猫かぶり、ずるい人(宮拓)
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今年はここ数年にしては珍しく秋がはっきりと訪れた。
昼間は兎も角、朝夕はかなり冷え込んで、寝る時は窓を閉めなくては風邪を引いてしまう気温になった。
確か去年の今頃はまだエアコンをつけて寝ていたと思います、そう拓海が言うと、宮口は頷いて「ウチも確かそうだった」と同意した。
そんな些末な日常会話を、どちらも裸で、豪奢というよりケバいといったほうが正解の、ラブホテルのベッドで交わしているのが拓海には滑稽に思えた。
「着るもの、困るよねー……」
トレードマークの眼鏡を掛けながら、宮口が半身を起こして言った。
「そう、ですね」
まだベッドに仰臥したままの拓海は曖昧に相づちを打った。
「今時分はさ、何かと不便だよ。夏本番よりも今時分の方が年ごとの温度差、大きいんじゃないかな。動いて体が温まる位の気温が仕事的には一番楽だな。冬の始まりくらい……」
「……はぁ」
言うことはそつがなくて、いちいち当たり前のことばかりなのだが、どこか説得力がある。その語り口調に、人は騙される。割と簡単に。
拓海の口元がふ、と緩んだ。
「藤原、風呂」
「え、」
宮口が急に振り返り、思い出したように話題を変えた。宮口の長い金髪が揺れた。
「もう一回、入れば?」
「あ、」
「汚れてるし……冷えちまうぜ」
「そう、ですね」
「まだ暖かい筈だから、ほら」
ぽん、と肩を叩かれ、拓海は慌てて起きあがった。
「ここのボディソープは匂わないから、誰にも疑われないよ」
ニッ、といたずらっこの様に笑む宮口の言葉の意味を理解するのに、コンマ三秒。
前に行ったホテルのボディソープがひどく匂いのきついもので、帰宅した際に匂いをかいだ父親の文太に女が出来たのかと疑われ、しつこく問い詰められたのだ。
「……別に」
「疑われるのヤだろ? ほら、早く行けよ」
背中を押され、半ば無理矢理ベッドから追い出される形で、拓海は二時間前、行為の準備の為に入ったバスルームにもう一度足を踏み入れた。
二時間前に貯めた湯はまだ熱い。
肩まで浸かり、深く息をついた。
曇ったガラスごしに宮口が動いているのがわかる。部屋の片づけをして、退室時刻に備えているのだろう。
「……わかんねー人……」
拓海がつぶやいた声は、ちゃぽん、という水音にかき消された。
普段は理論的で人当たりが良くて。
プロDの中では松本に次いで年長者だが、松本同様腰は低いし、プロD発足当時に裏方に徹すると公言したとおり、表に出しゃばるようなことはない。
仕事はいつも完璧だ――啓介のFDや走りを見ればわかる。
だからみんな、「騙される」。
それが宮口の全てなのだと。
「……裏だらけじゃん、あの人」
広い湯船の中、拓海は足を延ばせばいいのに膝を抱えていた。家の風呂でついた長年の癖だ。
「あんな、……こと、さ」
膝に顎を埋めると、口の辺りまで湯に浸かる。
五文字の、あんなことという言葉に凝縮させた、今さっきまでの二時間。
閉じた瞼の裏で反芻してしまう宮口との性行為。
温厚という言葉はどこへやら、サディスティックで、強引で、有無を言わせず、その癖ちゃんと言うべき甘い台詞は耳元で囁いてくれて、イきたいときにはイかせてくれて――と、飴と鞭を巧みに使い分けてくる。引き際も、押し時も心得ていて……。
気づいたらもう、十回以上は宮口とそういう関係を結んでいる。
「オレ……タチの悪い人に捕まっちゃったのかなー……」
藤原、暇かな。よかったら飯でも食う?
あの日、暇を持て余していたら、それを察したかのように珍しく宮口が近づいてきて、誘われた。二人で食事に行ったことがなかったわけではなかったし、いつもと同じ温厚な顔で言われたものだから、なんの疑念も抱かずに頷いてしまった。それが運の尽きだった。
酔わされて、無理矢理に近い形で関係を結ばされ、それが最初だ。
それからは、もう。
引きずられるように。
プロDの中で、宮口はそういう雰囲気は全く感じさせない。それどころか、自分はFDのメカニックで拓海はハチロクのドライバーだからと、どこか一線を引いていて、拓海と宮口はプロD内では会話も少ない組み合わせだ。
ベッドに入れば豹変。
イヤじゃないのは、ひとえに宮口のテクニック、というべきだろうか。
「寝てるのか? 藤原」
ガラス戸が少し開いて、穏やかな顔が覗いた。
「おっ、起きてますよ」
慌てて膝立ちになった。
「だったらもう上がれよ。ふやけちまうぜ」
穏やかな顔は穏やかな笑みを作り、ガラス戸は閉まった。
さっきとは正反対の。
「……はい」
拓海の両腕を戒めて、限界まで脚を開かせて、卑猥なおねだりの台詞を言わせて、抉るように突き上げて、顔にぶっ掛けてきた人とは思えない。咥えタバコの悪辣な笑みは、どこにいったのやら。
「……猫かぶりだよな、あの人」
それも、随分な。
嫌だと拒めないのは、離れられないのは。チームメイトだとかそういうレベルの話ではなくて、翻弄されているからなのだろう。
「ちぇっ……大人ってずりぃな……」
拓海が勢い良く湯船から上がると、ガラス戸の向こうで何か飲むか、と聞く声がした。
「オレ、コーラがいいです!」
返事をしながら、拓海は濡れ鼠のまま行儀悪く浴室を出た。
(終)
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