One Day



午後の最後の講義と、ゼミが急遽休講になった。
課題は期限にはるか余裕を持たせて提出済みだ。
つまり自分は自由の身。
そうなれば行くところは、一つしかない。
涼介は学生用駐車場に停めたFCの中で行く先のことを思い、にんまりと笑みを作る。
ポケットにいつも入っている、配達先で貰った甘い飴を一つ口に放り入れ、FCを一路渋川へと走らせた。



FCを商店街の外れの更地に停めると、緩やかな坂を上り、目当ての店に入った。
庇看板の照明を消し、シャッターを半分下ろした藤原豆腐店。
「お父さん、涼介です」
文太を呼んでみたが、反応はない。店の明かりは消えていた。豆腐と油の匂いの充満する、しんと冷えた店内。
もしかして無人なのだろうか。施錠もせず、レジも付けっぱなし。いくら昔ながらの商店街といえど、無用心極まりない。
店の隣にはハチロクもインプもあった。歩きで出かけたのか、それとも……。
「昼寝だな」
文太愛用のサンダルが、居間の上がり口にあるのを見つけ、涼介は推理を立てる。
推理を裏付けるように耳を澄ますと、かすかに鼾が聞こえる。
二階に上ってそっと覗くと、案の定、四畳半で文太は布団を敷き、大の字になって寝ていた。
念の為、お父さん、と声をかけたが、起きる気配はない。
店に戻って、注文を書くホワイトボードを見て納得した。今朝のレイクサイドホテルへの配達当番は文太で、しかも三往復もしている。ボードに貼ってあるチラシにその理由が書いてあった。
ホテルのイベントで、豆腐懐石を堪能する昼食会があったのだ。余分の二度の往復はその為のようだ。
いつもよりたくさんの豆腐を作り、余計に車を運転したのでは疲れるのも無理はないだろう。
「なら、もう少し寝かせておこうか……」
涼介は文太を起こすのを諦めた。折角自分という存在がいるのだから、疲れた身体を休めてもらえれば……そう思って。
「これは親孝行、だな」一人納得して、涼介は頷いた。
夕食の支度には少々早い時間だから、開けて置けば客も来るだろう。涼介は勝手知ったる何とやらで、ここへ来る表向きの名目である、藤原豆腐店の“バイト”としての活動を始めた。
まずシャッターを全開にし、看板と店の明かりをつけた。
ショーケースと水槽の、売れ残った商品を数える。水槽の中の絹と木綿は、いつもくらいの売れ行きのようだ。油揚げはあと少し。おぼろ豆腐と飛竜頭は売り切れのようだ。刻み揚げは小袋が一つ。厚揚げが思ったより余っている。もしかしてと居間にあった新聞のチラシを見ると、案の定スーパーで大手メーカーの厚揚げの安売りをしていた。
おからは小さなパックが五つ余っていた。朝炊いたものだから、割引シールを貼った。
「そうだ、」
涼介は昨日買ってカバンに入れていた100円ショップの袋を思い出し、取り出した。中身は納品伝票。
もう伝票は残り少ないのに、文太は買わないとな、というだけでまったく買う気配がないから涼介が買っておいた。カウンターで店名のゴム印を新品の伝票にひたすら押していると、今度は店の隅の一斗缶に気付く。天ぷら油の廃油だ。印を最後まで押し終わると、涼介は廃油回収業者に電話を掛けた。
「もしもし、渋川の藤原豆腐店です……はい、回収なんですが……まだ頼んでいませんよね? ですよね。じゃあまた、裏口に出しておきますので、はい。お願いします。六つです……」
予想通り、文太は廃油の回収を頼んでいなかったようだ。
受話器を置くとカレンダーに回収予定の日を書き込み、一斗缶に回収用のシールを貼り、裏口へと一つずつ運んだ。


