今日の配達は久々に文太一人だ。
ここのところ、文太の配達にしょっちゅう押しかけてきていた自称”息子”の涼介は、藤原とうふ店に通い詰めたツケが廻ってきたのかそれとも元々そういうスケジュールだったのか、二週間ほどは大学に缶詰になり、藤原とうふ店に来るどころか大学の敷地から出られるかも怪しいらしい。
「……清々するな……」
いつもならナビシートから注意されるタバコを天下御免でふかしながら、文太はいつもより少しだけ軽いインプレッサを操り配達をこなした。



「あら、今日はお一人なのね、藤原さん」
町外れの個人商店に豆腐を卸しに行くと、腰の曲がった店主の婆さんが、文太にゆっくりと尋ねた。
「ああ、アイツは今日は休みだよ!」
耳の遠い婆さんに、文太は大きな声で、やはりゆっくりと返事をした。こうしないと婆さんには聞こえないからだ。
「学生さんだったわね、確か、お勉強、忙しいのねぇ」
「……らしいなぁ! 二週間は、来ないらしいぞ!」
出来れば永遠に来ないで欲しいんだが、と文太は思った。
あの、名前の通り涼しい顔をした押しかけ息子は、藤原家に嵐を巻き起こした。
お陰で文太は拓海から冷たい眼差しで見られっぱなしだ。まさかこの歳で、人様に言えないようなことをする羽目になるとは思いもしなかった。
全くうっとおしい押しかけ息子だ。
実の息子の拓海よりも口煩い。
そして文太の配達に付いて来たがり、文太の世話を焼きたがり、文太と居たがり、仕舞いには文太に身体の関係を求めてくる。最後の事項はまだ拓海にはばれていないが、時間の問題だろう。
涼介が配達についてくるお陰で、今日は行く先々で涼介はいないのかと聞かれ文太は辟易した。得意先やご近所には、涼介は社会勉強をしたい大学生のバイトで通しているが、あの通りの見た目だから何かと目立つ。中には涼介を文太の息子だと勘違いしている得意先まである。涼介は「息子さんですか」と聞かれ、満面の笑みではいそうです、と返事をしてしまうからまたたちが悪い。

「あの子が気にしていた花ねぇ、咲いたのよ。今朝。二週間も来られないなら、ああ、枯れてしまうわねぇ」
婆さんは長椅子に不自由そうに座ったまま、店の前の小さなプランターを指した。
昼は働きに出ているという婆さんの息子が丹精しているらしい百合の花が、ぱっくりと口を開いて濃厚な匂いを漂わせていた。
確かに配達でここに来るたび、涼介はプランターの百合の硬い蕾を、まだ咲かないのかな、明日には咲くかな、と気にしていた。しかし百合の蕾は形を作ってからが存外に長く、待てど暮らせどなかなか咲かなかった。だから買うとあんなに高いのか、と涼介はいつだったか呟いていた。
そして涼介が不在の時に口を開くような気まぐれさ。たちの悪い女のようだ。
「……ああ、会ったら言っといてやるよ……」
文太はその百合の花の前に立った。
涼介がいれば、きっと喜んだだろう。
どんな風に喜ぶのかも容易に想像できる。豆腐屋の配達のバイトの癖にプレスの当たったワイシャツを着て、豆乳で濡らした革靴を履いて、配達先で貰った飴玉を口の中で転がしている涼介が頭に浮かんだ。配達途中にナビシートで眠ってしまって出来た寝癖を跳ねさせたまま、プランターの前にしゃがみこんで、出典不明の鼻歌を歌うだろう。
ふと見れば、百合の足下には、アイスの棒が刺さっている。
少々癖のある涼介の字で、この百合の名前が書いてある。
婆さんが横文字が苦手で、花の名前が覚えられないと嘆いていた。その時偶々居た婆さんの息子に聞いて、店の前で拾ったアイスの棒に涼介が書いたのだ。


早く勉強なんざ済ませて来い。肝心な時にいねえなんて、やっぱりお前は使えないヤツだ。
そんなヤツはオレの息子じゃねーぞ。


文太は心の中で呟いた。

アイスの棒には、ロンバルディア、と書いてあった。

ロンバルディア




(終)





home