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それは、とても寒い冬の夜のことでした。
涼介は店の前で、お父さんの帰りを待っていました。
もう何時間待ったかわかりません。
お父さんは夕方、商店街の寄り合いに出かけたのですが、帰ってくると約束した時間はとっくに過ぎていました。お父さんと一緒に寄り合いに出かけたお向かいのおでん屋さんも、お隣のボタン屋さんももう帰っているのに、お父さんだけがまだ帰ってきません。
「寒いな……」
涼介の息は白く、手も足もとても冷たくなっていました。
お父さんのためにお風呂もわかして、お布団も用意したのに、まだ帰ってきません。
こんな日に限って、お父さんは携帯電話を家に忘れているので連絡も取れません。
「まだ帰ってこないのかなぁ」
涼介は今日、22回目の「まだ帰ってこないのかな」をつぶやきました。
もしかしてお父さんに何かあったのかと、心配になりました。
「すっかり遅くなっちまった」
その頃、お父さんは小走りに家路を急いでいました。
寄り合いの後、道端で古い友達にばったり会って、つい時間を忘れて昔話に花が咲いてしまって、気がついたときには、こんな遅い時間になっていたのです。
お父さんの店へと続く坂道にはこんな時間に開いているお店もなく、古い街灯がぼんやりとあるだけで、とても暗いのです。
おまけに今日の空には、星も月もありません。
お化けでも出てきそうで、ちょっと不気味です。
角を曲がったところで、お父さんは「おや」と足を止めました。
道沿いに一間ほどの小さなお店が、こんな時間なのに開いていました。暗い通りに、お店の明かりだけがまぶしいくらいに目立っていました。
「こんなところに店なんかあったか?」
お父さんは首を傾げながら、店の前にさしかかりました。確かこの辺りは狭い更地だったような気がするのです。
そのお店は駄菓子屋さんでした。
子供の時に食べた懐かしい小さなお菓子やおもちゃが、狭い店の中に所狭しと並んでいました。チョコレートやおせんべい、ニッキ水、夢中になって遊んだめんこもありました。
懐かしくて、お父さんは思わず駄菓子を手に取りました。
「そうだ、涼介に何か買ってやるか」
涼介はもう大人なのに、子供が食べるようなお菓子や飴が大好きなのです。涼介のポケットにはいつも飴が入っているくらいです。
今頃、お父さんの帰りを待っている涼介へのお土産にしてやろうとお父さんは思いました。
積んであるかごを一つ取って、飴やふがしやチョコレートやマシュマロを入れていきました。小さなドーナツ、ラムネ、キャラメルも忘れてはいけません。
「こんばんは、いらっしゃい」
店の奥から、ニコニコと笑顔のおばあさんがでてきました。このお店の人のようです。
お父さんはかごいっぱいの駄菓子をおばあさんに渡しました。
「これだけくれるかい」
「はい、ありがとうございます。そうそう、今日はいいお菓子が手に入ったんですよ。お客さんにはサービスでさしあげますから」
おばあさんは、店の奥から小さな瓶を持ってきました。
それには色とりどりのキャンディが入っていました。
「これはとても珍しいキャンディなんですよ」
おばあさんはそう言いますが、お父さんには、どこにでもあるようなキャンディに見えます。
おばあさんは一つのキャンディを取り出して、小さく割ってかけらをお父さんの手のひらに乗せてくれました。
「甘くないですから、食べてみてくださいな」
おばあさんに言われて、甘いものが苦手なお父さんは安心してキャンディのかけらを口に入れました。
「あっ」
お父さんは驚きました。
あたりの風景が、さあっと変わったのです。狭い駄菓子屋にいたはずなのに、たちまち青い空と紺碧の海が広がったのです。
けれどその風景は、あっという間に消えて、元の駄菓子屋に戻りました。
「驚いた、どういうわけだ」
「おもしろいでしょう、少しの間だけ、すてきな風景を見られるんですよ」
