あなたにはかなわない
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夜の峠の駐車場に停めたバンの中で、涼介はノートパソコンを睨んでいた。
「……予想とだいぶ違うな」
「ですね」
涼介の後ろからは松本が液晶を覗き込み、涼介の呟きに同意した。
明日のバトルに備えてのプラクティス。走り込みができる時間は後僅かだ。
涼介が考えたセッティングでの走行結果が画面にデータとして表示されていた。
それは当初の予想とは随分かけ離れた結果を生んだ。
「おかしいな。もっと、こう……」
涼介は液晶画面を這う、データを表す波線を指で辿る。
「……ここで、こう、なる予定だったんだがな」
途中から、波線を外れたところに指を滑らせた。
「ですね」松本が同意した。
「おかしいな」顎に手を当て涼介は考えられるあらゆる理由を浚い出して見る。
気温、湿度、タイヤ、路面の具合――何処にもおかしな点はない筈、だ。
「松本。藤原は何て?」
松本に振り返ると、メカニックは難しい顔をしていた。
「……それが、藤原もどうもしっくりこないみたいで」
窓の外に松本がちらりと目をやった。縁石に腰掛けた拓海が、頭を抱えているように見える。
涼介の脳内での綿密なシミュレーションの結果、これがベストだと思ったセッティングの筈だった。
しかし現実は違った。
「そうか……となると、だ」
涼介は画面を切り替えた。念の為にと作っておいた、もう一つの案だ。
「松本、コレで試してみてくれ」
画面を爪でコツンと叩き、足元の鞄からこの画面の打ち出しが入っているクリアファイルを取り出し、松本に渡した。
「……わかりました」
「間に合いそうか?」
「急げば、何とか。FDの方はもう大丈夫そうですから、宮口にも手伝わせます」
言いながら、松本は立ち上がってバンのドアを開けていた。
「頼んだぞ……」
涼介の声を掻き消すようにドアが勢いよく閉じられ、バンが軽く揺れた。宮口ぃ、と松本が叫んでいた。
(……お父さんなら、どうするだろう)
切り替わった画面をぼんやりと見ながら、涼介は文太のことを思い出す。
文太のところには足繁く通っているものの、車の話はあまりしない。
会話の殆どは世間話か昨日のニュースか得意先のことか……セックスのことか。
元々文太は無口だから、話自体が少ないのだが。
インプレッサを弄る文太の隣にいても、涼介は手元より文太の顔ばかりを見ている。
車のことを話したのは、数えるほどしかない。
それでも、つい数日前、文太と涼介は珍しく車の話をしていた――極短い時間ではあったが。
(お父さんは予言者だな、まるで)
涼介はそれを思い出し、苦笑した。
『ハチロクのセッティングはお前が指示してんのか』
夕食時だった。
野球中継を見ながら、文太が珍しく涼介に訊いてきた。
『はい』
今更な話ではあったが、涼介は頷いた。どうやら文太は昼間にハチロクのボンネットを開けて見たらしい。
『いつもお前か?』
『指示はいつも、オレです。藤原やメカニックの意見も聞いて、微調整はしますが大筋はオレが……』
涼介は文太の肴のアーモンドの殻を割りながら答えた。
『……駄目だな』
文太の目線はテレビ画面に向けられたままだった。
『えっ?』
たった四文字で否定され、涼介の手からアーモンドが滑り落ちてちゃぶ台に転がった。
『あんな風にしてる内は……駄目だっつてんだ』
『それはどういう……』
『理由を聞いてくる内はもっと青いんだよ』
『…………』
文太はフン、と小さく笑い、涼介が割ったアーモンドに手を伸ばした。
『使えねぇな、コイツ……』
文太が舌打ちした。テレビではピッチャー押し出しで一点を与え、額の汗を拭っていた。
それが自分に向けられた言葉のようで、涼介は次に出す言葉を失った。
(やっぱりお父さんには敵わないな……)
あの時はあっけにとられたが、今になって思い出せばまるで今夜のことを予知していたかのようで。
涼介はプロDで陣頭指揮を取る際、心のどこかでいつも文太を意識していた。
文太が選んだ車。文太が育てたハチロク。
それを弄る図面を書く自分。
幾ら拓海のものとなったとはいえ、あれはそもそも文太が大切にしてきた車だ。
文太の車に最高の走りをさせる為に、涼介は脳細胞をフル稼働させる。
いつか、文太に言わせてみたい。『涼介、お前のセンス、いいんじゃねえか』と――。
「果たしていつになることやら……」
曇った窓越しに、ジャッキアップされ中身を晒すハチロクを眺め涼介は苦笑した。
これで上手くいったとしても、文太はきっと『駄目だな』と言うだろう。
(褒められた暁には、どんなご褒美をねだろうか)
涼介は小さく笑った。
(終)
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