「いやあ、苦労しましたよォ。いやぁね、撮影は順調だったんですよ。ただ、捕まえるのにねぇ」
昼間から酒臭いその男は、興奮気味でやけに冗長だった。
依頼をしたときも確かそうだったと思うから、そもそもこういう男なのだろう。
涼介にDVDを渡すと、勧めてもいないのに高橋家の高価なソファに、遠慮もなくどっかりと座った。
依頼者である涼介は男からやや距離を置いて座り、優雅に長い脚を組むと頬杖をついて、しかし侮蔑の眼差しであった。
こんなことを依頼できるのは、悲しいかな涼介の得られる伝手では、この男のレベルが限界だった。
もっと安全で、もっと信頼のおける人間を確保できなかったのは、自分の青さだと涼介は痛感した。
確かこの男は来るまで来たはずなのに、どうして酒臭いのか。まったく、そのあたりのモラルからして欠如している。
尤も、涼介が頼んだことはモラルどころの話ではないのだが……。
たとえばヤクザと言われる類の人間でも、インテリと呼ばれるレベルになると、昼間から酒臭いということもないし、見た目も一般人とは見分けがつかないという。
そういうレベルの人間に頼みたかったのだ。
「ま、久し振りに走ったりなんかしてねぇ、ええ、大変でしたよ」
聞かれてもいないのに語りだす類の人間は嫌いだ。
「何せすばしっこいったらないんですよ。ホントにガキは、大変ですよ」
苦笑しながら頭を掻く。
「そうでしたか、それはそれは」
ねぎらいの言葉をうわべだけ述べて、涼介は渡されたDVDのケースを開いた。
「これがマスターになります。コピーは、ありませんよ。賭けてもいいです」
男は少し声を上ずらせた。
藤原文太19歳 (5人)
ディスクにはマジックで、乱暴な字でそう書いてある。
「3人くらいでいいと言った筈だが」視線だけを横にして睨んだ。
「そう思ったんですけどねぇ、それが」
涼介の依頼は、3人くらいで、だった。
「最初は3と思ってたんですが、そのコがあんまりすばしっこいから急遽数を増やしたんですよォ。撮影の前の日にね、」
コンビニの帰りを試しに追いかけたら、とてもではないが3人では無理だと判断したのだという。
男はディスクを指した。いやあ困った、と言って。
「ああ、それで」
うなずき、涼介はディスクをケースから外し、デッキにセットした。
「よく映ってると思いますよ」
男は、これから自分が撮影した作品が、依頼者たる涼介にどう評価されるのかを、期待と不安交じりに見届けるために、来たのだ。
報酬は出来上がりのレベル次第。
自分が下層の位置にいることくらいは重々承知しているこの男にしてみれば、それとこれとは別だ。撮影者として、クリエイターとして作品を評価されるのだから。
もしも出来が良ければ、帯封をしたものをいくらでも――という、破格の約束であったからだ。
砂嵐。
そのあと、再生が始まった。
カメラが揺れている。この男がハンディカメラで撮影している。
暗がりの倉庫街を走る、男たちの後姿。誰かを追いかけている。
「待てっ!」
「誰が待つかっ」
とがった声。画面はしきりにぶれている。いや、揺れている。
遠くを走る、明るい色のスカジャン。見たことのある背格好――文太だ。ただし、若い、『文太』だ。
最近、ふとしたことで涼介がその存在を知った、44歳の文太とは違う、19歳の『文太』だ。
44歳の文太の、分身たる存在。
その19歳の『文太』の後を、見るからに堅気ではなさそうな男たちが4人、追いかけている。
「何で追いかけてくるんだよっ!」
『文太』の声が倉庫街に響く。
「4人ですね」
追いかけてるのは、と涼介が言った。一人足りない。
「ええ、それがね、一人あっちから回りこんでて、それで、捕まえられたんですよぉ」