おばあさんは瓶の中から、二つのキャンディを取り出して小さな袋に入れてくれました。
「さぁ、どんな風景が見られるか、帰って食べてみてくださいな」
お父さんは不思議な気分で店を出ました。
貰ったキャンディがどんな不思議な風景を見せてくれるのかは、食べてからのお楽しみだとおばあさんはニコニコして言いました。
お父さんが立ち去って少しして、駄菓子屋は明かりを消しました。そしてふんわりと、夢の様に消えてしまいました。
「お父さん、お帰りなさい!」
お父さんがやっと店の前にたどり着くと、涼介がほっぺたを真っ赤にしてとても寒そうに立っていました。
一体どれほど待っていたのか、聞くまでもありません。
「すまねぇな、ずいぶんと待たせちまったな」
お父さんは自分より背の高い涼介の頭に、ポンと手を載せました。涼介はとてもうれしそうにはにかみました。
「待たせちまったから、少しだけど土産だ」
と、お父さんはさっき買った、駄菓子の入った袋を涼介に渡しました。
「ありがとうございます」
涼介はお礼を言って、袋を受け取りました。
「それと、面白い風景を見たくないか?」
お父さんはさっきおばあさんにもらったキャンディを、涼介に見せました。
「面白い風景?」
涼介が首を傾げます。
キャンディはお父さんと涼介のそれぞれの手のひらに一つずつ載せられました。
二人は、せーの、と合図をして同時にキャンディを口に入れました。
「あっ」
「ほお、」
二人は思わず声を上げました。
二人の真上の、星も月もなかった夜空に、数え切れないほどの星が現れ、そして流れはじめたのです。
「流れ星だ! すごい、こんなに沢山!」
涼介は驚いて大きな声を出しました。
流星群どころの騒ぎではありませんでした。美しい軌跡を描いて、星たちは流れます。
辺りは星明かりでまぶしいくらいに明るくなりました。それは涼介もお父さんも、初めて見る幻想的な光景でした。
「お父さん、この沢山の流れ星に願い事をしたら、叶うでしょうか?」
涼介は興奮気味にお父さんに聞きました。
「そりゃあ叶うだろう、こんなに沢山の流れ星なんだぞ、一つくらいは願いを聞いてくれるだろう」
流れ星は次から次へと二人の上に広がる空を流れ、つきる様子は一向にありません。
「じゃあオレ、願い事をします」
涼介は空を見上げて心の中でお願い事をしました。一生懸命お願い事をしました。
お父さんは涼介の隣で何も言わず、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、空を見上げていました。
どれほどの間、そうしていたのでしょう。
やがて流れ星は少しずつ、音も無く消えていきました。二人の口の中のキャンディが、丁度全部溶けてなくなる頃でした。
流れ星だらけだった夜空は、元通りの、星も月も無いただの闇色になりました。
「何をお願いしたんだ、涼介」
お父さんが聞きました。
「内緒です」
涼介は教えてはくれませんでした。
「お父さんこそ、何かお願い事はしたんですか」
今度は涼介が聞きました。
「内緒だ」
お父さんも教えてはくれませんでした。
二人は仲良くお店に入って、明日のお豆腐の仕込をして、暖かなお風呂に一緒に入って、同じ布団で眠りました。
さっきの不思議な風景のことを、キャンディのことを、眠る瞬間まで話し合っていました。
駄菓子は明日の涼介のおやつです。
二人の上を流れた沢山の流れ星には、涼介の願い事も、お父さんの願い事もちゃんと届いていました。
涼介の願い事は、お父さんとずっと一緒にいられますように、そしてお父さんのお店がもっと繁盛しますように。
お父さんの願い事は、涼介のお医者さんのお仕事が上手くいきますように、涼介の願い事が叶いますように。
二人の願い事が叶ったのかは、二人だけが知っています。
流れ星キャンディは、あの瓶の中でも一番すてきな風景を見せてくれるキャンディでした。
流れ星キャンディ
(おわり)
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