アフレコ・オフレコ



喧騒と、酒と料理の匂いが遠い。このビルはどうやら全部空き室らしい。



ほんの5分前まで、プロDとレッドサンズ合同の飲み会の席にいた。
結構な大所帯で、店を貸しきって盛り上がってた。
大人数も騒ぐのも苦手なオレでさえ、今日の飲み会はとても楽しめた。初めて話すレッドサンズの二軍の人達とも、打ち解けられた気がする。
なのに、隣に座っていた啓介さんに『藤原、ちょっと』と服の裾を引っ張られて。
そのまま連れ出され、連れ込まれた。
居酒屋の隣の雑居ビルの、薄暗くて冷たい踊り場。



「なんですか、一体……」
大体予想は付くんだけど。一応、段階として聞いてみた。
……ゴムあったっけ。財布に二つくらい入れといたはずだけど……とか考えてたら。
ちょっと赤い顔をした、ビールとタバコ臭い啓介さんが、「いや、実はさ」と、躊躇いがちにワークパンツのポケットから白いものを取り出して、オレに差し出した。
「これ、読んで!」
「……は?」
啓介さんの手の中にあるのは、居酒屋の店名入りの紙ナプキン。
「読むって?」オレは紙ナプキンを受け取り、尋ねてから気付いた。


――なんか一杯書いてある。何だコレ。


きったねー字で、ボールペンで一杯書いてある。
そういやさっき中村さんの昔話で皆が腹抱えて笑ってた時、啓介さん下向いて一心不乱になんか書いてたっけ。
てっきり、どこの飲食店にもである、メニューの横あたりに置いてある「お客様アンケート」だと思ってたけど、もしかしてこれだったのかな?
「藤原、コレ、上から順番に読んで」
「……はぁ」
コレ、と指差されたのは、ナプキンに書かれた、台詞の羅列。
「……あの」
「ん?」
「あんた馬鹿ですか」
「……なんで?」
啓介さんはきょとん、としてる。つーか、質問に質問で返すか、この人は。
はぁ、とオレは深い深いため息をついた。
「……読むのは別にいいんですけど……なんでこんな安っぽい台詞ばっかなんですか……」
「なっ、なんだよ! オレ一生懸命考えたんだぜ?」
「一生懸命考えてコレですか? 何が”めちゃくちゃにして”ですか! どこの980円のAVですか! アンタ頭悪すぎじゃないですか? ホントに大学生ですか?」
「……うるせえなあ、藤原! いーから読めっつーの!」
ガツン、と痛み。脛に蹴りを食らわされた。
「あいたっ……やりましたね、このDV男っ」
「うるせえっつってんだろ!」
あ、額に青筋。
唇噛んでる。やば。
これもう一歩か二歩でキレるな。
元ヤンだから沸点低いんだよなぁ……この人。
仕方ないな――気乗りはしないけど、ここはオレが引いとくか……。啓介さんキレたらややこしいし。
ホントに手の掛かる年上だよな……。
「……読めばいいんでしょう! ったく……」
啓介さんにちょっと背を向けて、やや俯き加減になる。
多分、真正面向いて言う台詞じゃないから。



「……“こんなとこじゃ、嫌です”……」
ポツリとつぶやくように、最初の台詞を言う。
「”暗いし、怖いし……”」
なんだよこのセリフ。まるで女みてぇじゃん。
「怖い?」
啓介さんの手が伸びてくる。髪を撫でられ、引き寄せられる。
「”……怖い”」
「平気だっつの」
抱き寄せられ、壁に押し付けられた。
夜の雑居ビルが怖いとか、どんな乙女だ。
毎日秋名の峠一人で運転する方がよっぽど怖いんだって知ってんのかアンタ。何回かカーブで白い服のちょっと透けた女の人見てんだぞコッチは。
「平気だから、じっとしてろ……」
啓介さんの唇が、耳の下に。
「”……あんっ”」
――もしもし。
オレが男だっての、忘れてませんか。
っつーか、もしかして、こういうのが好みだったんですか。啓介さん。
女みたいな顔してるからって引っ掛けた男が、色気も素っ気もヴァージニティも無くて欲求不満してるってわけですか。ああ、そうですか。
だってオレそういうキャラじゃないでしょうに。そもそも……って、そういうことはまた言うとキレるから言わないけど……。
「”くすぐっ……たい?” ん? なんて読むんですかコレ?」
「何で疑問系なんだよ、藤原!」
ちっ、と啓介さんが舌打ちする。
「折角ムード出てきたのにてめえっ」
「いやだってアンタ字が雑すぎて……」
「……雰囲気で読めよ! そーゆーのはっ!」
「はぁ」



