おかえり



『もしもし、お父さん、お店もう終わりました? 雨、降ってませんか?』
雑音と、騒がしい声をBGMに、学会で遥々九州まで出掛けている涼介から文太に電話が掛かってきたのは、店仕舞いの途中だった。
群馬は晴れていて、夜空に三日月と金星と一番星が仲良く並んで光っていた。
「ん? こっちはまだ晴れてるけどよ。そっち雨か?」
『はい、雨なんですよ……』
時刻は夜、学会はその日の予定を終えている筈だ。
どうやら涼介がいるのは居酒屋のようだ。
『高校の同級生と学会で会ったんで、今一緒に飲んでるんです。九大で医者をしてるんですよ』
「へぇ」
『あ、お父さん。美味しいお酒見つけたんで、買って帰りますね!』
「……ああ」
酒が少し入っているのか、それとも久々に友人と会ったからなのか、涼介は上機嫌だった。
学会に行く前は、新米医師はどうせ教授の鞄持ちだから、と不満そうにしていたのだが、涼介が鞄持ちをしていた教授は現地で大学の後輩に会い、それはそれは盛大に歓待され、涼介は晴れてお役御免となったようだ。お陰で同級生と居酒屋で一杯を楽しむ時間を与えられ、少しだが観光もしたようだ。
『ちょっと辛口なんですよ、お父さん辛口お好きですよね』
「ああ」
何の為に学会に行っているんだか、と文太は受話器を耳に当てたまま苦笑した。
『それから、明太子も買いましたし、えーと……それから何だっけ、……』
「――涼介、土産はいいからちゃんと勉強して来いよ」
薄く笑み、文太はやんわりと涼介の気持ちを元に戻そうとした。
涼介は学会で遠方に出かけるといつもそうだった。
文太には土産を欠かさなかった。文太のものばかりを買ってきた。
行った先はどうだった、と旅の感想を文太が聞くと、お父さんの気に入りそうなお店がありました、だとか、お父さんと行きたい場所がありました、だとか。そんな感想ばかりが返ってきて、文太は照れて頭を掻くことになるのだった。


上機嫌な涼介は色々と喋り続け、最後に『明々後日の9時に高崎の駅に着きますから』と言って、やっと電話を切った。
迎えに来てくれ、ということだ。
行きも、旅立つ前日にスーツケース持参で文太のところに泊まりに来た。仕方なく文太は朝一番にインプレッサで駅まで送ってやった。車から降りがけに涼介がキスをしてきて、文太が慌てて押し返したのは昨日のことだった。
「やれやれ……」
肩を竦め、文太は呆れながら受話器を置いた。
「仕方ねえヤツだな……」
またこの前の学会の時の様に、会場で買った専門書をホテルに忘れて送り届けてもらう羽目になるんじゃないだろうかと、文太は余計な心配をしてしまう。学者の物知らずとはよく言うが、医者というのは、あんなフワフワしているヤツが務まるものなのか――と。


店仕舞いをすると、文太は駅近くの、遅くまでやっているスーパーに向かった。
明日の飛竜頭や卯の花入りの材料を仕入れるためだ。
乾燥木耳や蒲鉾、人参を籠に放り込んでいき、特売の卵は少し多めに買うことにした。
「……お、」
コーラのペットボトルが特売になっているのを見つけ、文太は足を止めた。
文太は飲まないが、甘いものが好きな涼介が好んで飲んでいる銘柄だ。赤いキャップのそのペットボトルは、涼介が来る際、よく買ってきては冷蔵庫に入れられていた。そしてセックスだったり風呂だったり――汗をかくことが終われば取り出して飲んでいた。
今、文太の家の冷蔵庫にこのペットボトルはない。涼介がいないからだ。
「……」
――戻るのは明々後日、と涼介は言っていた。
「ま、……酒と明太子の礼だ」
酒と明太子の礼には少しどころでなくかなり足りないが、三本ほど掴むと、文太は籠にそのコーラを入れた。
少し歩くと、今度はアイスクリームコーナーで、涼介が「これ好きなんです」とこの間強請って買わされたバニラのカップアイスが半額になっていた。
「……酒と明太子の……」
礼だ、と文太はさっきと同じ様にそれを二つ掴み、籠に入れた。
明々後日、帰って来た涼介が喜ぶ顔を思い浮かべると、自然と顔が緩んでしまう。
文太は「どうせなら甘い菓子も買っといてやるか」と、菓子コーナーへと足を向けた。
涼介の大好きな板チョコとキャラメルと飴、それとクッキーを籠に入れる為に。


ただいま、と言うだろう涼介に、おかえり、と返す明々後日の為に。



(終)





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