夢の続きを

夢、
と言ってしまえば、きっとそれまでなのだろう。
けれど、それは夢の一文字で片づけるのには惜しいものだった。
眠っている間に見た幻、だからあれは夢だ。それは間違いない。
でも、どうして。

「……おはよ、オヤジ」
「おう、寝ぼけてんな。拓海」
「うるさいし……」
何時もの時間、午前三時半。目覚ましで起きた拓海は、すでに豆腐を作り終え、ハチロクに積み込んで拓海を待っている文太におはようを言った。
一仕事を終えた文太の額には軽く汗がにじんでいた。
「……なんだよ。何人の顔じろじろ見てんだ。早く顔洗ってこい」
「別に……見てないし……」
口をとがらせて言い返して、洗面所で顔を洗う。
いつもと変わらない日常の一コマ。
ただ、その前の眠りの夢は、ちょっとだけ違っていた。


ハチロクに乗り込んで、文太から水の入った紙コップを受け取り、ドリンクホルダーに置く。
「気をつけろよ。最近この時間トラックが多いだろ。あっちも時間に追われてるからな、無理に追い抜くなよ」
窓から覗き込んでくる目の細い、優しい顔。
見慣れた、顔。
「うん。わかってる……」
頷いた拓海の顔がほんのりと赤らんでいたことを、文太は気づいただろうか。


通いなれた秋名の峠道を、ハチロクを自在に走らせながら、拓海は夢を反芻する。
どうしてあんな夢を見たのか、理由は割とはっきりしている。
昨夜、藤原家に遊びに来ていた祐一が「懐かしいものを見つけた」と古いアルバムを持参していた。
それを肴に、文太と祐一は酒を遅くまで飲んでいた。
若いころの文太達の写真が詰まったそのアルバムを、つまみを作らされた拓海もちょっとだけ、見た。
まだ髪がたっぷりあった政司や、スリムだった祐一、文太の友人だちの若い頃がその中にはいる。
写真の類は押し入れの奥深く放り込んでいる文太はあまりそういうものを見せてはくれないから、拓海には興味深いものだった。
今の奥さんとは明らかに違う女性の肩を抱いている政司だとか。
昔の名車がずらりとならんだ、峠の走り屋の様子だとか。
あまり変わらない、伊香保の温泉街の様子だとか。

そして妙にかっこいい、若かりし頃の文太だとか。


『これ、オヤジ?』
『ああ、そうだな。文太が……18か19のころだな。このころの文太はとにかくすごい尖っててな、走りも口も、群馬じゃ誰にも負けなかったころだ』
祐一が懐かしんで当時の話を披露すると、文太は酒に酔った赤い顔で『よせよ、若かったんだよ』と照れた。
『ふうん……』


当時乗っていたという車の前で、スカジャンを着て、髪をきっちりとあげて。
タバコを咥えて格好をつけている文太。


拓海は、心がきゅ、と締め付けられるような気がした。

『何せ文太が群馬エリアじゃナンバーワンだったから。みんな文太に勝とうと、あっちこっちから走り屋が毎週みたいにバトル挑んできてな。オレらもバトルの仕切りや準備で毎週末は大忙しだったなあ。
今みたいに携帯もパソコンもなかったからバトル相手が道に迷ってなかなか着かないとかいうこともあったよな』
『あったな……ま、今が恵まれすぎてんだよ』
頭を掻きながら笑う、中年の文太とは違う、写真の中の若い文太。
今の自分と変わらない年の、文太。
『ふぅん、そうなんだ……』


相槌を打ちながら、拓海は写真の中の文太をじっと、見た。
初めて見る、若い頃の文太の写真だった。


そんなものを見たせいだ。
夢に、出てきた――若い文太が。


写真の中の、昔の秋名の峠。
そこに拓海はいた。
若い文太も一緒に。
『お前みたいなのがオレの娘なんて、あんまりいい気はしないな』
車にもたれ掛かり、若い文太は眉をひそめた。
『そんなこと言ったって……オレ、あんたの娘なんだからしょうがないじゃないか……』
拓海はぷ、と頬を膨らませた。
『ま、顔と体は良さそうだけどな』
不敵な笑みを浮かべ、拓海に手を伸ばしてくる若い文太――手が、頬に触れた。
夢の中でも、温もりを感じた。
『何、将来の娘に手ぇ出す気?』
『いいだろ、別に。どうせ、これは夢だぜ。減るもんじゃねえ』
『犯罪だよ』
『知ってるさ。そんなこと言ったら、峠の走りだって……同じだろ』
顎をとらえ、引き寄せられる。

『ん――……』

触れた唇は固くて、タバコの味がした。

『見た目通りおぼこいんだな、お前』
目の前でそんな風に言われて微笑まれたら、拓海はどうしようもなくなる。
言える言葉は一つしかない。
『そんなことないっ……』
『だって震えてるくせに?』
『違うっ……じゃあ、試してみればっ……』
言える言葉はそれしかなかった。
何を、と聞く無粋さは文太は持っていないようだ。
『犯罪だなんて言っといて、自分からな……』
滑稽だ、と笑い、拓海の顎を離して、後ろにある車のドアを開けた。
『乗れよ』


倒したシートに仰臥したら、もう上に影を作ってくる性急さ。
『は、早すぎだって……』
『んなこと言われてもな。とっととしねえと、朝になっちまうぜ』
ああ、そうだ、ここは夢の中なのだ。
起きる時間は決まっていて、それは少しもずらせはしないのだ。
かっちりと決めた前髪に手をやり、文太は『将来の娘の味見、か』と呟いた。
温かな、分厚い文太の手が、拓海のシャツの裾からもぐりこんで、素肌のお腹に、触れた。
『ふ、っ……』
『柔らかいな……』
膝を割り、文太の顔がまた近づいてくる。
ぎし、とシートが軋む。
『オヤジっ……』
『じっとしてろよ。すぐ終わらせてやるよ』
お腹に触れていた手が、動き出す。這い登り、ブラの隙間から、柔らかな乳房を触る。
『でけぇ乳してんな』
『っ、……』
そんな風に、誰かに触られるのは、初めてだった。
だからどう反応すればいいのかわからず、拓海は両手で顔を隠した。
『顔隠すなよ。お前が感じてる顔、見たいんだからよ……ほら、足、開けよ』
手を解かれると、さっきまで笑っていた文太の顔が、真剣なものになっていた。
『拓海、』
『オヤジっ……』

そこで、終わりだった。


(最後までやんなくてよかった……)
幾ら夢でも犯罪じゃん、と拓海はホッとした。ステアを切りながら、反芻した夢の中の文太に、また頬を赤くする。
(オヤジ、かっこよかったな……きっとモテたんだろうな)
祐一は『文太は女の子には人気だった』と言っていた。そうでもねえよ、と文太は否定していたけれど。
(また、あの夢見られるかな……)
拓海のお腹のあたりが、キュン、となった。
(続き……とか、あったらいいな、って……)


そう。とても中途半端に終わったのだ。
だから、あの続きを。

どうせ夢だろ。
そう言っていたのは、夢の中の、若い文太その人なのだから。

拓海はアクセルをもっと踏み込んだ。

(終)
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