Bet



某月某日、某峠。
「…………はぁ……」
一号車の前に広げたテーブルに頬杖をつき、史浩は堪えきれなかったため息をついた。
ちら、と右を見れば。
整備中のFDの前で、啓介が「ふんっ!」という感じで腕組みをして怒ったような顔をしている。
ちら、と左を見れば。
やはり整備中のハチロクの前で、拓海が「フンッ!」という感じで腕組みをしてツンとした顔をしている。


二人の間には見えないバリアーがある。


(またかよ……)
胃の痛みを感じつつ、史浩は何度目かわからないがダブルエースの「痴話喧嘩」が始まったことを知る。
世間様には内緒だが、この二人はいわゆる「恋人」だ。もちろん男同士ではあるが。
「あのさ、アニキ、史浩! オレら、付き合ってるから!」
2人が唐突に(しか見えなかった)カミングアウトをしたのは、プロジェクトDが始まって間もなくのこと。
びっくりして椅子ごと引っくり返った史浩の傍で、涼介は「前からそんな気がしていた」と眉一つ動かさなかった。
だったら早くオレに言ってくれよ! 心の準備ってものがあるだろう! というのがその時の史浩の心の叫びであった。


男同士、というのを別にしても、啓介と拓海は同じチームのダブルエース。
カミングアウトにあたり、「プロジェクトDの運営及びバトルには一切迷惑を掛けまじく候」と一筆書いて涼介に提出した二人だったが、若さと二人の生来の性格……猪突猛進の啓介と結構キレやすい拓海……は、その一筆をあっと言う間にただの紙切れにしてしまった。


もう何度目だろう、こうして二人の痴話喧嘩でプロDの空気がアレな感じになるのは。
(今度のは長引かないでくれよ……頼むから)
史浩は祈った。胃が痛い。神様仏様稲尾様。いや古いな。今なら誰だ。
それは兎も角、――前回の痴話喧嘩はひどかった。あれの二の舞にはならないで欲しい、と史浩は思った。
何せバトル中一切口をきかず、目も合わさず、だ。勿論バトル自体は勝ったのだが。
お陰で敵さんには何事かと穿った目で見られるし、押し寄せたギャラリーの間からはプロDダブルエース不和説なんてものが流れた。
走り屋とそのファンの辞書にお口にチャック、という言葉はない。火のないところでマッチを擦る、という言葉はあってもだ。
追っかけサイトの、評論家気取りの偉そうなレビューでプロDダブルエースすわ喧嘩か、なんてことを書かれた日には文字通り火消しが大変だ。
案の定、複数のおっかけサイトにそんなことが書かれていた。
史浩は携帯とパソコンで一人何役もをこなし、「そんなことないよ! あの二人は仲いいよ! あくまでチームメイトとしてだけどね!」と掲示板に書き込み続けること数日、やっと鎮火に至ったのだ。


「……今度のはなんだと思う?」
テーブルの上の、ギャラリー差し入れの箱入りチョコレートを摘み、史浩が上目で問うた。
彼の隣で立っている涼介は「さぁな」と苦笑した。
「そうだな、また啓介が”藤原がゴムを買っていなかった”とか、そんなとこだろ」
いつぞやの痴話喧嘩の原因を言うと、涼介は史浩のチョコを一つ失敬し、代わりに100円を箱に入れた。
抱かれる側が買うべきか、抱く側が買うべきか。これは普通の男女カップルでも揉めることである。
「オレはこれに賭けるぜ、史浩」

――涼介、掛け金100円。理由・拓海のコンドームの買い忘れ。


「あっ、オレは啓介さんが他のヤツ見てたから藤原が嫉妬とか、そんなんだと思いますよ。ホラ、前にあったでしょ」
ギャラリーの整理を終えたケンタが寄ってきて、やはり史浩のチョコを一つ失敬し、いつぞやの喧嘩の理由を持ち出し、50円を入れた。

――ケンタ、掛け金50円。理由・啓介が他のヤツを見ていて拓海が嫉妬。


「……毎度毎度よく飽きませんよねぇ」
FDの整備を終えた宮口がタオルで額を拭いながら史浩のそばに来た。
「大方藤原がメールの返信遅かったとか、そんなとこでしょ」
宮口はチョコを二つ失敬し、200円を入れた。これまたいつぞやの以下略。


――宮口、掛け金200円。理由・拓海のメール返信が遅い。


「そこはやっぱり啓介さんが悪いような気がしますよ。オレとしては藤原の肩を持ちたいですから。啓介さん、”また”女の子と遊んだんじゃないですか」
しんがりは松本だ。また、の部分をやけに強調した。
スパナを手にやって来て、最後のチョコを躊躇いもなくつまみ、最年長の余裕か300円を入れた。


――松本、掛け金300円。理由・啓介が女の子と遊んだ。所謂浮気。


「……どれでもいいけどさー……」
史浩は頭を掻き、650円に自分の財布から350円を足して丁度1,000円にした。
もう二人が男同士だからとかそういうのには慣れてしまった。
「そうだなー……今までも喧嘩の理由は殆どしょうもないコトだったけどなー……」
二人的にはしょうもなくないのだ。だから喧嘩に至るのだ。
傍から見ればどうでもいいこと、それが要するに、痴話喧嘩。


