Santa Claus who rides on Impreza (前編)



その日、文太が前橋市内にいたのは全くの偶然だった。
走り屋時代の古い友人が、仲間内でも一番遅い結婚をすることになった。
式は2月の日曜日の午前だが、生憎店を閉められない日で、残念ながら出られそうにはない。
前橋市内の彼のマンションに、独身最後の年末だと冷やかしがてら祝儀袋を持って行ったのだ。
大安の日を選んだら12月24日になって、店が暇になる時間を待ったら夕方になった。
ただ、それだけのことだったのだ。
「平日だってのにすげぇ渋滞だったぞ」
友人の家の玄関で靴を脱ぎながら、文太は渋川からここまで普段の夕方の軽く倍近い時間がかかったことを告げた。
「クリスマスイブだぜ、当たり前だろ」
「……そうか、そういやそうだな」
「そういやって、ひでえなあ文太」
「豆腐屋にゃクリスマスはたいして関係ないからな」
文太の言葉に、友人は笑った。
藤原家は元々クリスマスを祝うような家庭ではない。
去年拓海の彼女が押し掛けて来るまで、ケーキを買ったこともなければツリーさえなかったのだ。
そういえば、と文太は豆乳とおからを卸にいく先の、ケーキ屋を経営する走り屋時代の古い友人の秀司が、クリスマスのせいで忙しすぎて死んじまう! とユンケル片手にオーブンの前でげっそりしていたのを思い出した。
「祐一も店があって来られないって断られたよ」
祝儀袋を受け取った友人は肩を竦めた。
仲間内でもずっと独身を通していたから若い若いと思っていたが、笑うと目尻に皺が寄っていた。
「お前なぁ、時期が悪いぜ?」
文太も同じく笑うと目尻に皺の寄る年になっていた。
「若いうちなら都合もなんとかついたんだろうが、この年になると色々な、穴開けられねぇことも増えるんだ」
「わかってるって。政志にも言われたぜ、それ」
友人は苦笑いした。文太は部屋のソファにどっかりと腰を下ろし、タバコをくわえ火をつけた。友人がスッと灰皿を差し出した。友人の結婚後の新居は館林だという。引越しの日が近いのか、畳んだ段ボールが部屋の隅に置いてある。
「だから若いうちに結婚しとけっつったんだ。オレなんかもう息子が来年成人だぞ」
「えっ、拓海君もうそんなになるのかぁ!」
友人が目を見開いて驚いた。彼と拓海が最後に会ったのはもう十年近くも前になるから、驚くのも無理はないだろうか。
「ああ、高校出て運送会社に就職したぜ」
「へぇ、あの拓海君が……そういや文太、お前拓海君の上にもう一人息子がいるんだっけか?」
「…………いや、ウチは拓海一人だぜ?」
なにやら嫌な予感がする。
「じゃあアレ誰だ? こないだかみさんとメシ食いに行った時に見たぜ? お前をお父さん、て呼んでる背の高い、」
「ありゃバイトだ!」
最後まで言わなくても誰のことだか分かった。涼介だ。
「社会勉強で来てる、大学生のバイトだ」
文太はため息をついた。
「……バイトがお父さんって呼ぶのか? 普通は店長とか大将とか……」
そう、普通のバイトなら、そうなのだが。
「涼介……あいつがオレを勝手にそう呼んでんだよ、オレが呼べって言った覚えはねえ」
「なんだそりゃ?」
友人は首を傾げた。
「オレが聞きてぇよ……」
文太は灰皿にタバコを押し付けた。



友人と小一時間ほど話をし、マンションを後にした。
もう外は真っ暗だった。
(…………今何してんだろうな)
そんなことを思ったのはさっき話題の中に涼介がでてきたからで。
この間配達の手伝いに来たとき、クリスマスも大学の研究室で缶詰になると言っていた。
お父さんと過ごしたかったな、と拗ねた様な顔をしたから、女々しいこと言うな、そんなのは野郎が言う台詞じゃねえし第一学生は勉強しろ、と一蹴したのだが。
「……飯、食ったかな」
そんなことが気になったのは、ここが前橋だからだ。拗ねた顔が子供みたいだったからだ。群大は確か、次の交差点を左に行く先にある筈だ。自然と左車線にインプレッサを寄せた。
「もしも……もしも見かけたら、拾ってやるか……」
もしも、と何度も呟きながら、文太はギアを変えた。



