風船



ポスターカラーで塗ったような、鮮やかな青い空が何処までも続いていた。


その空に、色とりどりの風船が、むすうに浮かんでいた。



子供たちは皆行儀良く並んでいた。
ここに並ぶまでに、もう百二十年も待たされた子供たちだ。


青い空の丁度真ん中、ふかふかの、雲のカーペットの上。
その先には一人の女の人がいた。女の人は白いドレスを着ていて、とても綺麗だった。
彼女は自分の目の前に来た子供にお話をして、手を触れる。するとどこからともなく現れた風船にその子はポコンと入って、空にぷかりと浮かんでしまう。


赤い風船。
青い風船。
黄色い風船。
紫色の風船。
いろんな色の風船に、子供たちは次々と入っていった。
そして風船は風に乗って、遠くへ飛んでいく。
南へ。
西へ。
北へ。
東へ。


風船が向かう先では、たくさんの人が手を伸ばして、自分のところに「産まれて来る子供」を待っていた。



涼介の番は、もうすぐだ。
ずいぶん待ちくたびれた。百二十年も待たされて、その上ここでお行儀よく並ぶのは、とても疲れることだった。
「ねぇ、」
後ろに並んでいた子が、涼介に声を掛けた。振り返ると、金髪の、少しつり目の男の子がいた。
「オレも、一緒だからね。少し後に行くから、待っててね」
「少し後って、どの位?」
「二年位、かな」
涼介の問いに、男の子は指折り数えて答えた。
「長いな……」
「そんなことないよ。これだけ待ったんだもの。二年なんて、あっという間だよ」
「……そうだね」


この子が自分の弟になるんだと、涼介には分かった。
ひとりぼっちだと思っていたから、連れがいることが分かって心強かった。
「きっと仲良くなれるね、オレ達」
金髪の子が言った。
「うん」
涼介は頷いた。その子の言うとおり、仲良くなれそうだ、と思った。
二人は指切りげんまんをして、「”産まれたら”仲良くしようね」と約束した。



随分待って、やっと涼介の番が来た。
「あなたは白い風船よ」
涼介と向かい合った女の人は優しく言ってくれた。しかしすぐに、悲しそうな顔になった。
「でもね、私はあなたに先に謝らないといけないの。――ごめんなさい」
「どうして、謝るんですか?」
涼介は首を傾げた。
「あなたは……”お父さん”のところには、この風船では行けないの。最初は違うところに行かなくてはいけないの。そこで産まれて、そこで育てられるの」
「どうして、オレは”お父さん”のところに行けないんですか?」
涼介の問いに、女の人は困ったようにほほえんだ。
「それがあなたの運命なのよ」
ほら、と女の人は細い指で遠くを指した。


くねくねした山道を走る、一台の車。


「あの車に乗っているのがあなたの”お父さん”。今は会えないけれど……いつか必ず会える」


その日までお利口に待っていてね、あの金髪の子と仲良くしていて……と女の人は言って、涼介に触れた。


ポコンと音がして。
白い風船に、涼介は入った。
ふわりと風船は空に浮かび上がり、風に乗った。


「行ってらっしゃい、涼介」
女の人は手を振った。女の人のすぐ傍で、金髪の男の子も手を振ってくれた。


涼介の風船は、どんどん風に流されて、山道の上にさしかかった。


一台の車が、風よりも早く走っていた。


「お父さん……!」
風船の中から、涼介は叫んだ。
お父さんと呼ぶにはまだ若い男の人が、その車を操っていた。
信じられないくらい速い車だった。甲高い音を立てて横に滑り、くねくねした道を最短距離で駆けていく。
あの人だ、と涼介は確信した。
あの人が”お父さん”だと。


いつか必ず会えるから。あの女の人はそう言った。


「お父さんっ! ねぇ、お父さんっ……絶対、会おうね……!」
届くわけなどないけれど、涼介は叫んだ――”お父さん”に向かって。


涼介の風船は風に乗って、山道から離れていった。




大きな家の、綺麗な花壇のある広い庭に、「お父さん」よりは年かさの男の人と女の人がいた。
二人は空を見上げて手を伸ばし、ゆっくりと降りてきた涼介の風船を嬉しそうに迎えてくれた。
「ねぇ、あなた。男の子よ」
「ああ。元気そうないい子だな。きっと賢い子になるぞ……」
「この子も私達みたいに、医師になってくれるかしら」
「なってくれるさ」
「きょうだいも必要ね。私達もきょうだいは沢山いて楽しかったもの……賑やかな方がいいわ」

涼介の風船はぱちんと弾けた。

そして、――――産まれた。




まっさらな揺り篭の中で、涼介は目を覚ました。
自分を迎え入れてくれた男の人と女の人……父と母は揺り篭を覗き込み、まだ赤ん坊の涼介の名を呼んで、ガラガラを振ってあやしてくれた。


「……なぁ、あれ何だ?」
「ん?」
昼下がりの秋名山の休憩所で、文太はガードレールに腰掛けて缶コーヒーを飲んでいた。今日は久しぶりのオフで、昼間から峠を走った。 空を指さして訊ねたのは、隣にいた友人の秀司だった。
青い空に、白い何かがふわりふわりと風に乗っていた。
「風船だろ?」
文太は目を凝らして言った。
「なんだ、風船かぁ。UFOかと思った」
秀司はがっかりしたように肩を落とした。
二十歳の若者二人は、風に流されるそれを見送った。
「今流行りの、風船に花の種つけてよその町に飛ばすってやつじゃねえかな」
「あー、ニュースでやってたな……」
白い風船は、高崎市内の方へと飛んでいった。
「文太、次のレースいつだ?」
「ん、再来週……今度も勝つぜ」
へっ、と笑った新米ラリーストの文太は、先日のデビュー戦で見事な勝利を収めたばかりだった。
「そうこなくっちゃな。秋名の走り屋の憧れだからな、文太は!」
「おい、あんまり褒めるなよ」
秀司の言葉に文太は照れ、しかしまんざらでもなかった。
峠の走り屋からプロのラリーストになった彼は、この辺りの走り屋達の羨望の的であり、憧れの存在だった。
今年デビューした新人の中では、最も将来有望なレーサーと言われていた。
「勝って勝って、勝ちまくるんだ……そんでもってジジイになるまでラリーストやるぜ、オレは……」
白い風船を見送りながら、二十歳の文太は尽きることのない夢を口にした。


(終)





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