たくさんの
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午前中の配達を終えて店に戻ると、まだ11時だというのにもう腹が減っていた。
少し早めに昼飯を食べて昼寝でもするかと、文太は冷蔵庫を開けた。
ビールと味噌とマヨネーズとケチャップと。
雑然と押し込まれた冷蔵庫の中、菜になりそうなものは、と探す。
お、と思って手にしたのは、小さなトレーに入った、ちりめん山椒。半分くらい入っている。
この間、涼介が友人から貰ったおすそ分けだと持ってきたものだ。スッとするのが癖になる味だ。
「……これでも食うか」
ちゃぶ台にちりめん山椒のトレーを放り投げる。トレーは少し滑って、テレビガイド誌に当たって停まった。
やはりこの間、涼介が大学の生協で買ってきたものだ。
わざとらしい笑顔のアイドルが表紙で、一瞥をくれると文太は台所のジャーの蓋を開けた。
茶碗を取るのに、食器棚に手を伸ばす。
自分の茶碗の上に、涼介の茶碗が伏せられている。
最初は客用のを使っていたが、先代からこの家にあったもので、相当年季が入っていたから何かの拍子に糸底が欠けた。涼介が坂の下の荒物屋で買ってきた、矢絣柄の、男物にしては少し小振りな茶碗。
矢絣柄を除けて自分の茶碗を取り、飯を盛る。
箸、と流しの横の箸立てに手を伸ばせば、やはり涼介の箸と自分の箸が仲良く刺さっていた。
「…………」
通信販売の番組を見ながら、ちりめん山椒だけを菜にする昼食はわびしい。
店売りのおからのひとパックでも自家消費すればいいのだが、最近おからの売れ行きがいいから食べてしまうのは惜しい気がして。
番組はいつも同じようなものばかりを紹介する。回転モップとダイヤモンドネックレスの次に紹介されたのは、バランスボール。
一緒に出かけた時、ホームセンターの店先にあったものを見て、涼介が気にしていたのを文太は覚えていた。
――文太の周り、あちこちに。”涼介”がいる。
茶碗と箸と湯飲みを洗い桶に入れて水を張り、二階の四畳半の自分の部屋に入る。
敷きっ放しの布団は寝乱れたままで、靴下を脱いでごろんと横になる。
「……ん?」
何かが後頭部に当たった。固い感触に、文太は手をやり、その感触の原因を探る。
「何だこりゃ……」
文太が手にしたのは、シルバーのタイピンだった。
「また涼介か」
ちっと舌打ちした。
昨夜、涼介はワイシャツにネクタイを締めていた。昼間に少し畏まった会があったのだという。
ここでネクタイを外したから、きっとその時に落ちたのだろう。――そのネクタイで涼介の両手を縛って、細い制汗スプレーの缶を入れてやると、涙を零してよがっていた。
「ったく、」
手間の掛かるヤツだ、と文太は起き上がり、窓際の小さな文机にそれを置いた。
文机の真ん中に、開きっぱなしの店の帳簿があった。涼介のまめまめしい文字と数字が上から下へと右左に並ぶ。
文机の隅には、涼介がポケットにいつも入れている飴が二つ、転がっていた。
部屋の隅には蕎麦殻の枕があった。
涼介が自分で買ってきた枕だ。
「…………」
それらに気付いた時、文太はただ唖然とするより他は無かった。
本体がいなくても、”涼介”は文太の周りにたくさん”いる”。
そして、そのたくさんの”涼介”は、文太と言葉の無い会話を交わしている。
茶碗を見れば、今頃あいつは飯を食っているのだろうかと思う。
箸を見れば、作法の手本のような箸使いを思い出す。
ちりめん山椒の味は、その手本のような箸使いで摘まんで、『これ、美味しいですね』と目を細めて笑った顔を。
テレビガイドを捲りながら、同じ日の同じ時間にある二つの番組の、どちらを見ようか迷った挙句、文太に『どっちがいいと思いますか?』と訊いてきた幼さを。
タイピンは昨夜の淫らな行為を。
帳簿は『まめにつけないと駄目ですよ』と言いながら、自分の代わりに帳簿に書き込んでいた背中を。
飴は、涼介の口付けの味を。
蕎麦殻の枕は、その上ですやすやと眠っていた寝顔を――思い出す。
「……やられっぱなしだな」
ふ、と苦笑いを一つ。
たくさんの”涼介”が、この家にはいる。
文太の傍に、いる。
(終)
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