「いらっしゃいませ」
最後の一つを出し終えて店に戻ると、近所のおでん屋の女将が来ていた。
「こんにちは。文ちゃんはお出かけ?」
「寝てますよ」
「あはは」女将は口に手を当てて笑った。
涼介は冷蔵庫を開け、小さいが存外に重いプラスチック容器を出した。中にはおでん屋に卸す厚揚げや飛竜頭や豆腐、そして豆乳のボトルが入っている。容器に貼られている、癖の強い文太の字で書かれた伝票と中身をチェックし、間違いが無いことを確認して女将に渡した。 「では、これを」「はい、ありがとさん」女将はニッコリと笑い、 「空のはここにあるからね」と店の入り口の空き容器を顎で示した。
「文ちゃん、アンタが来てくれるから、安心しちゃってんのねぇ」女将は店を出る直前に振り返って、涼介に微笑んだ。
「そう言って下さると、嬉しいです」
「お世辞じゃないわよ、本当のことよ。アンタよく働いてるわよ」
「……ありがとうございます」
長年一人で店を切り盛りし、一人で段取りをつけ、配達だけを拓海に手伝わせていた文太には、誰かが自分のテリトリーに入ってきて、自分のすることを削るのが気に入らないのだろう。バイトとしての働きを余り褒められた事は無い。
けれど涼介から見れば、随分といい加減な商売の仕方だ。つい手も口も出てしまう。それ以前に、何より文太と居たい。文太のすることを、背中を見ていたい。涼介が理想としていた、“お父さん”との生活は、まさにここに、この形である。だから、涼介は文太に嫌がられても、店を手伝うのだ。
文太の評価は兎も角、こうして他人は確かに評価してくれる。
それじゃ、と女将が出て行くのと入れ替わりに、今度は居酒屋の店長の太った店長が入ってくる。「おう、文太は?」とやはり聞かれ、寝てます、と答えたら彼も女将と同じように笑った。
居酒屋には、頼まれて冷蔵庫に控えていた商品以外に、涼介の巧みなトークで残っていた絹豆腐の半分を売りつけることに成功した。



商店街の街灯がほんわりと灯り、居酒屋やおでん屋の提灯に火が入る頃には、ショーケースと水槽の中身は殆ど空に近かった。
この小さな豆腐屋はそれなりに繁盛していて、店番をしたほんの数時間、涼介は忙しかった。
明日の注文が幾つか電話で入ってきた。涼介はそれを聞いて伝票を仕上げ、ホワイトボードにも書き込んでおいた。レイクサイドホテルからはランチ会の豆腐は好評だったと礼の電話があった。
夜から店を開けるバーや焼き鳥屋などが入れ替わり立ち代り、取り置きを依頼していた商品を貰いに来た。
ざる豆腐に使う竹ざるが少なくなっていたから、向かいの弁当屋の前にいた容器業者を見つけて声をかけ、明日の納品を約束させた。店の裏に干してある鍋や布巾が乾いたのを確認して店内に入れ、いつも文太が置いてあるように置いていった。指示されたことはないけれど、いつもしていることを見ていれば分かる。
夕食の材料を求めにやってきた近所の主婦達には、極上の笑みと艶のある声で、残っていた商品を売りさばいた。おからはお体にとてもいいんですよ、特に美容にと涼介が言うと、残りの5パックがあっという間に売れてしまったのには言った本人が笑ってしまった。
最後の客は電話の注文で、坂の一番上の酒屋だった。ウチで酒屋の組合の寄り合いがあって、という理由で木綿を十丁。涼介が店のシャッターを半分下ろし十丁計4キロを届けに行くと、お礼にと新発売の缶ビールを二本貰った。
お父さんの晩酌用のビールだ、と涼介はわくわくした。CMをしていて、気になっていた商品だ。
酒屋を出ると、もう夜に近い時間になった。
商店街は昼から夜の顔へと変わっていく。
ネオンサインや酒の匂い、ラーメン屋から立ち上る湯気。焼き鳥屋の旨そうな匂い。夕方のニュースがガラス屋の店先のラジオから流れ、英会話教室の前には子供の自転車が並ぶ。空はゆっくりと暗くなっていき、宵の明星がきらりと光る。商店街の坂を下りていくと、店の前に今起きたらしい文太が立っていた。
「ただいま帰りました、お父さん」
「……来てたのか」
「はい」
文太はタバコを吸っていた。ふぅ、と長い紫煙を吐き出した。大学は、と聞かれ、最後の講義とゼミが休みになって、と答えると、文太はそうか、と頷いた。
涼介は自然と笑みが零れるのを抑えられなかった。大好きな、文太の前に立つ。
いつから来ていた、と文太は聞かなかったし、涼介も言わなかった。
言わなくても、殆ど中身の無くなったショーケースや冷蔵庫、外に出された一斗缶やカレンダー、店内に納められた調理道具やホワイトボードを見れば、文太も分かったのだろう。
「酒屋さんに、ビールを頂きました」
両手に一本ずつのビールをはい、と差し出すと、文太は頷いて、冷蔵庫入れとけ、と言った。
「……お前が来てくれてると思ったら……安心してついこんな時間まで眠っちまってた……」
そう言って、文太は頭をぼりぼりと掻いた。涼介が廃油の電話をかけていた辺りで一度、目を覚ましたのだ。
「すまねぇな。よく働いてくれたな……つーか、起こせよ……」
「……はい、ごめんなさい」
少しだけ注意されたが、文太に褒められた。
バイトのことを褒められ、涼介は思わず”大好きなお父さん“に抱きつきそうになるのをぐっと堪えた。



