かくれんぼ
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文太の昼寝を中断したのは、往来から聞こえてくる騒がしい子ども達の声だった。
(――うるせえな……何処のガキ共だ……)
折った左腕を枕に、居間のテレビの前で横になっていた文太はち、と舌打ちをした。自分だって昔はその『ガキ』で、祐一や政志達とこの辺りを我が物顔で走り回っては、今はみなご隠居になっている当時の店主達に叱られていたことなど棚に上げて。
ごろり、寝返りを打って店の方を向くと、入り口の方へと視線を辿る。
半分閉めたシャッターの下、店の入り口のガラス戸の向こうに小さな足が何本も見え――その端に、スラックスと革靴の長い脚が見えてぎょっとした。
「じゃあ、ユウキが鬼だ。20数える間に皆で隠れるんだぞ。一番最初に見つかったら、次の鬼だ」
「うん!」
「わかった」
仕切っている低い声は、そのスラックスと革靴の主……涼介のものだ。
涼介の声に、聞き覚えのある近所の子ども達が同意する。
(何やってんだ、アイツは……いい年して)
もう24にもなるのに、小学生の子どもに混じって遊んでいる。どうやらかくれんぼのようだ。
昼寝の前、文太は涼介に店番を頼んだ筈だが、その店は明かりを全て消し、シャッターを半分下ろされていた。
(使えねぇバイトだな……ま、別にいいけどよ……)
どうせ平日だ。客足も鈍い。開けていても果たしてどれほど客があったことか。
来るか来ないか分からない客を待つよりは、ここで店を一旦閉めた方がいいと涼介は考えたのだろう。
あと二時間もすれば商品を受け取りに来る焼き鳥屋やおでん屋に涼介が一ト声、ふた声添えれば頼んでいた品以上に買ってくれるのだから。
「じゃあ、数えるよ!」
金物屋のユウキが声を上げると、子ども達の声がわあっ、と散らばる。
「いーち、にー、」
ユウキは藤原豆腐店の半分閉めたシャッターに向かっていた。細い足と、こちらを向いた使い古したスニーカーが見える。
(……やれやれ)
文太はよっこらせ、と起き上がった。
「じゅうさん、じゅうし」
節をつけるユウキの声が響く。
散らばる時にはあれほどあった子ども達の声は、あっという間に潜んでしまった。
サンダルを突っかけると、文太は店の奥の冷蔵庫を開けた。
「……十本もありゃ充分か」
いつ入れたものかは忘れたが、貰いもののジュースの缶が十本ほど並んでいる。
店の前で遊ぶ子ども達に、営業妨害だからよそに行け、と言うための、いわば袖の下だ。
その子ども達の中に、涼介も含まれている。涼介には、よそで遊べではなくバイトに戻れ、と言うべきか。
勢いをつけて冷蔵庫を閉めると、並んだ缶が揺れた。
「じゅうなな、じゅうはち」
駐車場へ出るドアから外に出ると、案の定だった。
「……お前、なぁ」
文太は予想通り過ぎる展開に、肩を竦めた。
駐車場に止めたインプレッサの影に神妙な顔でしゃがんでいたのは、涼介だった。
涼介は文太に気付くと、人差し指を口の前で立てて、しっ、と合図した。
本人はいたって真面目である。こみ上げてくる笑いを噛み殺し、文太は涼介の隣にしゃがんだ。
「隠れるならもっといい場所があるだろうによ……」
「にじゅう!」
ユウキの声が最後の数字を告げ、軽い足音が隠れた仲間を探しに走る。
「……ここが一番いいって思ったんです」
潜めた声で、涼介はぽつりと呟いた。隣にしゃがむ文太を見て、にっこりと笑った。
「隠れるんなら魚屋の裏が穴場だぞ」
文太が子供の頃から、そこはこの辺りの子ども達の隠れ場所の定番だった。
トロ箱を入れる掘っ立て小屋があり、その裏の塀の下がいい具合に隠れられるのだ。
「あそこ、オレの身体は大き過ぎて入らないんです」
涼介が口を尖らせた。どうやら一度試したようだ。
「そりゃ仕方ねえな」
そういえばかつての自分も、あの隙間が窮屈だなと思い始めた頃にガキ大将ごっこを卒業したことを思い出し、文太は胸ポケットに手を入れようとした。その手を、涼介が止める。