「天気予報外れたな」
「ああ、いい感じに晴れたな」
涼介とその友人達が見上げた夜空には、きらきらと星が輝いていた。
天気予報は当初は雨だったが、満天の夜空という見事な晴れになっていた。
研究室で文字通りの缶詰になっていたのだが、二時間半の休憩時間が与えられた。
涼介と友人数名は少し遅い夕食のため、大学の敷地を出て遅くまでやっている学生向けの食堂に向かっていた。
白衣の集団はそぞろ歩き、何を食べるか、メニューの名が飛び交っている。
「でも天気予報が外れてよかったじゃないか、もしも雪なんか降ったら、残りのストーブを巡ってゼミを二分する戦争が起きるぜ?」
涼介の言葉に、友人の一人は「高橋の言うとおり」とうんうん頷いた。
研究室のストーブの一つは壊れていて、空調も効きが悪いのだ。ちゃんと使えるストーブは数少ない。今日くらいの冷え込みなら、まだ空調で凌げるのだ。
友人の一人がはぁー、と息を吐く。
「うわ、真っ白!」
その白さに、涼介はFCと共に豆腐を思い浮かべた。
(お父さん、今頃何をしているかな)
涼介は思った。
豆腐屋にクリスマスなんか関係ないと言っていたから、今頃馴染みの店で飲んでいるだろうか。
行きつけのあのガソリンスタンドでコーヒーを飲んでいるかもしれない。
家でごろごろしているかもしれない。
だから耳慣れたエキゾーストが遠くから聞こえたのは、てっきり文太を想う余りの空耳だと思った。
「あ……」
が、違った。
その音はどんどん近づいてきて、ヘッドライトの灯りが遠くの角を曲がり、見慣れた青い車体とウイングがこちらに向かってくるのが見えた。
「…………」
涼介は思わず嘘、と呟いた。
(お父さん……!)
心臓が跳ねた。
「悪い、オレ抜ける!」
「え、高橋?!」
「高橋君?」
いきなり涼介が声を上げた。アニメ声の女友達が高橋くーん、と甲高く呼んだのと、涼介が走り出したのは殆ど同時だった。



涼介はあっけにとられている友人達を後に、向かってくる青い車に向かって走っていた。
(いたな……)
文太は駆け寄ってくる背の高い白衣が涼介だとわかった。
「お父さん!」
減速して停車したインプの運転席側に、涼介は飛びつかんばかりの勢いで駆け寄った。
「おう、涼介か。イチかバチかで来てみたが、丁度いいとこにいたもんだな」
文太にしてみれば、もしもと思って廻ってみたのだ。そうしたら涼介がいたのだ。
(もしも、のつもりだったが……まぁ、いい)文太は口の端を軽く上げた。
「休憩時間なんです、今」
涼介はたったあれだけの短い距離だったが、久しぶりに全力疾走をして息を切らせていた。
少し離れたところに、呆気にとられている白衣の集団を見つけ、文太は「友達じゃないのか、アレ」と尋ねた。
「はい、ゼミの仲間です。でも、言ってありますから大丈夫です」
「そうか……」
涼介はナビ側に回り、ドアを開けて乗り込んだ。
インプレッサは少し走ってスピンターンをかまし、独特の音をさせながら元来た道を走り去っていった。


「あれ、高橋君のお父さん?」
「違うと思うけど……」
「高橋のオヤジは確かベンツに乗ってた筈だ」
「あの車何ていうの?」
「インプレッサ」
「ああ、スバルの?」
「高橋はマツダの車だっけ?」
残された白衣の集団は、涼介の父親議論からあさっての方向へと向かっていた。
涼介がお父さん、と叫んで駆け寄ったのは、どう見ても涼介の父親には見えなかった。
「大体あのオジサンお医者さんに見える?」
「見えねえなぁ。つーかもし医者ならヤブ決定!」
「オレ高橋のオヤジさんを何かで見た事あるけど、もっと年食ってるぜ?」
言いたい放題言っているが、彼らの意見に共通するのは、『あのインプレッサを運転してきた中年男は高橋の父親ではない』ということだった。
「高橋ってわかんねえなあ……」
友人達の一人がしみじみと呟いた。
「高橋が変わってるのは今更だろ」
誰かが言った。全員がうなずいた。


「こら、くっつくな! 下ろすぞ!」
シフトに置いた左腕にうれしそうにしがみついてくる涼介に、文太はうっとおしそうに声を上げた。
「だって、わざわざ来てくれたじゃないですか! 下ろさないでしょう?」
涼介は嬉しそうに文太を見上げて言う。
「たまたま近くまで寄ったついでだ! てめぇと飯食いにわざわざ来たわけじゃねえよ」
「それでもいいです……オレ、お父さんとクリスマスを過ごしたかったから」
涼介はにっこりと笑った。
拾ったのは自分だから、文太はそれ以上何も言えなかった。
本当にうれしそうに笑うものだ、と文太は半分呆れていた。
(……オレも甘いな、涼介には)
ここ一年近くで、随分と涼介には甘くなってしまった。
「……それより飯、どこにするんだ。言っとくがオレはあんまり持ってねえぞ」
友人に包んだ祝儀は、年齢的なものあってちょっと張り込んだのだ。
ただでさえ年末は物入りだ。年末最後の集金日まで財布は寂しい。
「何でもいいです。あ、回転寿司がいいです」
「そんなんでいいのか?」
「はい、昨日からなんだか魚が食べたいんです」
なのにコンビニの焼き魚弁当が売り切れていて食べられなかった、と涼介が口を尖らせ、文太は小さく笑った。
そこで漸く涼介は文太の腕から離れた。

(後編に続くよ)





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