ブランマンジェとケーキ おかわり
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約束は果たされた。
次の日、例のケーキ屋に昨日より少し早くおからと豆乳を届けに行くと、オーナーはテディベアの隣に鎮座していた小さな箱を、納品を終えた涼介に渡してくれた。
「はい、豆乳ブランマンジェとおからケーキ。一つずつだけどな」
箱は軽く、ひんやりとしていた。きっと涼介と文太が来る直前まで冷蔵庫に入っていたのだろう。
「ありがとうございます」
箱を受け取り礼を述べる涼介の顔は綻んでいた。
「オイ、あんまりコイツを甘やかすなよ」
文太が眉をひそめる。ただでさえ、怜悧玲瓏な見た目の涼介は、配達先で何かと物を貰う。貰えば貰いっぱなしも悪い気がしてお礼が必要で、文太は余計な気を回さなくてはいけない。断るということを知らないのか、わざとなのか、涼介は貰えるものは何でも貰う。
文太と一緒の時限定だろうが、涼介は無邪気だ。いい年をして貰った飴玉を食べずにスラックスのポケットを一杯にして喜ぶような幼さを隠さず、今も子供の様に喜んでいる。箱を手に今にも踊りだしそうで、文太は見ていてハラハラする。そんな洋菓子の一つや二つ、裕福な暮らしの涼介なら珍しくもなんとも無いだろうに。
「いいじゃないか。文太も食えよ。自分の作ったおからと豆乳が材料だぜ」
オーナーの後ろには『豆乳ブランマンジェ 伊香保温泉こだわりのお豆腐屋さん直送の豆乳を使用』と書いたPOPが見える。
「甘いもんは食わねー主義だ」
「研究熱心じゃねえなぁ、全く」
ふんっ、とそっぽを向く文太に、オーナーは肩を揺らして笑った。文太の頑固さは、昔とちっとも変わらなかった。
その隣で無邪気にはしゃいで、箱を開けたそうな顔をしている涼介がいる。オーナーは「次があるんだろう、早く行けよ」と促した。
ケーキ屋を出てすぐの角を曲がると、涼介は早速箱を開けた。
「わぁ……」
涼介が感嘆の声を上げる。インプレッサの車内に、甘い匂いがふんわりと広がる。
白い瓶に入ったブランマンジェと、三角形のしっとりとしたキツネ色のおからケーキ。おまけに、車の形のクッキーが一枚入っている。
「とても美味しそうですよ、お父さん」
「涼介、ここで食うなよ。行儀悪いぞ」
ブランマンジェについていたプラスチックスプーンの封を切ろうとした涼介を横目で見た文太が言った。
「家まで待てねーか」
「……今すぐ食べたいです、それに」
「それに?」
「帰って来ても玄関で靴をそろえない藤原の方が、よっぽど行儀が悪いです」
「…………」
涼介が反論した。文太はちっ、と舌打ちした。
拓海の行儀の悪さは、文太の躾の結果だ。遠まわしに、文太も行儀が悪いのだと言っていることになる。
そう言われてしまうと、これ以上ダメだとは言えない。
「……じゃあ一つだけだぞ。両方食うなよ」
一つにさせたのは文太の精一杯の反論だった。
涼介はわかりました、と嬉しそうに返事をし、豆乳ブランマンジェの瓶の蓋を開けた。カコンと音がして、大豆特有の濃厚な匂いが先ほどの甘い匂いの上に重なる。
プラスチックのスプーンでひと掬い、白色は少し拒んで裂け、スプーンに身を預ける。涼介がそれを口に運ぶ。んー、と味わい、ゴクンと飲み込む。
「お父さん、……凄く美味しいです。あんまり甘くないし、豆の味がしっかりします」
甘くないといわれても、文太の鼻の奥にムズムズくるこの甘い匂いはどうもいただけない。
「そうか、良かったな」
「お父さんも一口食べませんか」涼介が再びブランマンジェをスプーンで掬おうとする。
「オレは甘いもんは食わねーっつったろ」
「でも、せっかく下さったんですよ?」
「いらねぇよ」