男は解説をしてくれ、「じゃあここから先はお一人で」と席を立った。
「ああ、」
涼介は映像を一時停止した。
「終わったら呼んで下さい。御代の話はそのときで」
「……そうですね」
男はぺこぺこと頭を下げて部屋を出て行った。
やがて玄関のドアを、門扉を開け閉めする音が続いた。
涼介が窓際に立ち、ブラインドを押さえて外を覗くと、高橋邸から大分離れた道路脇に停まっている古い外車に、男が乗り込むところだった。ぼこぼこに凹んだボディの古い外車だ。
「……ふん」
涼介は部屋の入口に鍵をし、再生を再開した。
場面が転換し、『文太』がつかまった。
「止めろっ! 何しやがんだてめーらっ!」
むちゃくちゃに暴れる『文太』を、男が5人がかりで押さえつている。なるほど、確かに3人では心もとないはずだ。5人がかりで両手両足を押さえられると、流石に喧嘩が強いと自負する文太もただもがくだけとなっていた。
「打っとくか」カメラマン役のあの男が言うと、日焼けした男が光るものを懐からさっと出した。
注射器だ。
それを『文太』の腕に手際よく射し、中身を注入した。
「なにしやがるっ!」
「なぁに、ちょっとおとなしくしてもらうだけだよー」笑いながら、カメラマン役の男が言う。
「っ、……あんだこれっ……」
「ちょっと痺れるだけだよ。なに、数時間で取れるさ」
「ぁっ、っく……!」
コンクリートの地面に注射器が放り投げられる。別の男がそれを踏む。
効果は早くもあったようで、『文太』は身体の自由が利かなくなっているようだ。みるみる抵抗しなくなっていった。
手荒な真似は最小限に、しかし暴れるのならそれなりに――涼介の依頼は守られているようだ。
涼介は早くも喉の渇きを覚えていた。画面に食い入るように、見入っていた。
また、場面が変わった。
何処かのラブホテルの一室だ。
卑猥な感じの赤い系統の照明。やけにでかいベッド。
そこに投げ出された、裸の『文太』。
きっちり整えていた前髪は早くも乱れ、細い目が充血しているのは先ほどの注射のせいだろうか。
舐めるように、頭から足先までを何度も往復して映す。
先ほど『文太』を押さえつけていた5人が方々から手を伸ばしてくる。男たちも、裸だ。
「細いけどエロい身体してるよねぇ」
5人と、カメラマン役の男が『文太』を取り囲んでいる。自由の利かない『文太』は、呂律が回らない様子で、何かを訴えかけている。
男たちはみながっしりとしたいい体格をしているが、腕には英字のタトゥーがびっしりと彫られていたり、耳には派手なピアスが幾つもあいている者もいる。
「マサさん、コレ、好きにしちゃっていいの?」
両腕に黒いタトゥーを掘り込んだ男がマサさん、とカメラマン役の男に尋ねた。マサさんは、「ああ、いいよ、むちゃくちゃにしてやってくれってのが依頼だから」と笑ってOKを出した。
「そう、じゃあそうするよ。いい身体してるもんねぇ」
舌なめずりをし、タトゥーの男は『文太』にキスをした。
抵抗が殆ど出来ない『文太』は嫌がりながらもそれを受け入れるより他はない。その間にも他の男たちが、『文太』の身体をまさぐる。
両胸で赤くとがる乳首を摘まれ、『文太』は「っ、ああっ、」と身体をはねさせた。
細い脚を開かされると、薄い恥毛が守るペニスが画面に大写しになる。
「ほら、キスと乳首でもう感じてんよ、この子」
若いペニスは七分勃ちだった。先走りがとろりと垂れる。男たちが笑う。
別の男が『文太』の足の指を口に含んだ。愛撫するように、ねっとりと、舐める。
唇を奪われ、乳首をまさぐられ、今度は足の指を。なま白い腋を舐める者もいる。
