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「オレ、この曲好きです」
イントロに被せた、流れるようなDJのお喋りが始まるなり涼介が嬉しそうに声を弾ませた。
昔からチャートで当たり前のように1位をとるバンドの曲で、文太もバンドの名前くらいは知っていた。
ボーカルの声には覚えがある。祐一の店や政志の工場はいつも有線が流れているからだ。確か、そのままにしてある拓海の部屋にこのバンドのCDが何枚かあったように思う。
「オレにゃ若いヤツの歌はよくわからん」
インプのステアを握ったまま、文太が首を傾げた。
もう女性アイドルの顔が皆同じに見えるからな、と自嘲気味に笑うと、それはオレも同じですよどうも最近、と涼介が同調した。
深夜のドライブにFM局はよく似合った。
車の少ない深夜の国道は、軽いドライブには最適だ。カーラジオを聴きながら、腕が鈍らない程度の”普通”の運転をする。
「……お父さんはどんな歌手が好きですか?」
「オレの世代だと、そうだな……」
涼介に訊ねられ、文太は今や大御所にカテゴライズされる歌手やグループの名をいくつかあげた。涼介はへぇ、と感心したように文太が言った歌手の名を反芻し、今度CD買ってみます、と金持ちらしい台詞を口にした。
(普通はレンタルしてみますだろうが)文太はあえて突っ込まなかった。
涼介は知っているサビの部分だけをラジオにあわせて口ずさんだ。
文太が噴出した。
「お前、音痴だな!」
念仏じゃねえか、と喉の奥で笑っている。
「……どうせ学生時代音楽だけは3か4でしたよ」
涼介がむっとむくれた。その顔を対向車のハイビームが照らした。歌が下手なのは、涼介自身、気にしていることだった。
美貌、学力、運転技術、ついでに家柄にも恵まれたが、歌の才能だけは残念ながら天から与えられなかった。
「悪い、でも他は全部5だったんだろ?」
笑いを堪えながら謝る手が、むくれる頭を撫でてくれた。
「で、なんていうタイトルだ?」
「さぁ。なんていうんでしょう?」
「何だ、知らねぇのか」
その手が笑いながら離れていった。
会話が途切れた。
曲はフルコーラスでまだ流れていた。
終盤の歌詞に、涼介ははっとした。そこまでちゃんと聴いたのは初めてだった。
ステアを握る人の顔を見た。見慣れた顔は夜の街の明かりに、その深く刻まれた皺が強調された。
咥えた煙草は火をつけるタイミングを逃して、白いままだった。
短いフレーズだった。が、涼介にはぐさりと来た。
自分はこの人に強請ってばかりで奪ってばかりで欲しがってばかりだと、その時初めて気付いた……十年も経った、今頃。
「……お父さん」
「ん」
「やっぱり、今日はいいです」
力なく涼介が言った。珍しい発言に、文太の顔が驚きに満ちた。この十年、涼介がそんなことを言ったことが、ただの一度でもあっただろうか。
「どうしてだ」
だから思わず理由を尋ねた。
「……何となく……お父さん、明日も早いですし……」
「もうそこまで来てんだぞ?」
ほら、と指した先には、原色のどきついネオンサインの看板があった。
気分を変えてみたいから久しぶりに行きたいと言い出したのは、当たり前だが涼介の方だった。
「お前なぁ。今更、」
しおらしくなったって遅いんだよ、と文太は苦笑いしながらウインカーを上げた。
そうだ。
もう、今更なのだ。何もかも。
焦がれて一目で好きになって、押しかけて駄々を捏ねて身体の関係を持って、十年。
急にしおらしくなって今夜だけを我慢して、一体どれほどの贖罪になるのか。
気付くのは遅すぎた。
涼介には文太に返せるものなど、何もないのだ。
『ただいまご紹介しました曲は……』
曲が終わった。
綺麗な声のDJは、バンド名と曲のタイトルを告げた。
そのタイトルは、インプが滑り込んだ先と同じだった。
MOTEL
(終)
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