我儘の結果
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拓海の仕事は運送屋だ。普段はプロジェクトDのダウンヒラーだの北関東有数の走り屋だと言われても、職場では一年目のペーペに過ぎない。
鶯色の上下の作業服を着て、今日も今日とて先輩に指示を仰ぎ、大量の荷物の積み下ろしに汗を流していた。
「藤原君、携帯鳴ってるよ」
「え、」
昼過ぎ、集荷先で荷物の積み込みがひと段落し、拓海が伝票を整理していると運転席から先輩ドライバーが顔を出した。
普段はマナーモードにしていた携帯だが、今日に限ってその設定をし損ねたらしく、助手席から聞きなれた着うたが流れている。
「あ、すみません!」
慌てて助手席に駆け寄ると、ドアを開け五月蠅い携帯を引っ掴むとシェルを開いた。
「マナーモードにしといてね」
と苦笑する先輩にすみませんを繰り返していた拓海は携帯を見て驚いた。
「……オヤジ?」
電話を掛けてきたのは、文太だった。
オヤジ、の三文字と文太の携帯番号が液晶画面に表示されている。
(どうしたんだろ、オヤジが携帯からオレに電話なんて珍しい……)
拓海の驚きにはちゃんと理由があった。
文太は何せ無精者だ。そもそも拓海の携帯に掛けてくること自体が殆どない。その文太から、こんな仕事中にかかってくるということは、余程の理由がある筈だ――短い時間に拓海はそう判断した。
(なんだろ……もしかして、ばあちゃんになんかあったかな……)
叔母と暮らしている祖母のことが直ぐに頭に浮かんだ。拓海が考えている間にも、携帯はしつこいくらいに鳴っている。
「あの、父からなんですが急ぎかもしれないんで、出ていいですか」
「ああ、いいよ。出てあげて」
「すみません」
先輩に一言断りを入れ、拓海は通話ボタンを押しトラックの陰で携帯を耳に当てた。
「も、もしもし……」
『ああ、拓海か』
「オヤジ? どしたんだよ、こんな時間に……オレ今仕事中なんだけど」
先輩に背中を向けて、一応声を潜めた。
『分かってんだがな、今日……何時くらいに帰ってくるんだ』
気のせいだろうか。文太の声が、掠れている気がする。
「え? ……今日は早上がりだから5時過ぎには戻れるけど」
『そうか。いや、実はな。オレの体調が悪くてな……頭がぐらぐらするんだよ……』
「――マジ?」
文太からの珍しい弱音に、拓海の声が思わず裏返った。素っ頓狂な声を上げてしまってはっとして拓海が振り返ると、先輩が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「体調悪いって……どうしたんだよ、オヤジらしくもない……」
軽い風邪をひいたりはするけれど、こんな風にSOSを出すほど文太が体調を崩すことなんて、拓海の記憶にはあまりない。いつも元気でタバコと酒が薬だと豪語して憚らないのに。
『いやぁ、オレももう年なんだろうよ……ふんばりがきかねえんだろうなぁ。ちょっと無理したらこのざまだよ。悪いんだが帰って来たらレイクサイドホテルに、配達のケースを引取りに行ってくれねえか』
「あ、……そりゃいいけど……」
朝、秋名湖畔のホテルに配達した際豆腐を入れるケースは、何日か分が溜まると文太が引き取りに行っている。
『今日引き取らなきゃ、明日の豆腐を入れるケースがねえからな。涼介のヤツは今日は大学で来るのが遅いらしいんだ。ホテルも夕飯時は忙しいからな、6時までには行っときたい、ん……』
文太の語尾は咳き込んで途切れた。
「わ、わかった……なるべく早く帰るよ。しなきゃいけねえことって、それだけ?」
『後は……そうだな、店番と、三谷の焼き鳥屋に配達くらいかな』
自分で年だと音を上げただけあって、文太の声は何だか弱弱しい。
通話を終えると、拓海は大きなため息をついた。
てっきり祖母が入院でもしたのかと思ったのだが、まさかの文太が体調不良を訴えて自分を頼ってくるとは。
「……オヤジも年かぁ」
シェルを畳んでポケットに仕舞い、先輩には曖昧に誤魔化した。