――無茶苦茶言うなっての。雰囲気で字が読めたらお習字教室は上がったりだ。大体涼介さんの字はあんなに綺麗なのに、どうして啓介さんの字はこんなに汚いんだよ。


「”啓介さん、くすぐったい……”」
「くすぐったくなんかないだろ?」
慣れた唇が、耳の下を、首筋を、なぞる様に這う。同じところを何度も繰り返して、這い回る。いつもなら、そんなまどろっこしいところは触れないのに――とっとと勃起させて、とっととジェル突っ込んで入れて揺らしてイって終わり、だから。勿論、こんな会話もない。
たまに舌が現れて、また隠れて、それがとてもじれったくて……。
「……ッ、ん……っん……」
――あ。
思わず、セリフにない声が出てしまった。
「――くすっぐたい、か?」
啓介さんの熱っぽい息が、耳に掛かる。ハリのある声が、色っぽく囁いてくる。
「”くすぐったく、ない……”」
何か……背中、ゾクゾクする。
啓介さんの声って、いい声だよな。今更、だけど。
「藤原、くすぐったくなかったら、何?」
「……”ゾクゾクする……”」

何コレ。
セリフと、思ってたことが、一致するとか。

「そっか、ゾクゾクすんのか……じゃ、やめなくていいよな……」
首筋に唇を這わせながら、啓介さんの手はオレのジーンズの前に触れた。
……ジーンズの中で、オレ自身が硬くなってる。
「反応いいな、藤原。今どうなってんだ? オレが触ってるトコ」笑いながら、啓介さんは尋ねてくる。
「……”オレの、チンポ、ガチガチに、勃ってます……”」
――恥ずかしい。今更チンポとか……。
「勃ってんなぁ、ガッチガチだよなぁ。……なぁ藤原、このままじゃヤだよな? 溜まってるモン出さないと、切ないよな?」
尋ねられ、頷きながら、紙ナプキンを見る。
「……”出したい、です”」
――よかった。出したい、で。恥ずかしいから出さなくていいとか書いてあったらどうしようかと……。
「だよなぁ。でも、順番っつーのがあるから、とりあえず先コッチな……」
啓介さんはにやっと笑い、オレのシャツを捲くった。
「”あっ、”」
冷えた、埃っぽい空気に晒された胸の突起。興奮して感じてるから、ちょっと立ってる。
啓介さんが、じゅっ、とそれに思い切り吸い付いた。
「ひゃぁ、っ!」
声が裏返る。
「ぁ……ぁあっ……」
……やばい。
超気持ちいい……。
オレ、男なのに、胸ってこんなに気持ちよかったっけ……。
胸に吸い付かれるなんて、今までもたまにだけどあったのに、どうして今日はこんなに、気持ちいいんだ……。
「藤原は胸弱いんだなぁ。……な、藤原。胸、いいんだろ?」
「……ッ…、”乳首、弱いんです……”」演技じゃなく、声が、震える。
コレ、台詞だけど多分ホントにオレ、乳首弱いのかも……。だって腰、震えるし……。
「弱い? 弱いんだな? じゃあこうやるとどうなるんだ?」
唾液をつけた指で、片方の乳首を強く捏ねられる。もう片方は啓介さんが吸って、舐めて、転がしてる。
「ふ……ぁ、やだやだ……やだ……や、いや、……あッ!」
膝が、がくがくする。
胸を攻められ、セリフにない喘ぎが出る。いや、っていうのは、いい、っていうことの裏返しのような台詞。
じわじわ、痺れのような甘い感覚。
「あぁ……啓介、さ、……」
ジーンズの中がどんどん切なくなっていく。行き場のない切なさに、胸元にある、啓介さんの頭を抱きしめる。
「藤原の胸、コリコリ……」
「”言わない、で、ください……ッ!”」
「吸ってたらミルクとか出たりしねえかなぁ」
「”出るわけない……” って、しゃべんないで、もっと、胸、もっとして下さいッ……!」
セリフにない言葉が出る。思わずねだってしまった。
だって。
だって本当に、気持ちよかった。

