A long time ago, I met Santa Claus.



その年の冬はとても寒く、クリスマスイブの日は朝から雪が降っていました。
夜になっても雪はやみません。
「雪、まだ降ってるね」
啓介が言いました。
「そうだね、まだ降ってるね」
涼介が相槌を打ちました。二人並んで背伸びをして、窓の外を見ていました。夜空から落ちてくる雪は庭を白くしてしまって、二人がいつも遊ぶブランコはすっかり埋もれていました。
7歳になる涼介と、5歳になる弟の啓介はクリスマスイブの夜に留守番をしていました。涼介と啓介のお父さんとお母さんはお医者さんで、お仕事が忙しいからです。お父さんとお母さんがいないクリスマスは、二人にとって毎年のことでした。
去年はおばあちゃんが来てくれて、おもしろいお話を聞かせてくれて、一緒に映画を見て子守唄を歌ってくれました。けれど今年、おばあちゃんはからだの具合が悪くて、二人のところには来られませんでした。
「おばあちゃんは来られないけれど、いい子にしているんだよ」と、お父さんとお母さんは二人を残してお仕事に出かけました。涼介はお兄ちゃんだから、啓介の面倒をちゃんと見るように、とも言われ、深く頷きました。
お父さんとお母さんの病院には、クリスマスにもお正月にもおうちに帰れない人たちがたくさん入院しているのです。群馬じゅうから、お父さんやお母さんを頼って、病気や怪我を治してほしいと来ている人たちなのです。
だからお父さんとお母さんにクリスマスに家にいてほしいなんてわがままを言えないことを、涼介はよくわかっていました。


ケーキとごちそうは家政婦さんが用意して食べさせてくれました。涼介の好きなイチゴのたくさん乗ったケーキと、啓介の好きな大きなチキンです。外国に住んでいるおばさんからは二人にクリスマスカードとおもちゃが届きました。おじさんからは、二人に自転車が届きました。
家政婦さんが帰った後、二人はリビングのツリーの下で届いたばかりのおもちゃで遊んでいました。
「兄ちゃん、けいすけ、お父さんとお母さんのところに行きたい」
そろそろ寝ようという時間、啓介がふいにそんなことを言い出したのです。
「だめだよ、お父さんもお母さんもお仕事が忙しいんだから、行ったら邪魔しちゃうよ。それに、ここから病院はとても遠いんだよ」
昨日も遅くに帰ってきたお父さんは、むつかしい患者さんがいるらしく、お母さんと話し合っていました。お母さんもご飯が終わるとすぐに分厚い医学の本を広げて、病院に何度も電話をかけていました。
涼介がなだめても、啓介は「やだ! お父さんとお母さんのところにいく!」と言ってききません。啓介は一度言い出したらきかないのです。
「今年はおばあちゃんが来られないんだもん、さみしいよぅ。けいすけ、お父さんとお母さんと一緒に遊びたいよ……」
届いたばかりのおもちゃを手に、啓介はとうとうぐずりはじめました。
涼介は困ってしまいました。
(どうしよう、困ったな……)
涼介だって、お父さんとお母さんとごちそうやケーキを食べたり、新しいおもちゃで遊びたいのです。
でも、お父さんとお母さんがいつも忙しくしていることや、お医者様の仕事が、人の命を預かる大切な仕事だと知っているから、我慢をしていました。
「お兄ちゃんだって、お父さんやお母さんとクリスマスにいたいよ。でも、だめなモノはだめなんだ」
「やだよぉ、お父さんとお母さんとあそぶんだ。ともこちゃんもあいちゃんも、今日はお父さんやお母さんといっしょにいるっていってたもん。けいすけだけだよ、いっしょにいられないのは!」
啓介の幼稚園のお友達は、お父さんやお母さんとご飯を食べに行ったり、家でクリスマスパーティーをするんだと啓介に自慢をしたらしいのです。啓介にはそれが、とても羨ましいのです。
お仕事が忙しくない時は遊んでくれるお父さんとお母さんですが、一年の殆どの時期が忙しく、幾ら遊んでもらっても啓介にはもの足りなのです。
「お父さんとお母さんに会いたい……うっ……兄ちゃん、ねぇ、会いたいよぉ……」
啓介の大きな目から、ぽろり、光るものがこぼれてしまい、ぎゅっと噛み締めた口元が震えています。
「わかったよ、啓介」
とうとう涼介は負けてしまいました。


