The color of the flower
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「もしもし、緒美? 涼介だけど」
電話口の向こうは賑やかだった。
英語の音楽がBGMというには喧しいし、笑い声を通り越した嬌声がいくつも重なっている。
『涼兄ィ? どうしたの? 久しぶりー』
涼介が電話を掛けた相手の声はずいぶんと弾んでいた。従妹の緒美だ。
この春、緒美は女子大生になった。
連絡を取ったのは久々だ。
去年、緒美は講師とそりが合わないと、よりにもよって高三の春に予備校を辞めてしまい、涼介に家庭教師を頼んでいた。週の半分は高橋家を訪れ、押し掛け生徒だと啓介に言われていた。
お陰で当初D判定だった志望の女子大に入れたが、入学早々遊びを覚えて、毎日帰宅が遅いと叔母…緒美の母がこぼしていた。
「それはこっちの台詞だ、緒美。今何処だ? すごい音だな、後ろ」
『ク・ラ・ブ! サークルの集まりだよっ』
「……ずいぶんなサークルだな」
涼介に勉強を教えて貰っていた頃はあどけなかった女子高生だったのに、すっかり女の声になってしまっている。
涼介はあきれ声と共に肩をすくめると、電話をする相手を間違えたかなと思った。路肩に留めたFCのボンネットに軽く腰掛けた涼介の頬を、夜風がさっと撫でていった。
(まだ覚えているかと思ったが……忘れてそうだな、この調子じゃ)
夜の峠は市街地よりも涼しい。少しでも強い携帯の電波を求めて車の外に出ると、肌寒いくらいだ。
『涼兄ィどうしたの? 電話掛けてくるなんて』
「ああ、ちょっと聞きたいことがあってな……」
『ナニ? 何でも知ってる涼兄ィが聞いてくるなんて、珍しい!』
それでも、少し話せば涼介の知っている緒美だった。
「緒美、押し花の作り方、知ってるだろ?」
涼介は携帯を持っていない方の手の中にある、小さな花を見つめた。
満開の、名も知らない白い花だった。
コイン程の大きさのまあるい花に、頼りげない茎が伸びている。
『押し花? そりゃあ知ってるけど、……知ってどうするのよ。もしかして作るの?』
「ああ」
鼻を寄せると、土の匂いがする。
『涼兄ィが?』
「そうだけど」
『へぇ……』
「なんだよ、そのへぇ、ってのは」
『だって、似合わないんだもん。涼兄ィが押し花なんて。啓兄ィはもっと似合わないけど!』
涼介はふっと笑い、「啓介が聞いたら怒るぞ」と緒美の口癖を窘めた。
緒美が押し花の作り方をまだ覚えていることに、涼介はほっとした。
涼介が家庭教師をしていた頃、緒美は教科書や参考書に可愛らしい栞を挟んでいた。
緒美が手作りしたというその栞は、台紙に押し花をあしらい、ラミネートし、リボンをつけた素朴なものだった。
花は家の庭に咲いているようなありふれたものだった。
手まめさを誉めると、丁寧にすれば誰だって出来るんだよ、と言っていた。涼介はそれを覚えていた。
『だってほんとに似合わないじゃない!』
「別にいいだろ、オレが作ったって。早く教えろよ」
『まぁそうだけど、涼兄ィが押し花なんて、晴天のナントカだよね。えっと、じゃあ言うね……』
「霹靂」
『それそれ! あ、言っとくけど、結構自己流だからね』
「わかってるさ……押し花になるんなら、なんだっていいさ」
『えっとねー……』
店を兼ねた、あの家の裏手に、小さなプランターが一つあった。いや、プランターとは名ばかりの、発泡スチロールに土を入れただけのものだが。
前は味噌汁などに使う万能ネギを植えていたというのだが、車のこと以外では面倒くさがる文太のこと、知らない間に枯れてしまったのだという。
役目を終えたプランターは長らくそのままにされていたのだが、どこから種が飛んできたのか、誰が植えたのか、この間そこに白い小さな花が咲いた。
名も知らない、可愛らしい花だった。
最初にそれに気づいたのは、その家の二人の住人ではなく、通っている涼介だった。
文太も拓海も、「綺麗ですよね、裏の戸の口にあるプランターの花。あれ、なんていうんですか?」と涼介に言われて初めて気づいた始末だ。
風に身を任せて揺れる小さな白い花を、涼介は欲しいと願った。
涼介が文太に「この花、貰ってもいいですか?」と訊くと、「好きにしろよ」と言われた。
だから今こうして、彼の手の中にあるのだ。
『……で、出来上がり。もし栞にしたかったら、キットが文房具屋さんであるから、探してみて』
緒美が話してくれた一通りは、メモを取らずとも涼介の頭に綺麗にインプットされた。
作り方は思っていたより易しそうだ。帰ったら早速、取りかかることにした。
「……わかった。ありがとう、緒美。それと、あんまり遊びすぎるなよ。叔母さん心配してたぞ」
『分かってまーす』
本当に分かっているんだか分かっていないんだかはっきりしない返事で誤魔化され、じゃあまた遊びに行くからね、啓兄ィによろしく、と緒美の方から電話は切れた。
通話の終わった携帯を胸ポケットに仕舞った涼介の隣を、静かに外車が通り過ぎていった。
「…………」
FCに戻った涼介はナビシートに置いた空の菓子箱にその花をそっと寝かせ、運転席へと回った。
ウエストゲートの抜ける音が、夜の峠に響いた。
「……そんなに珍しいか?」
裏口のプランターの、名もない花を見つめていた涼介の背中に文太が声を掛けた。
「だって綺麗ですよ、この花」
涼介が振り返ると、文太はタバコをくわえインプの鍵を手にしていた。出かけるつもりらしい。
お出かけですかと涼介が訊く前に、「秀司の店に集金にな」と先回りで答えられた。
「お前の車の色だな」
その花、と、文太は風に揺れる白い花を鍵で指し、言った。
「え、」
「白は白でも、ハチロクの白じゃねえな……」
文太の手の中の鍵が、チャリ、と音をさせた。
何気ないその言葉に、涼介の胸がトクン、と高鳴った。
「……お父さん」
「あ?」
「この花、貰ってもいいですか?」
「ああ。好きにしろ」
この花は、きっと文太には特に意味のない花だろう。
勝手にどこかから飛んできて、勝手に咲いた花という程度の認識だろう。
けれど、涼介には……。
そうではなかった。
「じゃあ、頂いて帰ります。ありがとうございます」
涼介は美しい笑みと共に文太に礼を言い、出かける彼を見送った。
隣のボタン屋から空の菓子箱を貰って、ティッシュを敷いて。花を慎重に切って、利くのか利かないのか分からないけれど水上げをした。
箱に花を横たえ、大事にFCのナビに置いた。
この花をずっと見ていたくて、だから押し花にすることを選んだ。
お前の車の色だな、と文太に言われた、その一言が嬉しかった。
文太いわくの、FCの色の、花。
「この花……何て言うんだろうな」
ステアを握り、帰路を急ぎながら涼介はナビシートの菓子箱に目をくれた。
(お父さんから何か貰うなんて、そういえば初めてだな)
涼介はふと気づいた。
食事を奢ってもらったり、甘い時間や胸が一杯になるような思いならたくさん貰ったが、「モノ」は初めてだ。
そしてそれがFCの色の花だなんて、と気づき、一人頬を赤くした。
貰ったと言うには、色気のないやりとりではあったが。
(終)
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カウンター8687(ハロー、花)・さな様へ
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