啓介さんの頭を抱きしめていた手が震えた。

持ってた紙ナプキンが落ちる。

「――あ、」
どっかから吹いてきた風に、ひらりとそれは攫われて階段の下に流されていく。
「啓介さん……」
「ん?」



オレはその時、思っていたことを、まんま口にした。
紙ナプキンに書いてあった台詞は、本当は多分違うセリフだったんだろうけど。


「……オレのこと、無茶苦茶に、してください……」


いつもなら、時間ないしとっととやっちまいましょ、って素っ裸になって、早く勃ててくださいよ、って扱きあって、世間話しながら挿入して、愛の言葉も交わさず放って、んじゃお疲れ様でしたって終わっちまう。
そういうの、啓介さんはなんでもない振りしてたけど、多分ヤだったんだな。
オレそもそもよくわかんなかったし……だって、身体だけの関係だし。
男同士でムードもへったくれもないって思ってたからそんな態度だったけど……。


ムードとか、ベタな台詞って……結構大事、かも。


埃っぽいコンクリの床に、啓介さんのジャケットを敷いて、その上で一つになった。
ジーンズと下着を脱がされて、肩に両足抱え上げられて、挿れられた。
ゴム、と思ったけど、もう遅かった。
いつもより深く繋がったせいもあるかもしれないけど、こっちもいつもよりすげえ感じた。
馬鹿の一つ覚えみたいに、無茶苦茶にして下さい、って、そればっかりうわごとの様に言ってた。
啓介さん、っていつもならアンタとしか呼ばない人の名前と、交互に。



啓介さん、て呼ぶ度に。
胸の奥がちょっと疼いた。
なんだろ、コレ。
じんじんする……切ない。



そしてオレ達は、汚いコンクリートに、二人分の白濁を盛大に撒き散らした。


「……藤原、」
「なんですか」
「背中、痛くないか?」
「別に」
終わった後、埃だらけの服を払って取り繕って、まだ皆が騒ぎまくってるだろう居酒屋へと戻る為に、雑居ビルの階段を下りる。
オレの後ろからついてくる啓介さんの言葉が、どうも弱弱しい。いつもならそんな機嫌とるようなこと言わないくせに。
「機嫌とるくらいならやらなきゃいいでしょ」
「……だってよ……」
「啓介さんじゃなくて、自分にイラ立ってるんです、オレは」
「藤原、」
「―――とりあえず二次会は抜け出して、仕切り直しでお願いします」
出口が見えてきた。
「こんな汚いトコで終わりとかヤですからね。啓介さん。もっかい、ちゃんとしましょうよ」
立ち止まって、振り返って背伸びをして。
啓介さんにキスをした。
「おう……了解」
「今度はあんな紙なしで、啓介さんが欲しそうな台詞、言いますから」
オレの言葉に啓介さんは少し照れて、「もしかして、アレ良かった?」とか調子に乗って聞いてきたから、脛に一発蹴りを入れてやった。


そういえばキスなんて、いつ振りだっけ。





(終)





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