「雨、近いな」
暗い車内で、キーを抜きながら文太が呟いた。カチ、という音がした。
空気は湿り、夜空には星一つ見えない。もったりとした雲がかかっているのがフロントガラス越しに見え、この後の天候が雨であることを伺わせた。
「……そう、で、すね」
ナビに浅く腰掛け俯いたまま、涼介が同意した。しかしその声は震えていた。
今日の涼介はいつもと違っていた。彼は黒いパーカーのフードを頭から被って顔を隠していた。
「もう我慢できねぇか?」
涼介の声の震えに、キーをポロシャツの胸ポケットに放り込んで文太が訊いた。涼介の、カーゴパンツを穿いた膝に置いた手がぴくりと動いた。
ノーではない、イエスということだ。
薄闇に涼介の白い手はぽわりと浮かび上がっていた。だから分かった。文太はふん、と笑うとドアートリムに手を突っ込み、探り当てたソフトケースから一本を出して咥えた。
「まぁ、待ってろよ」
ちらと外を見れば、二人の乗ってきたインプレッサが停まっている場所から大分離れた所に、沢山の人間が、そしていかにもな車が数多く集まっている。
この駐車場の入り口付が特に人と車が多く、薄暗い街灯の代わりにシルビア二台がヘッドライトを提供し、その辺りを明るく照らしていた。
「どっちが勝つと思う?」
文太が訊いた。涼介は白い手を微かに震わせ、ごくりと息を呑んで、それから言葉を選んだ。
「そう……ですね、車の……性能なら、34に分があるかと……でも……中里の持ち味が……」
「あっちの性能を上回るってか」
文太が纏め、涼介はフードごと頷いた。
「ま、どっちでもいいけどよ……ちょっと今時の若いヤツらの走りでも見てくるか……」
少しだるそうに車外に出る文太を、フードの下から恨めしそうな目が見つめていた。

バタン、とドアが閉じられ、文太と涼介が隔絶された。
(……言うんじゃなかった、あんなこと……)
当たり前の様に取り残された車内で、涼介は膝の上の手をぎゅっと握った。
「……ッ、」
もう、彼の身体は身体は限界に近かった。
ここに来る前、文太の手によって身体の奥深くに埋め込まれた淫具は涼介の中で静かに暴れている。低い音と振動が、涼介の排泄器官からしている。
「ぁ……、」
文太自身を受け入れる場所に埋め込まれた淫具は、涼介の中を我が物顔で抉り、振動している。
そのリモコンは文太のジーンズのポケットに入っていて、強くするのも停めるのも文太の心積もり一つだ。


不意に、振動が強くなった。
「っ、そんな……ッ……!」
ちら、とフードの下から車外を見れば、文太は暢気にギャラリーの群れに向かって歩いている。その両手がジーンズのポケットに入っていた。
「あ……や……ぁ、」
強すぎる、と涼介は思った。性感帯を刺激するこの刺激から少しでも逃れようと身を捩れば、淫具もまた当たり前の如く涼介の中で動き、不意打ちで涼介の敏感な箇所を擦り、ビクッ、と涼介の身体は跳ね、前のめりに崩れた。
「……ふ……ッ、」
膝に顔を埋め、涼介は耐えていた。
直接ではないが文太に与えられている、愛撫に。


「……ピリピリしてんな」
咥えたタバコに火をつけず、文太はギャラリーの群れの一番端に付いた。
ギャラリーに近づくにつれ、もったりと湿った空気がぴりぴりしていた。群れは真ん中がぽかりと開き、そこに向かい合って腕組みをして立つ二人の青年がいた。この空気は、この二人のせいだ。
今にも殴りあいそうなぎらぎらした眼差しで二人は互いを睨んでいた。それぞれの愛車は傍らにあり、アイドリング中だ。
「穏やかじゃねぇな」
呟くと、文太の隣に居た同い年位の中年男が振り返り、「そりゃ、意地ってもんでしょ」と小声で笑い、肩を竦めた。
「お宅も若い頃はああやって腕組みしてたクチじゃないんですか」
「……ま、否定はしねえけどな、アンタもだろ?」
「そりゃあ」
二人して肩を竦めた。
今宵、この妙義の山ではバトルが行われることになっていた。元々この山をホームとしていた中里毅率いる妙義ナイトキッズに、最近この山をホームとし始めた新しい別チームが挑む。どちらもチーム名に妙義を掲げ、GTR乗り。中里の32に対し、相手チームのリーダーは34。ダウンヒルの一本勝負。
妙義をホームとするもの同士のバトルに、週末の峠は賑わっていた。
「随分人が多いな」
「ここのところ、群馬の峠に面白いバトルってなかったからね……プロジェクトDももう終わってしまったし」
中年男の口から出た、プロジェクトDという言葉に文太はタバコを歯噛みした。
「ダブルエースはプロに行って、リーダーの高橋涼介は走り屋引退……群馬エリアは一気に地味になってしまったなんて言われてたから」
「……ふぅん」
文太はポケットに入れた手の中で、小さなリモコンを弄んでいた。その真ん中のツマミをそろりと下げ、このリモコンと繋がる器具を身体に埋め込まれている、車内に残してきた涼介の刺激を少しだけ和らげてやった。

「……は……ぁ……」
振動が少し弱まった。涼介の口から、切ない吐息が零れ、熱病の様に沸々としていた思考が少しだけ楽になった。
カーゴパンツの中で、涼介自身は可哀想な程に硬くなっていた。しかしそれに自分で触れることは文太によって赦されてはおらず、下着の中で開放を待ち、鈴口から切ない涙を垂らしているだけだった。
(お父さんッ……)
カーゴの膝に額を擦りつけ、涼介は文太を心の中で呼んだ。
こんなに切なくなるのなら、苦しいのなら、何時もの様に家であっさりと抱いてもらえばよかったのだ。
(ごめんなさい、赦して……下さい、だから……ッ、)
赦しを乞う言葉を、心の中で繰り返した。もう耐えられない、耐えることなどできない。これ以上。


酔った勢いとはいえ、あんなことを口にしたのが間違いだったのだ。今埋め込まれている淫具も、文太に会えないときに一人で楽しむ為に内緒で買った物だったのだ。
昨夜、文太を煽ったつもりが煽られた。
『買ったモン見せてみろよ』
酒臭い声が耳元で絡んできて、思わず頷いたのがいけなかった。言われるがままに見せなければ良かったのだ――。
膝を抱える手が震える。弱まったとはいえ淫具はまだ涼介の身体に埋め込まれたままで、相変わらず振動を続けているのだ。
服を寛げて抜いてしまえば楽なのだろうが、そんなことをすれば文太の機嫌を損ねてしまう――。
バトルをする二人と同じく、涼介もまた、意地を張っていた。
(駄目……だ……)
目尻を、知らずに熱い涙が流れていた。

峠で 1




(続)





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