自由を奪われ、全身を愛撫され、『文太』からは、声ともなんとも区別のつかない喘ぎがこぼれていた。
最後までお預けにされていたペニスにもしゃぶりつく男がいた。
「っ、ああああっ……!」 やっとキスから逃れた『文太』が激しく叫んだ。
「ナマで出しちゃっていいんだよね、マサさん」
「そうだねぇ、そのほうが喜ぶだろうねぇ、この子も」
マサさんは何がおかしいのか笑い、男たちは了承をもらえると頷いて、『文太』の身体を裏返した。
「ほら、まだウブい色してんの」
薄い尻たぶをタトゥーの男が開く。深く色づいた、『文太』の後孔が画面にアップになる。
「でもヴァージンの形じゃないよね」
「孔がタテになってるからね」
「……っ、」涼介は、テレビの前で身を乗り出した。
「あんまり遊んでない色だなぁ」
タトゥーの男の太い指が、ぷつ・とその孔に突き立てられる。
「いやだぁっ、やめ、っ、ひっ、」
『文太』は呂律がはっきりしない拒否の言葉を上げた。
「止めてっていっても、飲み込むんだよねえ」
男の指が、ずぶずぶと奥へと飲み込まれていった。細かな皺を押し広げて。
「ああ、結構締まるのな」
「オレもオレも」
別の男の細い指ももぐりこんできた。
「いやだぁっ!」
また、叫ぶ。
しかしその男の指も『文太』のいやらしい孔は飲み込んだ。
「お、すっげ、締まる締まる」後から突っ込んだ男が驚きの声をあげる。
「いいケツしてんのな、この子」
「名器だぜ」
「あ゛あああああっ……!」
カメラがベッドの上に移動する。
投げ出されたいくつものアダルトグッズ。そのうちのギャグボールが、『文太』の口に取り付けられる。
「あんまり騒ぐとこのホテル出禁になるんでね。こんだけ抵抗してたらフェラどころじゃなさそうなんで。かまれたら元も子もないんで」と、マサさんの解説が入った。
極太のディルド、ローター、バイブと、モノはどこかでみたようなものばかりだ。
それに塗り薬の類もいくつかある。
「じゃあこれから」
と、一人の男が塗り薬を指にたっぷりと取った。どぎつい色のそれを、裏返した『文太』の尻たぶを再び広げ、孔へと塗りこめる。
「こうすると締まりも良くなるし本人もキモチヨクなるんですよー」
何処かのんきなマサさんの解説に、男たちから笑いが起こる。
『文太』は相変わらず呂律が回らないまでも何かを訴えかけてもがいてはいるが、注射のお蔭で抵抗はどれほども効果はなく、ギャグボールをはめられればもう言葉にはならない。
「じゃあオレから」その塗り薬を塗った男が、『文太』をバックで抱え込んだ。
堅気ではないのだろうが真珠入りのグロテスクなペニスを『文太』の尻につき立て、ぐいっと押し入った。
「んぐっ、ん、んーーっ!」
本来ならば侵入されるべき場所ではないところへ極太の異物が侵入し、『文太』の細い目がかっと見開かれる。アナルセックスは体験済みとはいえ、このセックスは前戯が少ない。
「おっ、締まる締まる」
「いいねぇいい顔してるよ」
「オレのも腋でコいてよ」別の男が『文太』の腋にペニスを挟む。
涼介は瞬きをするのも惜しいほど、画面に見入っていた。
愛しい人が目の前で蹂躙される。
その映像に、涼介のペニスはジーンズの下で痛いほどに興奮を主張していた。
ああ、あんなに、むちゃくちゃにされている。
「……」
バックで貫かれる『文太』の全身をカメラは写していた。
ぴんと天を向く若いペニスを、貫く男の手が握り、しごく。
『文太』はシーツを握りしめ、必死にこらえていた。
途中、『文太』の身体が硬直したかと思うと、男の手の中のペニスから白濁がぴゅっぴゅっと飛び出す。
「イッちゃったねぇ」
「おいおい、こっちはまだだぜ」
笑いながら、男は腰を激しく振り続ける。
