きっかけは割と些細なことだった。
何日か前、涼介は文太の晩酌に付き合い、珍しくアルコールを口にした。次の日が非番だったからだ。
『――この間みたいに、寝ちゃわないでくださいね?』
ハイペースで杯を重ねる文太にそう言った。少し酔いが回って、口が軽くなっていた。
冷たいビールの缶を手に、文太にしなだれかかって甘えてみたのがいけなかった。
この間、とは、その更に数日前。
文太が深酒をしてそのままちゃぶ台に突っ伏して寝てしまって、結局、予定していた赤城山の麓のホテルに行けなかったことだ。
『お預け食らわされるのは、寂しいですから』
『ふん』
結局、起こしても起きない文太をそのまま寝かせて、涼介は火照った身体を持て余したまま、この家を後にせざるを得なかったのだ。
重たい、と文太は寄りかかる涼介をうっとおしそうに押し退け、そういえば……と思い出したように訊ねてきた。
『お前……オレと出来ねぇ時はどうしてんだ。自分で始末つけてんのか?』
『え、』
素面のときなら決して口にしないような質問だった。
『そうですね……まぁ』
『しごいてんのか』
『それもありますし……そういう、ものがありますから……』
缶ビールに視線を落とし、涼介がきまり悪そうに答えた。
『もの?』
『道具って言うか……玩具って言うか……』
酔っていたせいだ。つい、口を滑らせてしまった。しごいているのか、に同意すればそれだけでよかったのだ。
そういうものを使っていることを、涼介は文太には頑なに隠していた。そういうものの世話になっていることを文太に知られれば――それが万が一、文太の機嫌を損ねた時であれば――
『そういうものがあるなら、オレとセックスしなくていいだろう』
と言われることを恐れていたからだ。
それが、この夜は文太も機嫌が悪くなかったし、涼介はアルコールのせいで……その道具のことをついうっかり明かしてしまった。
『……どのツラ下げてンなもん買いに行くんだよ』
『お店じゃなくて……通販ですよ。ネットの』
『ほぉ』
『今、FCに入ってるんです』
『持ち歩いてんのか』
『いえ。通販の商品を、コンビニで受け取れるんです。昨日、仕事の帰りに受け取って……』
そこまで明かしてしまえば、後はもう流されるがままだった。
見せろと言われ、素直にFCに取りに行き、こんなものです、と文太の前に真新しい玩具を並べた。
ローターが何種類か。ビーズ。ローション。そして、塗ると性的な興奮を高めるというクリーム。
文太は珍しがりながらも一つ一つを手にし、しげしげと眺めていた。ローターのリモコンスイッチを押すと、卵型が激しく振動し始め、驚いて取り落とした。
『こんな便利なモンがあるなら――別にオレがいなくてもいいだろ』
取り落としたものを拾い上げながらの文太の台詞。涼介が予想していた――恐れていた言葉だった。
『これは……我慢できます。耐えられますけど……お父さんにされることは我慢できないから……』
もしもそう言われたら――こう返そうと、用意していた言葉で返した。


『じゃあ、試してみるか?』


耳元で囁かれた酒臭い挑発に、頷かなければよかったのだ。


「ふ…ぅ、うっ・……!」
涼介は膝に顔を埋めたまま、必死に耐えていた。
文太が頻繁に強弱を変えていて、強くなったかと思えば弱くなり、また強く、かと思えば途端にスイッチを切られ――と、予想できない動きに翻弄されていた。
これが自分で楽しむ時なら、不意打ちは不意打ちではない。あくまでも予定調和だ。
「あ゛、あ・あ……!」
胎内で暴れ回る玩具は、文太の意地悪そのものだった。



「中里毅、下りの一本勝負だ」
「ああ」
涼介が責め苦に必死に耐えている頃、今宵この峠のメインイベントであるバトルは今まさに火蓋が切って落とされようとしていた。
挑発的な34乗りは中里より若い。既にあちこちの峠で有名な走り屋にバトルを挑んでは勝ち続けていた。
「……ギラギラしてんな」
ポケットに手を突っ込んだまま、文太は小さく笑んだ。隣の同年代の中年男も頷いた。
「アドバンテージは向こうにあるね」
「まぁな。34が380馬力……32も同じくらいか」
ポケットの中で、文太はリモコンの電源ボタンを押すと、コントロールを最強にした。


