接写被写体
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誰にも見せないから。
オレだけが楽しむんだから。
聞かれてもいないのに心の中でその二つを繰り返し唱え唱え、右手は畳に左手は薄い銀色のデジカメを握り。ゆっくりといざり、目標に近づく。
涼介の目標は、一メートル半の向こうにいる。
居間の、ささくれた畳の上で、大の字になって寝ている文太だ。
ビールの空き缶を三つ四つ、傍に転がして大鼾をかいている。暑い暑いと寝る前に言っていた。だからTシャツにトランクスという格好だ。
今日は暑い一日だった。
客も多く、売り上げはこの夏最高を記録した。文太も、アルバイトの涼介もよく働いた。
締めたレジがはじき出した売り上げは久し振りにいい数字だった。こんな日の風呂上がりのビールはさぞ格別だったことだろう。
――そんな無防備な格好で寝ているお父さんがいけないんだ。
もしも、万が一見つかった時の為の言い訳を一応用意して、涼介は左手のデジカメをONにした。
ウイイン、とレンズが伸び、液晶の画面に、文太の腹のあたりが映し出される。
畳についていた右手を伸ばし、文太のトランクスのウエストゴムの辺りに引っ掛けた。
よれよれのゴムだ。そこを軽く引っ張ると、文太の股間の黒い茂みがもう見え隠れする。
「……ッ……」
涼介は息を呑んだ。
文太のトランクスを引きずり下ろして、ペニスを撮影する。
それが、今宵自分で自分に課したミッションだ。
それは涼介にとって、果たしてどれほどの夜のおかずになることだろうか。視覚的に、官能的に満たして余りあることは言うまでもない。
互いの普通の写真すら満足に持っていない関係で、この写真は家宝ものだ。
そんな写真を撮らせて欲しいと素直に言ってはいどうぞとOKを出すような文太ではない。
だから、こんな時を狙ったのだ。
そのためにカメラは常に鞄に入れていた。長いこと狙い続けていたチャンスが、漸く今日、訪れた。
(もうちょっとだ……)
涼介は、ゴクリとツバを飲み込み、文太の下着をもう少し引き下ろした。
くたっとなった、茹で上がったソーセージのような文太のペニスが姿を現す。
勃起していれば最高なのだが、そううまくはいかないのが世の常だ。
(先、も……)
茎よりも先端の、亀頭の画像の方が欲しい。
先端が現れるまでと……涼介は更に下着に掛けた手に力を込めた。
「オヤジぃ、なあ!」
不意打ちだ。
怒ったような、拓海の声が二階からした。安普請の狭い家は二階から叫んでも良く聞こえる。
はっとした涼介が半射的に手を離してカメラを後ろに隠したのと、文太が「あぁ?」と半分起きたのは、涼介の方が一瞬半ほど早かった。
「なー、テレビ写り悪いんだけどっ」
上の部屋から叫ぶ拓海に、文太は細い目を開けて意識こそ覚醒させたものの、大の字のままで
「知るか、近所で違法無線でもやってんだろ」
とうっとおしそうに答えた。
「……どうした、涼介」
自分の傍らで顔を赤くしている涼介に気づくと、文太は首だけを向けていぶかしがった。
「いえ……なんでも……違法無線、だと思います……」
秋名の山の上で違法無線の輩はたくさんいる。そのせいで時折、この辺りのテレビやラジオの受信状態が悪くなっていた。
「なぁ、なんとかなんないのかよー」
オレ見たい番組があんのにっ、と拓海は部屋から怒ったままで叫んでいる。
余程楽しみにしていた番組なのだろう。
「……ったく、諦めりゃいいだろうが」
どれ見てやるか、と文太が渋々立ち上がった。
「映りが悪いって?」
頭をがしがしと掻きながら気だるそうに階段を登っていく文太の後姿を見送りながら、涼介はため息を殺した。
(……失敗、か)
後ろに隠したままのデジカメを仕方なく、OFFにした。
今宵のミッションは失敗に終わった。
次回のチャンスを、待つしかない。
(終)
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