助手席に戻ってシートベルトを締めながら、拓海は「そういえば最近オヤジの白髪増えたよなあ」としみじみ思った。
「オヤジ、起きてる?」
仕事を終え、それこそ全開ダウンヒルの勢いで帰宅した拓海は、半分どころか全部下ろしたシャッターに文太の体調不良具合を実感した。居間のちゃぶ台の上の灰皿が朝から変わっていないし、新聞も朝取り込んだまま。流しには朝食の茶碗や湯飲みが手つかずで置いてあり、朝の仕事を終えるなり文太がダウンしたことを物語っていた。
恐る恐る、二階の文太の部屋の襖を開けると、けちな文太にしては珍しくエアコンが付いていた。
「拓海か……」
四畳半に敷いた布団の上で、Tシャツにジャージ姿の文太が掠れた声とともに顔を向けた。
「大丈夫かよ、オヤジ」
枕元に座った拓海はホラ、と帰りに会社の自販機で買って来たイオン飲料を文太に手渡した。
「悪い」
文太はそれを受け取ると、顔をしかめながら半身を起こした。
「何か食った?」
「……朝飯食ってからは何も」
「それじゃ余計体壊すぜ?」
「分かってるけどよ、体調悪いから飯食うのもだるくってな……」
「午前中の配達は?」
「そこまでは大丈夫だったんだよ。昼前くらいからかな……なんかこう、頭が重くってな」
後ろからガンと殴られたみたいだ、と付け加え、イオン飲料を煽って文太は大息をついた。
「いけねえなあ、年取るとどうも……あぁ、ありがとよ」
空のボトルを拓海に戻すと、文太はまた布団に仰向けになった。
「熱は?」
「ない。風邪は風邪だろうが、疲れがそこに来たんだろうなあ」
「だったらいいけど……」
医者を呼ぼうか、という拓海の申し出は断わられた。
もう一眠りする、と布団をかぶった文太にそれ以上は言えず、拓海は仕方なく文太の部屋を後にした。
「オヤジも意地張るなよなあ……」
素直に医者にかかればいいものを、と思い、涼介の顔が浮かんだ。
「……あの人はまだ医者の卵か」
配達の品は朝の内に文太が揃えて冷蔵庫に入れてあった。
配達ではない、毎日あちらから品物を引き取りに来る馴染みの飲食店には訳を伝えて、勝手に冷蔵庫から持って行って貰ったらしい。なんともほのぼのした、昔ながらの商店街ならではのやり方だ。無用心と紙一重だ。
焼き鳥屋への品をインプレッサに積み込んでさて、と運転席に収まりエンジンを掛けた瞬間、拓海の顔がこわばった。
「……ん??」
目の前の走行メーターに目が行った。
走行距離がやけに増えている。
「……んん??」
昨日の朝、拓海がハチロクではなくインプレッサでレイクサイドホテルに配達に行った。その後の午前中の配達は、文太がインプレッサで行った。
今日も文太がホテルと午前中の配達にインプレッサを使ったようだが、それを差し引いても、随分と走行距離が伸びているのだ。この走行距離、午前中は配達にしか行っていないようだから、伸ばしたのは昨日のうちだろう。
「昨日何処行ったんだよ……あの人」
配達にしてはありえない距離の伸び。
ちらと見れば、ドリンクホルダーには文太が飲まない赤いコーラの空き缶があって、ナビシートに誰かがいたことを物語っている。
誰か、というより一人しかいなくて――こんなところに乗ってこんなものを飲んでドリンクホルダーに放置するのは、涼介しかいないのだが。
昨日、拓海は会社の研修で遅くまで残っていた。帰宅した時、インプレッサも文太もいなかった。
「……あー……そーいうこと……」
何となく、拓海の中で予想の筋道が立った。
「ったく、あのバカオヤジと使えねえバイトっ!!」
盛大に舌打ちをして、拓海はアクセルを思い切り踏み込んだ。
「やっぱり年甲斐もねぇことはやるもんじゃねぇなあ……」
拓海の操るインプレッサのエキゾーストを聞きながら、文太は布団の中で一人ごちた。掛け布団を引き上げ、咳き込んだ。疲れが来るだろうなとは思っていたが、拓海に迷惑を掛けたのは予想外だった。まだ若いとたかをくくっていたら、このざまだ。
「……やけに踏み込んでやがるな、アイツ」
拓海がいつもより深く踏んでいる気がした。
昨日、文太は涼介にせがまれ、久し振りに峠を本気で走った。
