。



あいつ舟を漕いでいるな、と思ったらどすん、と音がして新聞紙が震えた。文太が顔を上げると、畳に涼介が仰向けに倒れていた。
「……やっぱりな」
文太はため息をついた。立ち上がって近づいて、涼介が握ったまま離さない古い雑誌を取り上げた。



涼介は目を閉じて、静かな寝息を立てている。目の下には薄いクマが出来ていた。髪はしっとりと湿っていて、シャツの襟と袖が薄汚れていた。
「無理してまで来んじゃねえよ……」
とっとと高崎の家に帰っていれば、こんなささくれ立った畳の上で睡魔に負けることはなかったのだ。
きっと今頃は、ふかふかのベッドで眠っていただろうに。
そんなにまでして、どうして自分のような中年男と一緒にいたいのか、文太には分からない。分かりたくもない。それが思慕恋情というものなのだろうか。



――何が理想のお父さんだ、こんなすがれたオッサンのどこがいいんだか……。
文太は一人ごちて、舌打ちをした。


押入れから薄掛けを出し、涼介に掛けてやった。涼介のベルトとスラックスの前を緩め、楽に眠れるようにシャツのボタンも上下を二つずつ外してやった。
起きた時に「オレが寝ている間にお父さんがいたずらをしてくれた」と涼介は勝手な勘違いをしそうだが、その時は頭に拳骨を一つくれてやるつもりだ。


「しょうがねえガキだな、全く」
風呂を沸かしておいてやるか、と文太は涼介を残して部屋を後にした。



”涼介が飽きるまで”付き合ってやる、と約束して始まったこの関係。
飽きるどころか、涼介はますます文太にのめり込んでいる。
睡眠を削り、体力の残りも考えずに会いに来る。
腹を壊してしんどい思いをすると分かっていて、毎回、中に出してくれとせがんでくる。そして、望みどおりにしてやると、後で腹を擦ってうずくまっている。
ばかな息子だ。



『お父さんがオレに結婚するなって言うなら、オレは一生ひとり身を貫きますよ?』

この間来た時、お前みたいなヤツの嫁さんは大変だな、と文太が皮肉を言ったら、そう言って笑った涼介の顔。
その目はちっとも笑っていなかった。



それが少し、怖かった。

思慕の念




(終)





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