「お父さんの作った豆乳なのに」
「お前の甘くないは信用できねえな」
「どうしてですか」
「お前、さっきまで飴舐めてたろうが」
「…………」
他所では多分そんなことは無いのだろうが、文太の前だけだろうが――すぐに拗ねる。
そのこらえ性のなさは子供の時の拓海以上だ。
萎れた花の様にしょぼんとした涼介に、文太は心の中で、またか、とため息をつく。
いい年をして拗ねてもばかばかしいだけだが、涼介はこの風貌。なにせ目立つ。自分と一緒にいる涼介が拗ねているのを他人に見られ、二人の仲をあれこれ勘ぐられるのは面倒だ。
「……一口だけだからな」
「はい!」
すると、途端にニッコリ。変わり身の早さも涼介ならではだ。
信号待ちで停車し、文太はン、と横を向いた。嬉しそうな涼介がシートベルトを外し、ブランマンジェの載ったプラスチックスプーンを差し出し、薄く開いた文太の口にそれを差し込む。
「……やっぱり甘いじゃねえか」
「そうですか? ……あ、お父さん、口」
「ん?」
涼介が掬った量が多すぎたのか、口に入りきらなかったブランマンジェが、文太の口端に着いた。
口、と言うが早いか、何のためらいも無く、涼介が顔を近づける。文太の口の端に載ったままのブランマンジェを自分の唇で拭う。ちゅ、と音までさせて。
「おい、やめろ! 往来だぞ!」
驚いた文太が涼介を押し返す。
「ふふっ」
押し返された涼介の顔には、成功、と書いてあった。
「ったく……誰かに見られてたらどうするんだ!」
信号は青になり、文太はシフトをローに入れる。この時間の中心部の道路はゆっくりとしか進まなくてじれったい。
見られませんよ、という返事を期待していた文太だったが、涼介は「あ……」と、しまった、を孕んだ一文字をつむいだ。
「どうした」
「――見られていたみたいです、お父さん」
「なにぃ?」
ホラ、と涼介が車線の前方を指差した。
そこには見たことのある社名を記したトラックがハザードをつけて路肩に停車しており、その横でには見たことのある制服を着た、見たことがありすぎる青年が、段ボール箱を抱えてこちらを見ていた。
「……拓海……」
インプレッサはゆっくりと拓海の隣を通り過ぎた。
涼介はきまり悪そうに、俯いたまま。
文太は拓海の顔を見ずに。
「何……やってんだよ……あの人達……」
父と涼介が目の前で繰り広げた光景に拓海は呆然とした。……が、やがてそれは怒りへと変化していった。
「あンの馬鹿オヤジと馬鹿バイトっ……!」
「また藤原の機嫌が悪くなる……」
拓海の横を通り過ぎ、涼介はブランマンジェをちまちまと口に運びながら、弱弱しく呟いた。
先月の夕食時、文太にベタベタ纏わり付く涼介に、拓海が涼介さんいい加減にしてください! とキレて家を出て行ってからは、あまり拓海の前ではそうしないように、と文太にきつく言われていたのだ。
「やっちまったモンはしょうがねえだろうが……父親の面子丸つぶれだぜ、オレぁ」
文太は煙草を咥え、苦々しげにため息をついた。
こんなことなら涼介を拗ねさせておいた方がましだったかとか、だから言ったんだ、とか、今更涼介を責めたところで、後の祭りだ。
19年かけて文太が築いた拓海の中のオヤジ像は、風前の灯どころか、びっしょりと床上浸水状態。会社から帰って来た後の拓海の冷たい視線は今までの冬レベルからツンドラ気候に変化しているだろう。
「おからケーキで、藤原は勘弁してくれないだろうか……」
涼介は三角のキツネ色のケーキを見つめた。
「んなモンで買収できっかよ、あの頑固息子が」
押しかけ息子よりも本家息子の方が、一度機嫌を損ねると、たちが悪いのだ。
(終)
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