走りは引退した涼介だったが、FCの手入れは怠ってはいなかった。その涼介に、FCを調整したから文太のインプレッサと走りたいと言われ、丁度時間もあったし足回りを弄り終えてテスト走行をしたかったこともあって、OKした。
文太は少し風邪気味だった。が、涼介のおねだりに負け、体調不良を押してのことだった。
走りに行った先は赤城山。
平日だったにも拘らず、走り屋の車が結構いた。
その中で、涼介のFCと文太のインプレッサがバトルを繰り広げた。
いかにもな車たちは、あっという間に二台の為に端に避けた。
予告無しで始まったバトル。沿道のギャラリーからの羨望と驚きの歓声は久々で……文太には心地良かった。
勿論、涼介に負けるような文太ではない。いいように泳がせて、ここぞという場所――、一番ギャラリーの多い場所で抜いた。
上りと下り、両方でバトルをした。
どちらも勝ったのは勿論文太だった。
その後は、久々の本気の走りの高揚感の延長戦。
涼介にねだられるまま、峠にあるホテルに入って――。
「若いモンのやることだな、ああいうのはな……」
体調不良と緊張感から来る疲れは、一晩たった今朝、どっと襲ってきてこの有様だ。
風邪気味でなければこんなことはなかったのだろうが、それがダイレクトに身体に反映されるのは、もう若くない証拠だ。
昨夜の赤城山は随分と冷え込んで寒く、追い討ちを掛けられた。
「アイツに甘いのも考え物だな……」
涼介のおねだりが事の発端だが、断りきれなかった自分の咎。
涼介の喜ぶ顔は、文太の心のハードルをどうしても下げてしまう。
バトルの後、ナビシートに座り、お父さんの本気の走りを見られて嬉しいですと喜んでいた涼介の顔。
ホテルのベッドの上で、蕩けていた涼介の顔。
どちらも、文太の心を満たしてくれた。
やがて、遠くで聞きなれた別のエキゾースト――FCの音がした。坂の下でふかして止まったな、と思うと数分したら裏口の立て付けの悪いドアを開ける音と階段を駆け上がる音がして、事の発端である涼介の来訪を知らせた。
「お父さん、大丈夫ですか」
「ああ……」
襖を開けるのと同時に涼介が声を掛けてきた。
不機嫌なまま、拓海が配達と容器の回収を終えて店に戻ると、6時半。店は開いていて、今日のことの原因たる涼介が来ていた。
「藤原、おかえり」
エプロン姿で、バイトとして働いていた。
「……」
店には客が何人か来ていて、涼介は名の通りの涼しい顔で、上手く客を捌いていた。
「うちのは無調整ですから、濃くて美味しいんですよ。冷蔵庫で冷やすと豆の味も気にならずに飲めますよ」
「あら、じゃあそれも頂こうかしら」
「ありがとうございます」
「それと、この豆腐ドーナツと」
客に軽く挨拶をし、拓海は居間へと上がった。
冷蔵庫から出した缶コーヒーをシンクにもたれかかって飲んでいると、涼介が入ってきた。
「お父さん、まだ寝てるんだけどご飯は食べたんだ。疲労と風邪だから、薬と栄養ドリンクを飲ませて大分落ち着いたよ」
「……そうですか」
「藤原も、夕食……「涼介さん」
コン、と後ろ手にシンクに空の缶を置くと、拓海は涼介の言葉を遮って睨んだ。
「昨日、ウチのオヤジとどっか走りにでも行ってたんでしょ?」
「……え、」
低い声で言われ、涼介が少しひるんだ。
「インプの走行距離が偉く伸びてんですけど?」
「……ああ、……それは……確かに昨日赤城に行った、けど……」
「へぇ、赤城ですか。そりゃアレくらい伸びますねー」
「……それが……」
「それがもなにも、オヤジが調子悪くなったのって、それが原因でしょ? 知ってるでしょオヤジ一昨日くらいから風邪気味だったのは。昨夜あれだけ冷えたのに、赤城なんて風邪酷くしにいってるようなもんじゃないですか」
珍しく、拓海が語気を強めた。
「それは、……確かに……」
「涼介さん、オヤジ振り回すのもいい加減にしてくれませんか」
「う……」
「アンタの我儘にオヤジがどんだけ付き合ってると思ってんですか」
「藤原……」
「医者の卵の癖に、アンタ最低だよ!」
吐き捨てるように言うと、拓海は涼介にわざとぶつかって台所を出た。