「駄目です、タバコなんて吸ったら直ぐばれちゃいます」
狼煙と同じですよ、と涼介に言われ、文太の指先は触れていたソフトケースから離れざるを得なかった。
「めぐみちゃん、見つけ!」
古美術屋の孫娘が真っ先に見つかった。
「――どっから何処までだ?」
隠れる範囲のことを、文太が訊いた。文太が子供の頃は坂の上から下までが定番だった。
「英語の塾から、お蕎麦屋さんまでです。小さい子もいますし酒屋さんの辺りは車の通りも多いので、範囲はそんなに広くしませんでした」
「そうか」
大した範囲ではないようだ。見つかるのも時間の問題だろう。
「それにしたってな、涼介」
「はい」
文太と涼介は改めて顔を見合わせた。
大の男が二人、車の陰にしゃがんで隠れてひそひそ話。知らない人間が見れば珍妙な光景だ。
「いい年してガキと遊んでんじゃねえよ……」
「……ごめんなさい」
だって、お父さんが寝てしまってつまらないから――と、涼介は折った膝に顔を半分埋めた。
「退屈にしてたら、あの子達が仲間に入れてくれたんです……」
そんな子どもみたいなことを口にした涼介に、文太は彼が傍からは想像し得ないほどの孤独を抱えていたことを思い出した。
何でも出来て、何にでも恵まれて、誰からも羨まれて――しかし涼介は誰かに心を赦したり、本気で笑ったり泣いたり遊んだり、ましてや甘えたりしたことがなかったのだ――文太と出会うまで。
「みんな、とても優しいんですよ。一緒に遊んでくれたし、大人のオレを仲間に入れてくれて、友達の証にってこんなものをくれたんです」
ほら、と涼介は胸ポケットからカードを出して見せた。
最近子ども達の間で流行っているゲームのカードだ。
「レアカードなんだそうです。なかなか手に入らないんです」
嬉しそうに笑む涼介は、きらきらとホログラムが光る、ギリシャ神話の女神が描かれたカードを文太に誇らしげに見せて、胸ポケットに丁寧に入れた。
「――そうか」
自然と文太の顔は綻んで、手は涼介の頭を撫でた。
涼介がここで自分に甘えているのは、歳よりも幼いのは。今までしたくても出来なかったことを、今更の様になぞっているからなのだと、改めて思い知った。
「ジュン君みっけ!」
ユウキの声に、二人は顔をそちらへと向けた。
「みんなみつかった?」
「後は涼介お兄ちゃんだけだよ」
「やっぱりお兄ちゃん、大人だもん。かくれるの上手いよ」
どうやら後は涼介だけのようだ。
「……灯台下暗しだな」
文太は呟いてくっ、と笑った。鬼のユウキはこの店のシャッター前にいたのだ。
まさか涼介がこの店の駐車場に隠れているとは思わないだろう。
「――お父さん」
「ん?」
涼介の声が少しの甘えを孕み、細い指が文太の袖を引っ張った。文太はある予感を胸に、誘われるように涼介の方を向いた。
「――……」
当たり前の様に、吸い寄せられるように。
文太の唇に、涼介の唇が合わさった。
甘い飴のような味がした。
「あっち、行ったんじゃないかな」
「お蕎麦屋さんの方?」
「さがしに行こう」
「うん」
子ども達の声が遠ざかっていく。
もう隠れる必要はなくなったというのに、二人はそのまま息を潜め、インプレッサの影で唇を合わせていた。
涼介の指が文太の服を掴み、文太の手が、涼介の頬に添えられた。
先に舌を絡めたのは、文太の方だった。
(そろそろ出ないと、みんな帰っちゃう……)
涼介は蕩けていく脳の片隅で思った。皆、最後の自分を探しているのだ。
それでも心地良い口付けは止め難く、気付けば涼介は文太に抱きしめられていた。
「涼介、」
やっと唇が離れ、涼介の耳元で二階行くか、と低く優しい声で文太が呟いた。
「……いっ……今は、駄目ですっ!」
顔を真っ赤にした涼介が珍しく文太を押し返し、ユウキたちの元へと慌てて駆けて行った。
ワイシャツの裾をスラックスからはみ出させた後姿が慌てて角を曲がっていく。
文太は細い目を更に細めてそれを見送り、やっとタバコを口にした。
(終)
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