「……アオカン拒否とか?」
呟いた後で、「いやそれはなー……」と史浩は自分で自分の意見に突っ込みを入れた。
当初、一筆を提出する際、涼介は「アオカンだけはやめておけよ、人の眼は何処にあるかわからないぞ」と、そのアドバイスはどうよというアドバイスをダブルエースにしたのだ。
「ま、何だっていいけど。こんな賭けに勝ってもな……」
じゃらじゃらと1,000円分の小銭の入ったチョコレートの空き箱の蓋を閉め、史浩は本業(?)に戻り、ノートパソコンを開いた。

――史浩、掛け金350円。理由・アオカン拒否(どちらが拒否したかは不明)。


「……ゴメン、藤原。オレが悪かった……」
「いえ、いいんです啓介さん。オレも言い過ぎました……」
翌日のバトル直前。
一号車の陰で、昨日のあの「ふんっ!」と「フンッ!」はどこへやら、二人は向かい合って仲直りをしていた。
(へぇ、今回は涼介の仲裁も松本の諭しもいらなかったな……)
一号車でシートを倒し、涼介と並んで仮眠を取っていた史浩は、窓の外から聞こえる声に身体を起こした。
窓から見下ろす二人のすこしきまり悪そうな、けれど仲直りしようとする様子にホッとした。
何にせよ、バトル前に一件落着だ。
また火消しに躍起にならなくて済んだだけ御の字だ。
拓海は啓介のシャツの胸の辺りに人差し指でのの字を書きながら「オレ、昨夜一晩反省したんです……」と乙女ちっくな感じで俯いている。
「オレもだ。藤原のこと、ずっと考えてた……」
啓介はそんな拓海の髪を優しく撫でている。
(――他所でやれ他所で!)
突っ込みたい、すごく突っ込みたい。ここでやるな! 人の眠りを妨げるな! と言いたい。


史浩の隣で、涼介は変なアイマスク着用でグースカ寝ているのだが。


しかしここで下手に水を差してはまた仲がこじれては困る……と史浩はぐっと気持ちを抑えた。


「……アニキと史浩とスワッピングとか、やっぱり駄目だよな……藤原が怒るのも無理はないよな」
「当たり前ですよ……啓介さん、刺激求め過ぎです……」
啓介は拓海を軽く抱きしめた。


(……え?)
史浩はわが耳を疑った。



何故自分の名前。
何故涼介の名前。
そして、その単語。


「史浩は堅物だからなーアニキはともかく」
啓介がけらけら笑う。
「オレはヤですよ、他の人とするなんて……たとえ涼介さんでも」
拓海は啓介の胸に頬をこすりつける。


(……え? Do You こと?)


それは、だ。
つまり。

(オレと涼介がそういう……)
史浩ははっとした。
あの二人は自分と涼介がそういう仲だと誤解している……。
(いやいやいやいやいやいや!)
史浩は首をぶるんぶるんと左右に激しく振った。
確かに幼馴染で仲は良くて、プロDの運営という立場上、しょっちゅう一緒にはいるけれど、自分たちは断じてそんな仲ではない。
(なんつう勘違いだ……その上、)
しかも自分たちカップルと、よりによってスワ……をしたいと啓介が言い出し、拓海が拒否って痴話喧嘩になっただなんて。
(さすがにこれは一言言わないと……!)
史浩は意を決した。


「ちょ……!」
バンの窓を開け、「ちょっと違うぞ、それは!」と言おうとした史浩の口を、後ろから伸びてきた手が塞いだ。
「んんっ……!」
強い力で引っ張られ、窓を開けようとした手が空を掻く。
どすん、とシートに押し倒され、史浩が驚いて見上げると、そこには寝ていたはずの涼介の顔があった。
「涼介……」
「なあ、史浩。――ちょっといいか?」
妙にニコニコとした、涼介の笑顔。
それがゆっくりと、史浩の顔に近づいてくる。



「史浩、オレはずっと前からお前のことが……」
涼介はそう言って、目を閉じた。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!!!」



「……っつか、そもそもまだアニキは史浩落としてねーしな」
「そーなんですか? じゃあスワッピングどころじゃないじゃないですか……」
拓海は啓介の腕の中、彼を見上げた。
啓介が「アニキと史浩とスワッピングしたい」なんて言い出すから、てっきりあの二人はとっくに自分たちと同じくカップルだと思っていたのだ。
「まぁでももうすぐアニキが史浩落とすって言ってたし……あ、そうだ。な、藤原。アニキがいつ史浩を落とすか、賭けねぇか?」
「えー……いいですけど」
「じゃあオレ、あと半月以内!」
「オレは……三ヶ月以内」



すぐ隣のバンが不自然に揺れていることに、その中で史浩が助けを求めていることに、二人は気付かなかった。


二つの賭けの結果。
最初の賭けは、勝者なし。
後の賭けは、啓介の勝ちだった。


(終)





響様・ミラー8668。
啓拓の痴話喧嘩でDメンバーが振り回される。


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