詫び状(前編)
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※文涼短編『我儘の結果』 の続きです
「医者の卵の癖に、アンタ最低だよ!」
怒りに任せ、自分の口から飛び出した言葉は冷静になって思い返せば随分なものだった。
「オレって大胆だよなー……」
御木先輩の時といい……と、拓海は今更のようにため息をこぼした。
「……言い過ぎたかなー」
相手は ”あの”高橋涼介だ。
いくら涼介が悪かったとはいえ、アンタ最低だなんて面と向かって吐き捨てて、ついでに体当たりまでかましてしまって。
「オレ、プロDとは違うレジェンド作っちまったかもー……」
あの高橋涼介相手に最低と吐き捨てた男として、北関東の走り屋の間で延々語り継がれるかもしれない。
このことが啓介に知れたら、アニキになんてことを言うんだお前は、と嫌われてしまうのでは……そう考えればやはり言い過ぎたかと思う。
涼介に言いたいことを言って家を飛び出した拓海は、駅前のコーヒーショップで時間を潰していた。
文太はあんな調子だったが、明日は普通に店を開けると言っていた。
涼介はきっと仕込みや明日の準備を手伝って帰るだろうから、二、三時間を外で潰しておけば、拓海が戻ることにはもういないだろう。
「それにしたってさー……」
二杯目のブラックを飲み干し、空になった白いカップを覗き込んで思うのはあの二人のこと。
「オヤジ……涼介さんに甘いんだよ」
そう。
拓海はつくづく思うのだ。
文太は涼介に甘い。
心理的にも、物理的にも。
一人を好む文太が、涼介を自分のテリトリーに迎え入れている――それが心理的な面。
お父さんに買ってもらったんだ、と涼介がジュースの缶や駄菓子を手にしていることはしょっちゅうで――それが物理的な面。
あのけちな文太が、涼介のおねだりにはなにかと弱いらしい。
二人が「そういう仲」なのは拓海もつとに知っている。二人は隠しているつもりらしいが、全然隠れちゃいない。
ただの押しかけバイトと雇い主という仲じゃないのは明白だ。
だから文太が涼介に甘いのは必然的なことなのかも知れない。
涼介といる時、文太が普段あまり見せない笑顔を見せることも多いのがいい証拠だ。
けれど。
「なんだかな……」
はぁ、とため息がまた一つ。
テーブルに顔を突っ伏し、拓海は目を閉じた。
――涼介さんに、オヤジ取られたような気がするんだよな……。
別に惜しいわけではない。
口五月蠅いし、煙草と酒が好きなくせにケチだし、デリカシーもないし足も臭いし。
惜しくも何ともないのだ。だけど。
「よぉ、拓海っ!」
「なんだ拓海ー、こんなとこにいたのか」
聞き慣れた、騒がしいけれど優しい声がして。
「お前ん家に行こうと思ってたんだよ」
「あ……池谷先輩、樹……健二先輩」
拓海がはっと顔を上げると、いつもの三人……イツキと池谷と健二が湯気の立つカップを置いたトレイを持って立っていた。どうやら今店に来たところのようだ。
「拓海、前いいか」
「あ、どうぞ、空いてます…」
「なぁ拓海っ! おまえ、昨日すげーバトルしたんだってな! びっくりしたぞっ!」
池谷にテーブルを進める拓海の声に被さって、イツキが興奮気味に割り込んできた。
「ちょ、なんだよイツキっ!」
「水くさいぞぉっ、拓海ぃ。バトルするんならするっていってくれよなぁ!」
「――バトルぅ?」
イツキの話がいまいち飲み込めなくて、クエスチョンマークを張り付けている拓海に健二と池谷が顔を見合わせた。
「やっぱりな、だから言ったろイツキ。拓海じゃないって」
「拓海がプロD以外であんなバトルするわきゃないって言っただろ?」
「えぇ、拓海じゃないのかぁ……オレは絶対拓海だと思ったんだけどなー」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、なんのことだよ、バトルって……」
勝手に話をすすめる三人に、拓海が口を尖らせた。
「拓海、昨日赤城で高橋涼介のFCと青いインプレッサがバトったって話、知らないか?」
「……え?」
池谷の言葉に、拓海は驚いた。
「バトル、ですか?」
「ああ、そうだ」
四人はテーブルに置いた池谷の携帯を囲んだ。
携帯の小さな画面は、池谷が昨日撮影したという動画が再生されていた。
「予告無しに突然始まった」バトルを慌てて撮影したというそれは、携帯と言うことと無理矢理なズームで手ぶれも激しく、かなり荒っぽいものではあった。
「昨日、スピードスターズのメンバー何人かで赤城に観戦に行ったんだよ。別に何かイベントがあるわけじゃなかったんだけどさ、最近レッドサンズの二軍の連中と個人的に仲良くなったんだ、だから」
「……はぁ、」
動画は、赤城のとあるギャラリーポイントから撮影され、峠道を疾走する白いFCを捉えていた。
「高橋涼介のFCだ!」
「赤城の白い彗星だぞ」
と、予告なしの高橋涼介の登場にギャラリーたちが沸き返る歓声がエキゾーストに重なっていた。峠道を走るほかの車達が、FCの為に慌てて道をあけた。
確かに涼介のFCだ。荒っぽい画像でも拓海には分かった。
さすがホームコース、さすが高橋涼介というべきか、遠目の動画ながらも涼介のライン取りやカーブへの進入角度は見事なものだった。コースを熟知し、なおかつ天才的なドラテクを持つ涼介ならではのものだ。スキール音を轟かせ、FCは『見せる』ドリフト――横に美しく滑った。