「わあっ、真っ白だね」
二人が外に出ると、雪は少し弱くなっていました。それでもあたりは真っ白です。
「啓介、あたたかくして行こうね」
「うん」
仕方なく、涼介は啓介を連れて出かけることにしました。とはいっても、病院までは車で30分もかかります。来年の春になれば病院の近くに新しいおうちを建てて引っ越すことになっているのです。
子供の足で歩いてどれだけかかるかはわからないのです。
でも、一度言い出したらきかない啓介は、外に出ないと納得しないのです。
おばあちゃんが編んでくれたマフラーを巻いて、オーバーを着て外にでました。涼介のマフラーは白で、啓介のマフラーは黄色でした。
「滑るから、気をつけるんだよ」
「うん」
二人は手をつないで、静かに雪が降り続く夜の道を歩きました。あちこちの家から、クリスマスの歌が聞こえたり、楽しそうな笑い声が聞こえます。ごちそうのにおいがしてきて、ツリーの光も見えます。
小さな足跡が、東から西へと続きました。
「兄ちゃん、病院って遠いの」
「遠いよ。いつもお父さんの車で、とっても時間がかかるだろ?」
「うん、そうだね」
まだ小さい啓介は、どれだけ遠いかなんて考えてもいないようです。
ただ、寂しい、お父さんとお母さんに会いたい気持ちだけが先行しているのです。
「寒い? 啓介」
「ううん、へいきだよ。兄ちゃんは?」
「寒くないよ」
二人の上に、雪が少しずつ積もっていきます。郵便ポストを右に曲がって、大きな犬のいる家の前を通って、坂道を下って。広い通りを、右を見て、左を見て渡って。酒屋さんの角を左に。そして、「ひがしこうこうまえ」のバス停のところで横断歩道を渡って……。

「……兄ちゃん、もう歩くのやだ……」
歩いて20分位たったところで、啓介がまたぐずりだし、しゃがみ込んでしまいました。
今度は、もう歩きたくないというのです。
「じゃあ、おうちに帰る?」
涼介が聞くと、啓介は力なく、うん、と頷きました。
けれど、小さい啓介はもう歩き疲れて、これ以上は一歩も進めないというのです。


仕方なく、涼介は啓介を背負いました。


まだ7歳の涼介に、5歳の啓介は決して軽くはありません。涼介も体は大きい方だけれど、啓介も大きい方なのです。
「啓介、ちゃんとしがみついてて」
「うん……」
背中の声が、なんとなくとろんとしています。涼介にかかる重みも、ずっしりとしてきました。どうやら、啓介は眠たいようです。
「歩きにくいよ、啓介、ほらもっと右に……」
涼介は背中の啓介に声をかけながら、ふらふらと定まらず歩いていました。啓介がずり落ちそうになるのを何度も背負い直しながら、涼介は元来た道を歩きました。
背中の啓介は重いし手は痛いし、家まではまだまだあるのです。さっきは下ってきた坂道は、今度は上り坂です。啓介を背負って歩くには、かなりしんどいものでした。
(……ぼくだって、お父さんとお母さんといたいよ……でも……)
涼介がチラッと見た、通りすがった家からは、その家のお父さんらしい豪快な笑い声が聞こえ、子供たちが歌を歌っていました。
(お兄ちゃんだから我慢しなきゃ……って思ってるんだ……)
啓介のように、我儘は言ってはいけないと思って、涼介はずっと我慢していました。
「もうやだ、疲れた……」
頑張りもそこまででした。
涼介は疲れて足が棒のようになってしまい、啓介を背中に負ぶったまま、とうとうしゃがみこんでしまいました。
「兄ちゃん、しんどいの?」
背中の啓介が、眠そうな声で尋ねてきました。
「……うん、でももう兄ちゃん、あるけないよ……」
はあ、と吐いた息は白く、雪に混じりました。
「辛いな……でも、早く帰らなきゃ……」
背中の啓介が、このままでは風邪を引いてしまいます。