メシいりません、と背中で言い、靴をつっかけてまた出て行った。
「……」
拓海がぶつかった肩が痛い。言われたことはご尤もで――涼介は俯いて、唇を噛んだ。
文太の体調が優れていないのは分かっていた。
けれど、足回りの調整を終えてインプをひとっ走りさせたがっている文太に、丁度調整を終えたばかりのFCと戦わせたいという気持ちが沸き起こり、押さえ切れなかった。
一度赤城のギャラリー達に文太の走りを見せ付けたかった。
バトルの結果は予想通り、文太の圧勝。尤も、勝てるだなんて思ってもいなかったけれど。
ギャラリーたちの反応は予想以上だった。
が、体調が悪くなったという文太からのメールは予想外で、流石に慌てた。
直ぐに原因が自分だと思い、ゼミを欠席してここに来た。両親の経営する病院からくすねてきた薬と栄養ドリンクを飲ませ、かなりましにはなった。念の為聴診器をあて、血圧も量った。明日にはいつも通りになっているだろう。が、拓海には迷惑と心配を掛けてしまった。
医者の卵の癖に、という拓海の言葉は涼介の心に深く突き刺さった。
オヤジ振り回すのもいい加減にしてくれませんか、という言葉も……。
「……ッ……、」
ぐさぐさと、心が抉られ、涼介の頬を、知らずに熱い涙が一筋、流れた。
「何だよ、拓海帰ってきたんじゃねえのか……」
ダルそうな声が後ろから聞こえ、振り返るとボサボサの頭をした文太が立っていた。
「……どうしたんだ、涼介……」
「いえ、別に……」
慌てて頬を袖で拭い、涼介は俯いた。
「藤原、ご飯いらないそうです……」
「そうか。拓海になんか言われたんだろ」
「え、」
「うちは安普請だからな。でけぇ声は上まで聞こえてくらぁな」
肩を竦め、文太は苦笑した。
「……お父さん、」
「口が悪いのは生まれつきなんで赦してやってくれよ。……オレが断れなかったのが悪いんだよ。お前が泣く事じゃねえだろ」
すれ違いざま、涼介の肩をポン、と叩いて、文太はトイレに入った。
店仕舞いと帳面をつけるのと、明日の仕込みをしてから涼介は藤原豆腐店を後にした。
文太はだいぶ回復していたが、早めに寝るといって晩酌もせずに床に付いた。
明日あさっての分の薬と栄養ドリンクを置いてきた。何かあったら高橋クリニックに連絡すれば、一番に見てもらえるように手配もしてある。
坂の下に停めたFCの中、涼介は拓海に言われたことを思い出していた。
確かに拓海の言うとおりだ。
我儘を文太にぶつけて、受け入れてもらっているのだ。それで文太の時間を、体力を随分と削いでいるのは事実だ。
「だって、オレは……お父さんが……」
好きだから、と自分しか居ない車の中で呟いて、目を閉じる。
ずっと巡りあいたかった相手にやっと会えた。嬉しくてたまらない。赦されるなら、一日中一緒に居たいくらいだ。
気持ちをぶつけ、一度は断られたけれど受け入れてもらえた。
それが嬉しくて、子供の様に文太に甘え、して欲しいことは何でもねだってしまう。
文太の前で、自制などはちっとも効かなかった。
「……藤原の……言うとおりだ……」
その分、拓海にはしわ寄せが行っているのだ。分かってはいたけれど、目をむけていなかったこと。それを今日、改めて実感してしまった。拓海に迷惑を掛けてしまっているのだと。
「もうちょっと、大人にならないとな……」
気にするなと文太には言われたけれど、そんなことが出来るわけもなく。
また流れてきた涙を拭い、涼介は唇を噛んだ。
その頃、拓海は駅前のコーヒーショップでため息をついていた。
「ほんっと、バカじゃねーのあの二人……ったく……いい加減にしろっての!」
オレを巻き込むなよな、と残りのコーヒーをあおり、拓海はしかめっ面をした。
(終)
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光様(ミラー9779)
文涼の涼介と拓海、兄弟(?)喧嘩で涼介さん泣かされる。
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