店のシャッターを完全に下ろし、レジを閉める。
文太が部屋に向かった。涼介は冷蔵庫にビールを入れ、後を追った。いつもの文太なら付いてくんな、と言うのに、今日は言わなかった。
涼介が文太の部屋の襖を閉めたのと、文太が蛍光灯をつけたのは、殆ど同時だった。
蛍光灯の灯りは生々しく、古い土壁の汚れを浮き立たせ、まだ敷きっ放しの布団の、寝乱れて皺寄ったシーツがこの先のことの道標のように見えた。
寝ろ、と文太が指示すると、涼介は頷いてその布団に仰臥した。文太はその上に影を作った。
見上げてくる涼介は、怯えと期待とを孕んでいる美貌の青年で、同性の――自分のような冴えない中年男に向けられるには勿体無いほどの艶のある顔をしていた。
黙っていたって女は幾らでも寄ってくるだろうに、どうして自分がいいのか。文太には涼介の考えは何時までたっても理解できない。しかし、身体を重ねていくうちに、確実に何らかの感情は生まれていたし、文太のなかで彼は一つの存在となっていた。
「折角早く大学が終わったんなら、家帰って寝てりゃいいだろ」
「……勿体無いです、それじゃ」
「……」
唇を重ねると、涼介の舌が先に潜り込んできて、必死に文太のそれへと絡めてくる。貪る、という言葉の通り、涼介は文太の口腔内を貪っていた。
「ンッ……」
歯が時折カチンと音を立てる。すらっとした腕が伸ばされ、文太の頭を抱きしめてきた。
「お父さんっ……」
酸素を求めて一瞬離れた。涼介から思い詰めたような声で呼ばれると、文太はなんともいえない気持ちになった。男相手に、こんなに煽られる自分がいる。
「っ、あ、」
文太は自分をぎゅっと抱きしめてくる涼介がいじらしくさええた。
当たっている下半身同士、涼介のものはもうすっかり勃起していて、何枚かの布越しに、早く触って欲しいと自己主張していた。
「そう、焦んな」
うっすらと薬品と飴の匂いがする。
(キてんな、オレも……相当)
男相手にどうやったら勃つんだと思っていたあの頃が懐かしい。自分より背のでかい男を、いじらしいと思うなんて。なんともいえない気持ちになるだなんて。煽られるだなんて――相当、キているのだ。
「働いてくれた分は、返してやる」
ワイシャツのボタンをブツブツと外し、現れた男にしては白い肌に手を伸ばした。
女の様に柔らかくはないが、その手触りを文太はすっかり覚えていた。
「……ゃ……ッ、」堅くしこった突起に触れると、小さな怯えが涼介の口から漏れた。
ここが、とても感じるのだ。涼介は。ここだけを弄っていたらそれだけで射精したこともある。
「ヤじゃねだろ、いいだろ」
嫌は好きの裏返しだ。布団の上では。男も、女も。
文太のざらついた舌がその片側へと這わせられ、涼介の身体がビクッと跳ねた。
「ア、 ッ!」
もう片側は指で捏ねてやった。野太い男の指で、遠慮も無く抓るようにしてやると、涼介は腰を揺らめかせて悶えた。
「あ……あ、ッ…はぁっ…、ひっ……」
首は嫌々をしながら、しかし涼介は甘い刺激が全身を覆っていくのに流されるより他はなかった。
「ひぁ、あ、あっ、」
「勝手に触んな」
自分の股間へと手を伸ばし、モノを引っ張り出して自慰をしようとしていた涼介の手を、文太の手が捉えた。
「触っていいって言ってねえだろ?」
「だ、って……」
手を捉えられた涼介の顔は真っ赤になり、額には汗が浮かび髪が張り付いていた。
「だって、何だ?」
「……気持ち、よすぎて……」
「オレはほったらかしか?」
文太の意地の悪い質問に、涼介は首を横に振った。
「どうせ扱くんなら、な――」
文太がデニムから勃起したモノを取り出した。使い込まれて色の濃いそれを涼介の、やや細身のモノに添えた。二本が重なる。涼介のペニスに文太のペニスの熱が当てられる。二本まとめて、文太の大きな手が包んだ。所謂兜合わせだ。