「おい、どうしたんだよ」
雪に混じって頭の上から降ってきた声に、涼介は顔を上げました。啓介も、顔を上げました。そこには、なんとサンタクロースがいたのです。
「あ、サンタさんだ……」
「メリークリスマス」といって笑うサンタクロースに、涼介の顔は思わずほころびました。サンタクロースといっても、もちろん本物ではありません。付け髭の、この時期にスーパーや子供会に来る、にせもののサンタクロースです。
赤い服を着て白い袋を手にしているけれど、ずいぶん若いし、やせていました。
「こんなところで子供がなにやってるんだよ」
「……お父さんとお母さんのところに行きたくて……でも弟が、」
「ふぅん」
涼介は背中の啓介をみました。
「わあ、すごい、サンタさんだ」
眠そうな顔で、啓介がにっこりと笑いました。まだ小さい啓介は、本物だと思っているようです。
「お父さんとお母さんは近くなのか?」
サンタクロースに尋ねられて、涼介は首を横に振りました。
「お父さんとお母さんはお仕事なんです。弟がお父さんとお母さんの仕事場に行きたいっていって聞かなくて……家に帰ろうと思ったんですけど、こんなところまで来てしまって……でももう弟はもう歩きたくないって言うし……」
涼介は通りかかったサンタクロースに、これまでのことをはなしました。
お父さんとお母さんがお医者さんでクリスマスに家にいないこと。お留守番に飽きた弟がどうしてもお父さんとお母さんの所に行きたいと言って出てきたこと。帰ろうと思ったけれど、弟は眠くて歩けないし、自分ももう疲れて歩けないことを。
「そうか、じゃあ家に帰るか。送っていてやるよ」
サンタクロースはそう言って、涼介の背中の啓介をひょい、と片手で抱き上げました。
「送って、って……ソリで?」
「そんなわけねぇよ、車だよ。近くに止めてあるんだ」
サンタクロースは細い目をもっと細めて笑いました。
三人は、近くに止めてあるというサンタクロースのソリならぬ車に向かいました。
ある家の角に、古い車がとめてありました。車には「藤原とうふ店」と書いてありました。
「お豆腐やさんなの? サンタさん」
「ああ、普段はな」
サンタクロースは後ろの座席を平らにして啓介を寝かせ、車に積んである毛布を掛けてくれました。啓介は余程眠かったようで、サンタクロースが抱っこすると直ぐに眠ってしまいました。涼介はサンタクロースの車の助手席に乗りました。なんだか変な感じがして、涼介はくすくす笑いました。
「サンタさんって、ずっと北の方から来るんでしょ?」
「本物はな」
「おじさんは?」
「渋川」
「……同じ群馬だね」
「まあな」
「普段はお豆腐やさんなのに、どうして今日はサンタクロースなの?」
「この近くにおじさんの友達の妹が住んでるんだ。本当なら友達がそこの子供たちのためにサンタクロースをやる約束をしてたんだ。それが、都合で出来なくなってな。それでおじさんが代わりにやったんだよ」
「そうなんだ。もう、出番は終わったの?」
「ああ。もう終わった。そうだ、お礼にお菓子をいっぱいもらったんだ。ちょっとやるよ」
「いいの?」
サンタクロースは、足下に置いた白い袋を涼介に渡しました。開くと、チョコレートやヌガー、キャンディや綿菓子がたくさんは行っていました。
「わあ、おいしそう……」
お菓子は涼介の大好物なのです。
そのとき、涼介のおなかがグウ、となりました。サンタクロースが笑いました。
ケーキもごちそうもたくさん食べたけれど、いっぱい歩いてすっかりおなかが空いてしまったのです。
サンタクロースは好きなだけ食べろよ、と言いました。
「おじさんはいらないの?」
「ああ、おじさんは甘いモノはそんなに好きじゃないんだ」
チョコレートをほおばりながら、涼介が訊きました。
「でも、おじさん、子供はいないの?」
「いるさ」
「じゃあ、その子がこのお菓子を楽しみにしてるんじゃないの?」
「ガキのくせに気ィ使うなよ。アイツはまだ2歳だよ。こんなに食えねえから、ちょっとだけでいいんだよ」


サンタクロースの車は、雪道を走って涼介達の家に付きました。
まるでソリの様に鮮やかに雪道を行くその様に、涼介はすごい、と声を上げました。
啓介はすっかり眠っていて、そのままサンタクロースがベッドまで運んでくれました。
「ありがとう、サンタさん」
「いや、礼なんていいんだよ」
助けてもらった上に、お菓子をたくさんもらった涼介は、なにかお礼をしたいと思いました。
あそこでサンタクロースに会わなければ、どうなっていたことでしょう。


「それより……よく我慢してるな、いい子だよおまえさんは」
大きな手が、涼介の頭を優しくなでてくれました。
「こんな広い家で二人は寂しいよな……それに、弟の面倒をよく見てる」
サンタクロースは薄暗い玄関を見渡しながら言いました。あんな雪の降る中、弟を背負って歩いている涼介に驚いた、と続けました。
「……でも、お父さんとお母さんはお仕事だから、仕方ないし……」
頭に乗せられた手が、とても温かくて。涼介は思わずうつむいてしまいました。
「仕方ない、か……。その我慢、いつか報われる筈だよ。しなくてよくなる日が来るはずだぜ」
サンタクロースはそう言って、涼介を抱き上げました。
「うん。……ありがとう、サンタさん」
サンタクロースの頬に、涼介はちゅ、と口づけました。
タバコと、お酒のにおいがしました。サンタクロースは笑いました。
「お休み、ちゃんと寝るんだぞ」
「うん、ありがとう。お豆腐やさんのサンタさん」
サンタクロースは、大げさに手を振って雪の降る外へ出ていきました。


この我慢をいつかしなくていい日が来る。
サンタクロースの言葉に、涼介はちょっとだけ心が温かくなりました。
「お父さんとお母さんが、ずっと家にいてくれる日がくるのかな……そしたらいっぱい、甘えてわがままをいえるのかな……」
そんな日が来たらいいな、と思いながら、啓介の隣のベッドにもぐりこんで、涼介は目を閉じました。
サンタクロースにもらったお菓子は、明日啓介が起きたら一緒に食べようと思いました。
チョコレートに綿菓子にキャラメルにポテトチップス。クリスマスが過ぎて、お正月になってもまだ食べきれないほどの量なのです。

サンタクロースは車に乗り込んで、今出てきた、高橋と表札のかかっている家をもう一度見上げました。
「けなげな子だな……」
名前も聞かなかった子だけれど、自分はお兄ちゃんだからわがままを言ってはいけないとわかっているようでした。
「さて、家に帰るか。拓海が待ってるな」
サンタクロースは、車のノーズを渋川の方へと向けました。


今から17年前の、文太も涼介もすっかり忘れ去った、遠い昔のクリスマスの出来事なのでした。

(おわり)


2012.クリスマスSS




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