amulet



「ごっそうさん」
楊枝を咥えたまま挨拶をし、文太は行きつけの店の暖簾を潜って外に出た。
ありがとうございましたー、と間延びした女将の声を背中で受けて。
(冷えるな……)外は存外に寒く、白いものがちらついている。
よく滑る引き戸を後ろ手に閉め、ふと顔を上げると、見慣れた美貌が待ちかまえていた。
「こんばんは、お父さん」
雪の中、傘を差した涼介が白い息を混じらせて挨拶した。



「よくここだって分かったな」
振り続ける雪は積もるものでははないが、気温はかなり下がっている。
道幅の狭い、温泉街の飲み屋ばかりが集う通り。
文太が飲みに来ていた店はこの通りにあった。観光地らしく様々な方言が飛び交う。行きかう人の流れに紛れ、二人は並んで歩いた。
「簡単なことですよ」
涼介はフ、と笑った。
文太の疑問は尤もで、今日は何処に行くともいつ戻るとも言わず、書き置きも残さず出かけていたのだ。
涼介が持ってきてくれた傘を差し、涼介が持ってきてくれた上着を着た文太は「ほう?」とその種明かしに興味を持った。
「お店に行ったらインプがあってお父さんがいなかったから、歩いて飲みに出たと思ったんです。となると、徒歩で行ける距離ですよね」
「政志や祐一に乗せてって貰ったかも知れねえだろ?」
「オレが来る時、工場とスタンドの前を通ってきましたけど、二人ともそれぞれ仕事中でしたよ。
昨日、お父さんお財布が寂しいって言ってたじゃないですか。だったら、つけの利く店です。数は絞られます。
後、今日が定休日じゃないって条件も含めると、もっと数は絞られます。
最後に残った候補の店の中で、一昨日あの店から割引のダイレクトメールが届いていましたから、行くならあの店だと思ったんです」
「成る程な……」
「簡単でしょう?」
あっさりと言ってのける涼介に、文太は感心した。これが拓海なら、知りうる限りの店に片っ端から電話をかけているところだろう。
「お前、まるで探偵だな」
文太が言うと、隣を歩く美しい顔が文太を見た。
「ええ。お父さんのことにかけては。何でも分かりますよ」
得意げなその顔は、無邪気さを孕んでいた。
観光客らしい若い女性の集団が、すれ違いざまに涼介を見て何かをひそひそと話している。
その群れからカッコいい、という声が聞こえてくる。
(……涼介に一本取られたか)内心を口にはしないが、文太の顔にはそう出ていた。


「けどよ、」と文太は傘を持っていないほうの手でデニムの尻ポケットを探りながら、こればっかりは流石の涼介も察しがつかないだろうというモノを取り出した。
「流石のお前でも、コレは推理できなかっただろ?」
ほれ、と文太がポケットから小さな包みを出し、涼介の前に差し出した。
「………は?」


紙の包みだ。
『学業成就 御守』と書いてある。


「――え、」
予想もしていなかったものが差し出され、驚いた、と涼介の顔には書いてあった。
「何してんだ。ほら、受け取れよ」
「あ、――はい」
文太に促され、涼介は慌てて包みを受け取った。
ほとんど重さがないほど軽い。包みの中で、ちりんと音がした。
「開けて、いいですか」
「ああ」
空き店舗の前で立ち止まり、涼介は包みを開いた。
県外にある、学業の神様で有名な神社の御守が入っていた。小さな鈴がついていて、ちりんと鳴った。
『学業成就 御守』と大きく刺繍がしてある。
「……これ、お父さんが?」
橙色の刺繍のされた御守を手に涼介が訊ね、文太は頷いた。
「あそこの女将さん、実家がこの神社の近くでな。一つ頼んであったんだ」
「……」
「よく効くらしいぞ、そこ」
「温泉じゃないんですから、お父さん……」
涼介は小さく笑った。


文太が自分に御守をくれる――それは流石の涼介でも推理できなかったことだ。


「嬉しい……です」
御守を、涼介はぎゅっと握り締めて呟いた。予想外の出来事に、心臓がドキドキしているのが自分でも分かった。
涼介の大学6年間の集大成である医師国家試験は、もう指折り数えられるほど目の前まで迫っていた。
本当は文太を迎えに来ている場合などではないのだ。
「ありがとうございます、お父さん」
涼介は深く頭を下げた。
通り過ぎる観光客が不思議そうに2人を見、文太が少し慌てた。
「おい、往来だぞ」
「だって嬉しいんです……」
ぱっと顔を上げた涼介は本当に嬉しそうで、――文字通り喜びに満ち溢れていた。
普段は素っ気無くて邪険にされる。が、涼介のことをちゃんと見ていて、涼介が望んだこと以上を与えてくれる。
肝心な部分では、涼介は絶対に敵わない。大好きな、涼介の”お父さん”。
(お父さんってやっぱり素敵だ)
わくわくと、涼介は興奮した。握り締めた手を開き、御守をもう一度見た。
「ウチに来て試験に落ちたとか言われちゃ困るからな……」
文太が頬を掻きながら、少し照れたように呟いた。これほど喜んでもらえるとは、文太も思ってはいなかったのだ。
「礼は結果で返せよ」
落ちるな、ということだ。
「勿論……」
涼介は微笑んだ。


文太が歩き出し、涼介が後を追った。


――お父さん、
――あぁ?
――御守、鞄につけるのと、FCの鍵につけるのと、どっちがいいでしょう?
――肌身離さず持てる方にしとけよ
――じゃ、首からぶら下げときます
――脱がせたときに笑っちまうからそれは止めとけ。寅さんじゃねえか……
――だって、肌身離さずって言ったじゃないですか……


2人の取り留めのない話は舞い落ち続ける雪に溶け、夜に消えた。
差し出された涼介の手を、文太が握った。
お前の手、冷てぇなと文太は笑った。

(終)





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