「最初は高橋涼介のFCが来たって言うんで、慌てて携帯構えたんだよ。高橋涼介はもう走りは引退したって言ってただろ。だから何事かと思ってさ。そしたら……」
「確かに涼介さんは引退しましたよ……」
数十秒後。FCのエキゾーストに、ボクサーサウンドが重なった。
画面はその音に誘われるように、FCの後ろへと移った。
もう一台、青いインプレッサが登場し、ギャラリーは更に沸いた。
「青いインプレッサ……」
確かに文太のインプレッサだった。
文太のインプは涼介のFCを捉えたかと思うと、ギャラリーたちの目前であっさりとFCを抜き去った。
その抜き去り方は見事としか言いようがなく……動画はそこで終わった。
「いきなりこの青いインプレッサが現れたかと思ったら、この通りだ。すげーとしかいいようがないよ」
池谷はため息混じりに唸った。
――走りに行ったって、バトルなんかやってきたのかよ、あの二人は……。
てっきり涼介をナビに乗せて軽くドライブをしてきたのだと思っていた拓海は、予想外の事実に驚き、ついでに呆れた。
――何やってんだよ、あの二人……
「これ、うちの親父ですよ池谷先輩」
「やっぱりそうか」
「げげっ、拓海のオヤジさんっ!」
拓海が断言した。
イツキが驚き健二と池谷は納得していた。
「拓海とはちょっと走りが違うもんなー。なんつーか、貫禄って言うのかな……そういうのがひしひしと伝わってくるっつーか」
「……どうも」
貫禄というよりいやらしさですよ……、と拓海は健二の言葉に内心突っ込んだ。
「高橋涼介と藤原さんか……それなら確かにこんなにあっさりと高橋涼介が抜かれたのも納得だな」
池谷が一人ごち再び動画を再生した。
「赤城を知り尽くした高橋涼介をこんなにあっさり抜いちまうなんてな……藤原さんじゃなきゃ出来ない芸当だよな」
「こんな場所で抜いちまうなんて、ちょっとびっくりだよなぁ」
再び、青いインプレッサが抜き去る場面になり、健二がホラ、と画面を指差した。
「……確かに、そうですね……こんな場所で抜くとか……セオリー無視もいいところですよ」
健二の言葉に、拓海も同意した。
文太が涼介を抜き去った場所は、赤城で「抜く」場所ではない。
それは、その場所で追い抜きをすることがバトルをするどちらの車にも危険が伴うからだった。
セオリーというものはただ単にお約束というだけではなく、それまで何千回何万回と走り屋たちがその道を行き来して、経験で築き上げたもの。
「フツーならこんなとこは避ける場所ですよ……オレでも抜きませんよ。なのに、こんなとこで抜くとか……それもこんなあっさり……」
危険を伴う場所でありながら、文太の抜き方はごく自然だった。
「……ここ、確か一番ギャラリーが多い場所だよなー」
イツキが呟き、拓海は全てを悟った。
――……あんのクソオヤジ……。
文太が現役の走り屋だった頃、ただ早いだけではなくパフォーマンスも随分なものだった、と祐一から聞いたことがあった。派手なドリフトやセオリー無視のドラテクでギャラリーを飽きさせないのだ、と。
どうやら昔の悪い癖が出たようだ。
池谷たちと喋り、その後カラオケボックスで二時間ほど時間を潰した拓海が帰宅すると、日付が変わる直前だった。
店の明かりは消えてシャッターが閉められていた。
ただ、店のたたきには水の中に沈んだ豆が、そして空の配達容器が伏せられ、明日の出番を待っていた。
「……オヤジ、調子どう?」
文太の部屋の襖を少しだけ開け、拓海が声をかけた。
「拓海か……ちょっとはましになったな……」
薄暗い部屋からは文太のかすれた声がし、のそりと文太の影が動いた。そのかすれ具合が文太の疲労を如実に物語っていた。
「明日、店やんの?」
「あぁ? 休めるわけねーだろ……やるよ。一晩寝りゃこれくらいどうってこたぁ……」
ない、と言い掛けた文太がせき込み、拓海は肩を竦めた。
「無理すんなよなーオヤジ。もう若くないんだしさ」
「うるせーよ……」
「なあ、オヤジ」
「……ん?」
拓海が、少し改まった。
「……オヤジって、涼介さんには甘いよなっ」
襖を閉めながら、語気を強めて言った。
「……おやすみ、オヤジ」
パタン、と襖が閉まり、向かいの拓海の部屋の襖が開く音が続いた。
「……甘い、か……」
寝返りを打ち、文太は苦笑いした。
「ま、自覚はあるけどよ……」
確かにそうかもしれない。
涼介にはつい、甘くしてしまう。涼介は素直に感情をぶつけてくるし、文太が困るほど甘えてくるからだ。
拓海は昔から甘え下手なところがあった。もって生まれた性分だろう。
「別に……忘れてるわけじゃねーんだけどなぁ」
拓海は文太の一人息子だ。血を分けた、本当の。
幾ら涼介と「そういう」関係だとはいえ。
涼介が自分をお父さんと慕っているとはいえ。
拓海が可愛くないわけはないのだ。
「ったく、面倒なヤツだな、アイツは……」
よっ、と文太は重い身体を起こした。
「忘れてる訳じゃねーんだよ……」
ふらつく足取りで、文太は頭を掻きながら階段を降りた。
(後編に続く)
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