「あ゛・ああ……っ!」
また訪れた不意打ちに、涼介は情けないほどの声を上げて手を握りしめた。エンジンを切った車内の空気は温み、涼介一人の熱気で窓が曇ってきた。
パーカーの袖から出した指先は真っ白になり、額に浮いた脂汗がカーゴを汚した。


車窓を叩く軽い音がして、涼介はハッとした。顔を見られぬように恐る恐る視線を上げると、インプレッサの中を若い女性が心配そうに覗き込んでいた。
無視することも出来ず、涼介は渋々、少しだけドアを開けた。車内よりもやや低い外気が流れ込む。
「……はい、」
「あなた、大丈夫? さっきから随分苦しそうだけど……」
女からは消毒液の匂いがした。
「私、看護師なの……なんだか体調が悪そうよ?」
「……あ、……」
「連れの人はいないの? 今ならまだバトルが始まる前だから、麓の病院に……」
「い、いえ……大丈夫ですから……」
見知らぬ女は医療従事者として正当な心配をしたまでだ。涼介は誰かに見られていたことに僅かに焦りを覚えた。
確かにこんな暑い夜に、バトルを見ようともせず車内で蹲っていれば、誰だって不審に思うだろう。医療関係者ならなおさらだ。
「本当に? 顔色悪いわよ?」
彼女が顔を覗き込もうとしてきて、思わず
「大丈夫ですから、」
と顔を背けた。
その間にも涼介の中の玩具は不規則な振動を続け、涼介は「ひっ、」と小さく跳ね、看護師の女は「ほら、やっぱり調子悪いじゃないの」と涼介の肩を摩った。
「本当に、大丈夫ですから……!」
彼女の手を払い、慌ててドアを閉じた。女は「ちょっと、」とまた車窓を叩いたが、涼介が頑として此方を向かないのに窓越しに聞こえるほどのため息をつき、「調子が悪かったら言ってね?」と念を押し、仕方なさそうに踵を返してギャラリーの群れに帰っていった。
(――危なかった……)
涼介はほっとしたが、――入れ替わりに此方に向かってくる人影に、息を呑んだ。


文太だ。


やはりポケットに両手を突っ込んだままだった。女とすれ違い、ずんずんと此方へと向かって――当たり前だが、運転席のドアを開けた。
「あ、……」
文太は無言で乗り込んでドアを勢いよく閉めた。
「心配されてたな」
「……はい、」
震える声で、涼介は頷いた。どうやら女とのやり取りを見られていたようだ。
「ま……中でいるとそうだろうな」
「……」
ふ、と小さく笑うと、文太はドアートリムから小さな容器を出し、蓋を開けた。中身は真新しいクリーム。
先日、玩具――今涼介の中で振動しているものと一緒に買ったものだ。
塗ると性的な興奮を高めるというクリームだ。
「……ッ、」
「これ塗って……外、出ろ」
人差し指でクリームをひと救いすると、それを涼介の目の前に差し出し、命じた。
「……はい、」
断ることなど出来ない。涼介はパーカーのジッパーをそろそろと半分ほど下げた。
その下は、素肌だった。
汗ばみ、粟立った色の白い涼介の胸元に、クリームを乗せた指先が迫ってくる。
「う……」
何度か使ったことのあるクリームだ。効果は分かっている。
「ッ、」
ひんやりとしたクリームが、涼介の乳首に、やけに丁寧に塗り込められた。涼介が自分でするときよりも、多い量だ。
もう片方にも同じ様にされた。
残ったクリームを涼介の腹で拭うと、文太の指はジッパーを上げた。
「出ろよ」
顎で外を示された。


二人のR乗りは夫々の愛車に乗り込み、白と黒が頭を下りに向けて並べているところだった。


峠で 2




(続)





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