おやすみの呪文
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煙草を二箱買ってコンビニを出た文太は、駐車場の隅に停めたインプレッサの運転席に収まった。
ナビシートに埋まり、眠ったまま文太を待っていた涼介は、ロックの上がる音で目を開いた。
時刻は日付を跨ぐか跨がないかの頃で、コンビニ以外特に目立った店のないこの辺りは静かだった。
コンビニの前の道は、渋川から高崎へと続く道だ。
「……起こしたか」
ドアを閉じ、ひと箱をドアートリムに放り込みもう片方の包装を毟りながら文太が呟いた。
涼介を高崎の家に送るべく渋川の家を出てすぐ、坂を下るともう涼介は目を綴じで静かな息を立てていた。
文太は煙草を一本くわえると火を付けた。深く吸い込み、フゥ、と紫煙を吐き出す。
一口目は決まって深いのが文太の吸い方だ。
「……一口、下さい」
涼介がゆっくり手を伸ばしてきた。
「吸えるのか?」
文太が訊くと、涼介は頷いた。
「峠で走り始めた頃に少し……格好が付くかと思って」
「ありがちだな」
大学デビューとは遅いな、と文太がにやっと笑った。その口から火のついた白を摘むと、涼介はそれを自分の口に。
少し湿ったフィルターをフゥ、と文太と同じように深く、一口。
「……お父さんの味がします」
文太を見てそんな風に笑う、眠そうな綺麗な顔に、文太は細い目をさらに細めた。
戻ってきた白を再び咥えると、キーを差し込みイグニッションを回した。
「家に着いたら起こしてやる。もっと寝てろ」
「……寝るの、惜しいです」
サイドを下ろしステアを回す。ルームミラーに映るものはない。
涼介の惜しい、という言葉を、文太は「馬鹿言うな」と一蹴した。
「睡眠不足じゃ勉強もクルマも中途半端になるぞ」
渋川の文太の家から高崎の涼介の家までたかが三十分ほどのドライブだが、忙しい身の涼介には貴重な「眠れる時間」だ。
ただでさえ忙しい医学生とプロDの両立だけでも大変な筈なのに、その合間に文太のところへ来ているのだ。睡眠が足りているはずもなく、綺麗な顔の、切れ長の目の下にはうっすらとクマが出来ていた。
深夜の国道はクルマも少なく、伸びがいい。
「涼介……いい子だから、寝ろ」
温かくて大きな手が、シフトを外れて涼介の額に置かれる。無理に起きようとする涼介の目をその手が覆う。
「だって、もったいない……」
お父さんといられる時間が減ってしまうでしょう、と涼介は額に置かれた手に触れた。
「寝てたって一緒に居るだろうが」
その手は離れ、アッシュトレイを引き出し、咥えていた煙草を押しつけて消す。
「……確かに、そうですね……」
涼介は微笑んだ。
そうだ。確かに、文太の言う通りだ。
「だから寝ろ」
「……はい」
「いい子だから、寝ろ」
インプレッサは高崎へと入った。
ナビシートの涼介は静かな寝息をさせ眠っている。薄い胸元が上下に動いていた。
涼介のジャケットのポケットに、文太はドアートリムから出した新品の煙草を入れてやった。
「寂しけりゃこれでも吸ってろ……」
一人ごちて、文太はウインカーをあげた。
もう10分も走れば、涼介の家に着く。
短いドライブは、それでおしまい。
(終)
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