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今年も七夕がやってきた。
知らなかったのではなく、やらなかっただけだ。
カレンダーには七月七日に七夕と書いてあるし、商店街のあちこちの店先に、七月にはいると同時に笹が飾られ始めたからだ。
文太の店も、拓海が小さい頃は笹を飾っていた。拓海に折り紙で飾りを作らせたりもしたし、短冊に願い事を書かせたりもした。
笹は政志の嫁さんの実家の地所に植わっていて、そこで貰っていたのだが、距離も遠く、また、笹だけを貰うつもりが、野菜やら漬け物もくれるのがなんだか心苦しくなり、拓海も飾りを作るのをいやがるようになって、いつしか七夕の笹は止まってしまった。
商店街の他の店先には、大小さまざまの笹飾りが七夕を告げている。手まめな婆さんのいるガス屋は、いつも見事な折り紙の飾りがぶら下がっている。
去年は雨だった七夕も、空梅雨の今年は快晴だ。牽牛と織姫はきっと会えるだろう。
「藤原さんちはしないんですか?」
「ナニが」
七夕の日の夕方、配達に行った雑貨屋の店先には、造花だがやはり笹が飾られていた。最近この商店街に仲間入りをした、手作りのアクセサリーや肌触りのいい衣類を扱う店だ。お洒落で都会的な雰囲気の店だが生憎と文太のような四十を越したおじさんには無縁の品ぞろえだ。
「笹! 今日は七夕でしょう?」
頭の上で長い髪をお団子にした女店主は、店の隅に飾ってある造花の笹に目をやった。木目調で統一された店内の隅に、生成の服の棚を覆うように造花の大振りな笹が下がっていて、いかにも子供の手作りらしい飾りや短冊が下がっている。
「笹、か……」
「前を通る度に思ってたんですよ。藤原さんところにはないなって」
「あー……うちはそういうのはな……」
つい面倒で、と頭を掻く文太に、
「このあたりは観光客も多いから季節感は大切にしないといけないんじゃないかなって」
と、新顔らしからぬ鋭い指摘をしてきた。確かに観光客は多い。たとい心に季節を愛でる気持ちがなくとも、商売上それは大切にしなくてはいけないだろう。古い温泉街とそれに続く商店街、というのがこのあたりの売りなのだから。
文太は苦笑いを浮かべ、「ま、来年あたりからボチボチ……」と言葉をにごした。
「そうそう、藤原さんところのバイトの子、短冊書いていきましたよ」
「……あぁ?」
突然、バイトの子、と涼介のことが話に出て、文太は思わず聞き返してしまった。
「この間、このあたりの子たちとお店を見に来て、短冊書いて帰ったんです」
店の隅の笹には、飾りにまじって短冊がいくつもぶら下がっていた。
「……涼介が、か」
文太がその短冊を一つずつあらためると、確かに子供の字で「水えいがうまくなりますように」だの、「テストで100てんがとれますように」だのと、かわいらしいお願い事が書かれていた。
「短冊を書いてくれたら、子供さんには消しゴムを、大人にはハーブティーのティーバッグをプレゼントっていう日に来てくれたんです」
と女店主は教えてくれた。
まだまだ新顔の店は、客に来て貰い、商品を手にとって貰わないことには売り上げに繋がらないから、そういう日を設けたのだという。案の定その日は訪れる人が多く、売り上げも良かったようだ。すてきな店ができたわ、と近くの団地の主婦グループが喜んでくれたという。
このあたりの店の子たちを引き連れて涼介は雑貨屋を訪れて、子供たちに混じって短冊を書いてそれを飾り……と、言われなくてもどんな風だったのか、ありありと文太の目に浮かぶ。
(まぁたアイツはいい年をして……社会人だろうが)
呆れが先に来たが、いつものことだ。
医者になって久しいのだが、兄様ごっこが涼介は大好きなのだ。涼兄ちゃん、と呼ばれて喜んでいる。
そういえば、やけに肌触りのいいバスタオルが藤原家の脱衣所に二枚ほど増えていた。
涼介が家から持ってきたのだと思っていたが、あれは短冊を書いた日にこの店で買ったものだったのか、と棚に並ぶバスタオルを見て文太は納得した。家にあるのと同じものだ。
「あ、これこれ。お宅のバイトの子が書いたの」
青い短冊を手に女店主が言った。
「……なんだこりゃ」
『藤原豆腐店が大繁盛しますように 涼介』
彼らしいまめな字で書かれていたが、どういうわけだか、大の字が消されていた。
「なんで大繁盛じゃねーんだ」
通常であれば大繁盛でいいのだろうが、それがただの繁盛になっているとは。
「それ、ね」女店主はクスクスと笑った。
「自分で消してたんですよ」
「あ?」
「あんまりお店が繁盛して忙しくなったら、藤原さんがかまってくれなくなるからって」
一度は大繁盛と書いて笹に吊したものの、涼介はずいぶんと悩んで、大の字を自ら消したのだという。
「……何だそりゃ……」
豆腐屋に戻って店番をしていると、どうせ暑いからって簡単なものばっかり食べてるんでしょう、とおでん屋の女将が、店で出す今日限定のメニューの、七夕そうめんを差し入れてくれた。
文太と涼介、ちゃんと二人分。
涼介は忙しい医者の身分だから来ないかもしれないのだが。
先にそうめんを食べて風呂を使い、店じまいと明日の仕込みをして二階に上がると、部屋の窓からは綺麗な星空が見えた。
「天の川は無理かなぁ」
昔はこのあたりも天の川がちゃんと見えていたのだが、今はぼんやりとしか見えない。細い目を凝らしてみたが、どうにもはっきりしない。
近くには工場も大型店も増えた。天の川が見えないのは、単に文太の老眼のせいだけではないだろう。
窓辺に腰掛け、入ってくる夜風でまだ熱い身体を冷ましながら、天の川の見えない外をぼんやりと眺めた。
「大繁盛、なあ……」
誰言うともなくつぶやいてみた。
今年は例年にない暑さに空梅雨で、売り上げは上々だ。
階下の電話が鳴った。
「はい、藤原豆腐店……」
6コール目までかかってやっと取ると、電話の向こうからは、弾んだ声が文太を呼んだ。
『あ、お父さん? 涼介です。今仕事が終わったんで、そちらに向かいますね。もうお店閉めましたか?』
名乗らなくても声で分かるのに、涼介はいつもそうだ。後ろががやがやしている。病院のロッカールームだろう。
「もう閉めちまったし、仕込みもすんだぞ」
『そうですか。あ、明日の集金の準備は……』
「ああ、それまだやってねえな」
『じゃあそれ、オレがやります』
一日働いて疲れているだろうに、涼介は文太のところに相変わらず通っては「バイト」として豆腐屋を手伝っている。飽きもせずに。
『今日の売り上げは結構良かったな。大繁盛、だな』
大繁盛、の大の部分をやけに強調して文太が言うと、電話口の向こうの涼介は『困りましたね、それは』と何のことだか分かっているようで、苦笑していた。
「この夏、ウチは大繁盛だろうな。なにせこの天気だからな」
『……お父さん、ご覧になったんですね』
「まあな」
あの短冊のことだ。
「気ぃつけて来いよ。おでん屋の女将が七夕そうめんだかなんだかくれてるからな」
『わかりました。じゃ、なにも食べずに行きます』
心配しなくても、大繁盛してもちゃんとかまってやるよ。
その言葉は、涼介が来たらくれてやろうと思った。
受話器を置いて、また二階に上がった文太は、その言葉の為に、先に布団を敷きはじめた。
”大”繁盛
(終)
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