「オヤジ、どこ行くの」
「ん? ……アイツんとこだ」
「ふぅん……」
「どうせ碌なもん食ってねえだろうからな」
「だろうね」
日曜の昼食の後、いつもなら茶のお代わりを飲みながらテレビでのど自慢を見る文太が、珍しくインプレッサのキーを手に立ち上がった。
訊いた拓海には短い返事だけで、それで充分だった。
(アイツ、ねぇ……)
少し前までこの家に一緒に住んでいた、文太の分身。もとい、若い頃の文太。
拓海とは同じ年ということだったが、父親の分身で同じ年というのは何ともやりにくかった。
食器を片付けながら、あの男がもうこの家にいないことにホッとしている自分に気づいて、拓海は小さく笑った。
文太は店に降りると、冷蔵庫から店売りの惣菜を幾つか見繕って袋に入れた。やがてインプレッサのボクサーエンジンが響き、それが遠ざかっていく。
同じ「藤原文太」が一つ屋根の下で一緒に暮らす。
父親と息子でありながら『文太』と拓海は同じ年という不可解さ。
それらがこの家に歪を生じさせ始めるのはわかりきっていた。だからそうなる前に、文太は19歳の『文太』のために、部屋を借りてやった。
おかげで、今のところ、拓海と『文太』は関わることは少なくなった。
まったくゼロではないのは、『文太』が生活のために始めたアルバイトが、よりにもよって祐一の経営するガソリンスタンドで、池谷やイツキたちと随分仲良くなっているからだ。
(ま、うまくやってんならそれでいいんだけどさ……)
アルバイトの方は上々らしい。
今現在の、44歳の、ケチでぶっきらぼうで頑固な文太とは大違いの、明るくて気さくで、誰とでもすぐ打ち解ける19歳の『文太』は、文太の過去の姿として見れば全くもって不思議な存在で、
赤の他人として見れば、なかなかどうしていい男で、友達にいればきっと楽しいだろう、そんな男だ。
いったいどこで何がどう転んで、あんな偏屈なオヤジになったのか。
それはさておき、25年前の過去から、身一つでこの現世に来た『文太』には、まだまだサポートが必要だ。それが出来るのは、文太本人しかいない。
だからこうして時々は顔を見に、『文太』の家に訪ねて行く。
二人分の食器を洗いながら、拓海は「そういえばあの『文太』は何を普段食べてるんだろう」と思った。
現世に溢れるほどあるコンビニエンスストアがえらく気にいっていたから、きっとコンビニ弁当ばっかりだろうかと考えた。
面倒くさがりなのは文太も『文太』と一緒だ。
自炊をするとは思えない。文太も、店の惣菜は仕事だから作るけれど、家の台所には立ちたがらない。面倒だから、というのが理由だ。
きゅっと水道の栓をひねると、この季節にしては冷たい水が蛇口から流れてきた。
今日はバイトは休みだと、祐一から聞いていた。
だからこの時間を狙って訪問したのだが案の定で、日曜の昼だというのに『文太』はまだ寝ていた。
裸で、というオプション付で。
「おいクソガキ、とっとと起きろ」
文太が声をかけたが、ベッドの中の『文太』は目覚める気配すらない。
昨夜呑んできたのか、酒臭い。一応はまだ、未成年の癖に。
池谷たちはもとより、ガソリンスタンドに出入りしている、秋名スピードスターズ以外の走り屋チームとも懇意にしていると聞いているから飲み会も多いらしい。友達を作るのは得意だ。
蒲団からはみ出している細い手足はすっかり冷え切っている。
「おい『文太』……」
「んー……」
細い目が重そうな瞬きを繰り返し、ゆっくりと開く。
「……あ……おっさん」
「おっさんじゃねぇ。いつまで寝てんだ、この天気のいい日に。洗濯くらいしろってんだ」
今日は政志の工場も休みで、静かなものだ。
「いいじゃねーか……今日は静かなんだから、寝かせてくれよ……いつもはうるせーんだよなぁ下が」
ふああ、と大きなあくびをし、『文太』は伸びをする。蒲団がずるりと落ち、裸体があらわになる。
「風邪ひくぞ、素っ裸で……」
「え、あ……あれ、パンツどこだっけ……」
「床に落ちてるぞ」
「あ、悪ぃ」
床に落ちていたトランクスを拾って渡しながら、文太は違和感を覚えた。
「おい」
「ん?」
「……誰かと”やった”のか?」
受け取ってそれを穿きながら、『文太』は質問に対して何が? という顔をした。
『文太』のトランクスは、前あきの部分に白い体液がこびりついて渇いていたのだ。
「おい、『文太』。」
「……だったらどうだってんだよ」
挑発するように、下から睨み上げてくる、細い目。
答えは、イエスだ。
反抗的な若いそのまなざしに、文太はカッとなった。
「誰とだ」
低い声で、もう一度訊く。
「……高橋兄弟のアニキの方」
飲みに行った帰りに偶然会って誘われたんだ。
『文太』はにべもなく言った。
「アイツ、結構がっつくんだぜ。綺麗な顔の割に」
ほら、と見せた『文太』の二の腕には、涼介が付けたらしい噛み痕が残っていた。
嫉妬させて盛り上げようだなんて、19のガキが小賢しいことをするのもだ。
