I don't want to know -- I don't want to think
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拓海が二日に一回の配達を終えて自宅に戻ると、「おかえり、藤原」と満面の笑みを湛えた涼介が、居間のちゃぶ台の傍――文太の隣――に正しく膝を折って待っていた。
――今日も来たか……。
拓海は心の中で毒づいた。
「おはようございます、涼介さん」
しかしそれを顔に出すほどの子供ではない。藤原拓海19歳。れっきとした社会人だ。
嫌な客にも営業用スマイルも出来るようになった。とりあえず、ポーカフェイスでやりすごしてみた。
「朝食が出来ているから、食べるといい。その前に、手洗いとうがいを」
「……ありがとうございます」
――食べるといいって、ここはオレの家だっつーの。
言いたいことをぐっと堪え、それでも一応正当な衛生観念から、狭い洗面所で嗽をし手を洗う。
居間では涼介が文太の隣に座り、「お父さん、もう3本目です」と文太のタバコを注意し、文太に「寄るな」と言われている。
――アンタはウチのお袋か……。
ペッ、と忌々しげに口に含んだ水を吐き出し、拓海は顔をしかめたままタオルで口元を拭った。
ここでの、もとい文太の前での涼介は、拓海や他の人間が知る普段の涼介とは全く違う。
同じ名前のそっくりさん、としか言いようが無い。クールで冷静な峠のカリスマはいずこへ。
さかのぼれば早春のある日、涼介がこの家に突然来るようになった。
「バイト」という名目で。
それは拓海にとっては本当に「ある日突然」だった。
大学にプロDにと寝る間もないほど忙しいはずの涼介が、何故にこの寂れた豆腐屋のバイトに来るのか、と拓海は首を傾げた。
最初のうち、拓海は『バイト』はあくまでも名目で、涼介は文太に車のことを教わりに来ているのだと思っていた。
クルマの腕前なら啓介より涼介が速い。涼介に(ついでに啓介にもしかも二回も)勝った拓海。
その拓海がどうあがいても勝てっこない文太……となると、三段論法で行けば群馬最速は文太ということになる。しかも(詳細は知らないが)文太は昔プロのラリーストだったという。
そんな文太になら、涼介が車のことを教わろうと考えたとしても、頷ける話だと思ったからだ。折りしもプロジェクトDが始まったばかりで、涼介は遠征のたびに公道最速理論にはまだまだ修正の余地がある、と口にしていたからだ。
が、違った。
確かに『バイト』は名目のようではあった。ただし、文太の車の知識やテクニック目当てではなく……涼介は文太に会いに、纏わりつきに来ているのだと拓海が気付くのに、時間は掛からなかった。
文太が歩けば後を追い、車の手入れを始めると隣に陣取り、食事の世話をし、タバコを注意し、晩酌の時は酒を注ぎ、配達に行くときは先にナビシートに座っている。しまいめには「お父さん」と呼ぶ。当たり前の様に、呼ぶ。
クルマのことについて二人が話しているような素振りは見えない。
その代わり、涼介は文太のシャツの裾を引っ張ったり、『肩たたきしましょうか?』と言ったりはしている。
一度、拓海が昼間に忘れ物を取りに戻ってきたら、二人して文太の部屋で昼寝をしていた。それも、涼介は文太の腕枕で、だ。
拓海の涼介に対する気持ちは、出会った当初の尊敬や畏怖から当惑に変わり、今やすっか、「わけわかんねえ人」に行き着いた。
ついでに文太に対する気持ちも、疑惑に変わりつつある。
――そのオッサンはオレのオヤジだ。アンタのオヤジじゃねえんだ。
拓海が(言わないけれど)そう言いたくなるほどに、涼介は文太の隣にいつもいた。
涼介は文太に会いに、わざわざ忙しいだろうスケジュールの合間に高崎くんだりからこの渋川の寂れた豆腐屋まで来ているのだ。
その癖峠ではいつもどおりのカリスマとして振舞う。毒舌で自信家で、有言実行の孤高の天才として。
「お父さん。お醤油、掛けすぎですよ」
「こん位掛けねぇと味しねえだろ」
「駄目ですよ、塩分の取りすぎは……」
朝食を摂る文太の隣で、涼介がいちいち口を出す。文太の湯飲みの茶がなくなりかければ、涼介が絶妙のタイミングで急須を取り注ぐ。畳に置いた新聞に目をやった文太が「ん、」と呟くと、涼介が「今日は野球中継はありません」と言う。
「…………」もうすっかり見慣れた光景に、拓海はため息を零すことさえなくなってしまった。
どうしてこうなってしまったのか。
この二人は一体どういう関係なのか。
拓海には、考えたくもない、知りたくもないものだった。
しかし幾ら拓海が拒んでいたって、知ってしまう日はやって来るものである。
涼介がバイトに来るようになった日と同じく、突然。
(終)
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