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夜中に、目が覚めた。
「……家、か」
羽根枕に顔を半分埋めたまま、涼介はぽつりと呟いた。
ここは高崎にある、生まれ育った自分の家だ。
広い部屋。
広いベッド。
柔らかで上質のリネン。
空調も効いている。真冬だが快適な室温だ。
ベッドサイドの加湿器が静かに蒸気を上げ、喉を潤す。
それほどまでに快適な自宅の、自分の部屋。
ここはとても温かい筈なのに、寒かった。
枕元の時計を見れば、夜中の二時。もう一時間もすれば、あの人が目を覚ます時刻になる。
一日の仕事を始めるのだ。
昨日のうちに水に浸した豆の具合を見て、古い機械のスイッチを入れる。
タバコの匂いと。
酒の匂いと。
あれくらいの歳の男性特有の匂いと。
整髪料の匂いと。
豆腐の匂い。
そして、体温。
包まれたい。
文太に。
狭い寄るな帰れと文太に言われながら、あの家の空調の効かない四畳半で寝たい。
しんと冷えた空気が隙間風となって入り込み、山から吹き降ろす冬の風が、ガタガタと時折古いサッシを震わせるあの家の二階の四畳半。
煎餅布団にもぐりこんで、タバコで隅が少し焦げたシーツの上で、文太に縋りつく腕を振り解かれながら。
お父さん、今夜も寒いですねと涼介がしつこく食い下がれば、お前がいるとゆっくり眠れないと文太は涼介を布団から追い出そうと躍起になる。
本当はとても温かい、あの四畳半。
文太の匂いと体温に包まれる場所。
子供の戯れのようなことを布団の上で散々やって、しつこい涼介を帰すことを諦めた文太が左腕に頭を乗せてくれる。
その頃には身体はすっかり温まっている。
「――知ってるか、涼介。水野旅館の前の蕎麦屋の山菜蕎麦がな……」と他愛ない世間話をする、掠れた声は子守唄。
あの部屋は狭くて寒いけれど。とても温かい。
ここは広くて温かいはずなのに。
とても寒い。
理由はただ一つ。ここには文太がいないからだ。
温かい筈の部屋の、広いベッドの上で。上質のリネンに包まれて……涼介は独り、ぶるっと震えた。
独り寝の夜
(終)
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