「あ、――」
根元からゆっくりと、文太の手が涼介と文太のモノを同時に扱く。
「おとうさ……ッ、……!」
その倒錯した行為に、涼介は声を裏返らせた。
「ふ……あ、ッ、は……ッ、ひぁぁっ……!」
文太のモノと自分のモノが重なっている、それを文太の手が扱いている――涼介の頭の中はわくわくと混乱した。
腰をくねらせ、突き出し、もっと強く、と涼介は求めた。
白い肌に玉のような汗が噴出す。文太の鍛えた身体にも汗がにじみ、涼介の身体へと雫が垂れる。
「……ッ、涼介、っ」
涼介の乱れる様に、文太はゾクゾクした。
「ぁ、と、さ…」
切れ切れに自分を呼ぶ、涼介。
涼介の手が文太の手に添えられる。
「お、れ、……ッ、出る、ッ」
「ああ、出しちまえ」
(お父さんに扱かれて、出る……ッ!)
そう考えただけで、涼介の下半身がズシンと重くなる。文太の手の勢いが、涼介の手の勢いが一層強くなった。
「や、出る……出るッ、あ、あ、あ――ッ!!」
涼介が叫んだ。
重なり合った二本のうちの一本から、白濁が勢い良く迸った。
それは文太の腹を、涼介の腹を汚し、脈打ちながら残滓が二度、三度と出た。
「……ッ、あ……あ……、」
涼介は脱力した。二本のペニスが離れた。涼介は全力疾走の後の様に荒く呼吸をしていた。
腹筋が、胸が激しく上下していた。
「あ……っ?」
しかし文太はまだ達していなかった。脱力した涼介の脚が抱え上げられる。
「おとう……ッ」
解してはいない涼介の入り口に、文太のモノが押し付けられた。
「緩んでんじゃねえか」
「ぁあああああ――ッ、!!」
底まで落ちようとしていた涼介の快楽ゲージが、また無理矢理引き上げられる。
絶頂を極めた涼介のその場所はやや緩み、解しを施さずとも文太を受け入れるには充分な柔らかさになっていた。
ずん、と最奥まで文太が一気に侵入した。
涼介の細い腰を掴み、ぐっと押し付けると接合はより深いものになった。涼介は文太の肩にしがみついた。
「あ、やだ、やだ……ッ」
涼介の、一度は萎えようとしていたペニスがまた勃起していった。そして、半勃ちの状態で、手を触れてもいないのに、先端から白濁がボトボトと零れたのだ。
「おい、トコロテンすんじゃねえよ」
それは文太と涼介をまた汚した。
「ごめんなさ……ッ、」
涼介は目尻に光る物を浮かべて、二度目の射精をしたにもかかわらずまだ勃起しようとする自分自身と、自分の胎内に埋め込まれた文太の質量に頭の中が真っ白になっていくのを感じ――ただ必死に、文太にしがみついた。
全身を覆う充足感に、時間も忘れ、涼介はただ淫らな存在になった。
文太もまた、自分を受け入れる健気な存在に煽られ、体力も忘れてただ性欲のままに突っ走った。



文太が目を覚ますと、涼介は文太の腕枕ですやすやと寝息を立てていた。
(全く、オレってヤツぁ……)
成人した男の寝顔に、可愛らしいなと思ってしまう自分がいることに、文太はため息をついた。
うっとおしくて、口うるさくて、何を考えているのか分からない厄介な、そんな存在であることは間違いない。けれど……涼介は文太にとって、確実に別の“存在”にもなっていた。
それが証拠に、涼介がいると思って、あんな時間まで昼寝をしてしまったではないか。セックスを、あれほどしてしまったではないか。 それを認めてしまうのが少し怖い気がして、文太は首を振った。
「……ビールでも飲むか……」
涼介が貰ってきたビールは、確か二本あったはずだ。
「オイ、涼介。起きろよ……」
文太が声をかけると、存在はもそもそと動いた。


(終)





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