いや、嫉妬させようなどとは考えていないのかもしれない。
ただしたいからする。誘われたから、する。相手がいるから抱かれる。抱きたいと言われたから身体を開く。
『文太』はそういう男だ。
「ッ、おっさん、……ちぎれるッ……」
昼下がりの部屋に、『文太』の喘ぐ声と水音が響く。
若い文太の『雄』を、文太は口で可愛がってやった。慣れたフェラチオは、若い『文太』には随分と刺激的すぎるようで、必死にかぶりを振って堪えている。
「出したっていいぞ」
「だれ、がっ……あっ、く……」
其処は『文太』の弱点だ。
可愛がられるととても弱い。
立てた膝が震えているのをちらりと横目で見て、文太は強く吸った。
「やああああっ……!」
涼介にもこうされたのか、問い詰めると『文太』は素直に白状した。そうだ、と。『文太』の体中を舐め回して、スマートフォンで後孔の写真を撮りまくって、フェラチオをしながら自慰をして、その割に入れると早かった、と。
「ガキのくせにあっちこっち食いまくるんじゃねえ……」
あともう少しのところで口淫をやめると、口元をぬぐいながら起き上った文太はベルトを緩めた。
「おっさんっ……、」
涙目の『文太』が、その先のことを予感して震える。
「窓のところに行けよ……」文太が命じた。
大きな窓にはまだカーテンがない。
工場の三階はこの町が一望できる高さだ。『文太』のいた世界とは違う、25年後の町を。
ガラスに手をついた『文太』の後ろから、文太が覆いかぶさったかとおもうと、一気に奥まで突き上げる。ガラスに頬を、身体を押し付け、『文太』は耐えたが、すぐにガラスに射精した。
「外見ながらやられるの、お前好きだもんな……」
文太が耳元でささやき、弱い耳朶をかじった。
「おっさん、意地悪すぎだぜ……」
腰が砕けそうになりながら、『文太』はピストン運動に耐え、再び立ち上がった自分の雄を片手で扱いた。
癖が悪いのは昔からだったな、と文太は自嘲する。
「お前のいた世界はともかく、こっちじゃそれは自重しろ……」
「だって、おっさん、かまってくれねえしッ……あ、はっ、出る出るッ……また出るッ」
出る、と繰り返しながら『文太』がまた射精する。勢いよく飛び出した白い精子が、ガラスをまた汚す。
「おっさんも、出せよッ、ッ」
「おっさんになるとなかなか出ねえんだよ……」
鈴口に精子をつけたままの『文太』のペニスがガラスと文太の身体で潰れる。
「ケツがゆるいじゃねえか……どんだけ弄られてんだよ、この淫乱ッ……」
嫉妬、その言葉を口にするのは憚られたが、明らかにそれだ。
文太のピストン運動は、いつもよりもしつこく、深かった。
その後シャワーを浴びに二人で入った狭い風呂場で、『文太』にオナニーをさせて。
もう出ない、そう言い拒む『文太』に無理やりまた射精をさせて、今日はもうこれ以上誰にも抱かれないように……と。
それから文太のものを咥えさせ、顎がだるくなるまで奉仕をさせ、ご褒美にと乳首を弄ってまた勃起させて射精させた。
気づけば夕方になっていた。
休みの日を、睡眠とセックスに費やした『文太』が、夕食前という変な時間にベッドにもぐりこんだのを見届けると、文太はこの家の冷蔵庫に持ってきた惣菜をやっと入れた。
明日はこれを食えよ、と言い残して、部屋を出た。
『文太』はもう眠っていた。
外階段を下りて、工場の裏に停めたインプレッサのところへ行こうとして、愛車の前に誰かが立っているのに気づいた。
「お前……」
「どうも」
薄手のコートを羽織った背の高い男は、高橋涼介だ。
「前を通ったらあなたの車があったので」
頬を染めて俯くその男は、文太に気があるようで、これまでにも何度もアプローチをかけてきた。
「帰れよ、あいつはもう寝てるんだ」
「……そうですか」
「頼むからあいつにちょっかいは出さねえでくれるか」
「貴方が悪いんだ!」
急に、涼介が声を荒げた。
「貴方がオレにかまってくれないから……だから、」
「オレの代わりにあいつだっていうのか?」
「……最初はそのつもりでしたけど……今は、どちらもですよ……」
涼介の頬は紅潮していた。目は真剣そのものだ。
「オレは、貴方も、19歳の貴方も……好きですよ」
「……」
「貴方がかまってくれないのなら、19歳の貴方でもいいから手に入れたいんです」
涼介はそれだけを言うと、「すみません、帰ります」と踵を返した。
ステアを握る腕が重い。
散々セックスをしたせいだ。
「なんでこう、面倒なことになるんだろうなあ……」
頭を掻き、苦虫を噛み潰したような顔をしても、何も解決などしないのだが。
「あのクソガキが……」
誰にも渡したくない。
その気持ちは、本当だ。
愛したのは、19歳の頃の自分。
ああ、なんと滑稽なことか。
(終)
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