イかされても止まることのない律動に、『文太』の眦からは涙がぼたりぼたりと溢れる。
「ああ、いいよぉ、すんげー締まってる」
男の顔が恍惚の表情になる。
「中出しちゃうよ、タネつけちゃうからなぁ、ほら、出しちゃうぜ、ほら、ほら、ほら!」
「ぁ、うあーーううっ……!」
男が射精し、『文太』がベッドに崩れ落ちる。すぐさま別の男が、今度は正常位で覆い被さる。細い両脚を肩に担ぎ上げ、射精された後孔へと別のペニスが入る。
「うっわ、ナカどっろどろだよ」二番目の男は笑った。
「でもすっげー締まる」「そりゃあれ塗ったからな」画面の隅に、先ほどの塗り薬の缶が少しだけ映る。
「若いけどいい身体してるし、一本出したら売れるんじゃねーの」
両腕タトゥーの男が言ったが、マサさんは「それはだめなんだよ。この映像もマスターを依頼者に渡すからね」と提案はやんわりと否定された。
「そうなのかよ、残念」
一本とは恐らくはゲイビデオのことを言っているのだろう。
射精した『文太』のペニスはまた勃起し、天井を向いている。
「これもうオナホで被せといたら」マサさんが笑いながら言うと、誰かが本当にオナホを放り投げてきた。
正常位で腰を振っている男が、『文太』のペニスにそれを被せた。
「いいねぇ、いい格好だよー」「後ろも前もイき放題じゃん」
『文太』の顔は、真っ赤になっていた。
目はもう空ろで――。
涼介はたまらず、ソファから立ち上がった。
部屋の隅に大股で歩いていくと、小奇麗なカバーを被せてあるボックスティッシュを手にした。
「っ、は……っ、」
テレビの前に立ち、せわしない手つきでジーンズを膝まで下ろした。
固く天を向いた自身のペニスを手でくるみこむと、画面を見た。
「『文太』さんっ……」
画面の中では、『文太』の顔に、二番目の男が顔射していた。
綺麗な顔が、白濁で汚されている。
「っ、『文太』さん、『文太』さんっ……!」
涼介は『文太』の名を呼びながらペニスをしごき、あっという間に、射精した。
『文太』は五人の男にかわるがわる犯された。
勿論道具も使われた。
その結果、映像はかなり長いものになっていた。
最後に、「はい、5人分がこの通りー」とタトゥーの男が『文太』の尻たぶを開いて見せた。
激しいセックスで文太の薄い尻は赤く腫れ上がっていた。
後孔も摩擦で腫れ、だらしなく口を開けている。そこから5人分のどろりとした精液がたっぷりと滴り落ちた。
「すんげーの。腹ん中パンパンだろこの子」
「なぁ、掻き出して第二ラウンドいいかなぁ、マサさん」
「いやあ、もうビデオの充電がないよ」
「ここで借りれば」
「それよか正体がなくなってるでしょ。面白くないよ」
そんなやりとりをBGMに映されるのは、もうすっかりと正体をなくした『文太』だった。
体中に付いたキスマーク。あちこちに射精され、べたべたになった身体。
さっきまで『文太』の身体の中で暴れまわっていた外国製のバイブが放り投げられている。それにはうっすらと血までついていて、行為の激しさを物語っていた。
ペニスに被されていたオナホ。そして、『文太』の尿道を攻めた金属製の細い管も。
「こんだけ抵抗がないとやるのは簡単だけど、反応がおもしろくないよねぇ」
「まぁな。やる気満々なのも萎えちゃうときあるけどさ」
「いい子だから今回限りってのは惜しいよねー」
男たちの会話からするに、こういうことはやり慣れているのだろう。
やがてカメラが天井のライトを映し、映像はやっと終わった。
マサさんと呼ばれていた男が再び高橋邸に呼ばれたのは、たっぷりと二時間後だった。
映像の長さは撮影した自身が知っていたから、それくらいは待つつもりだった。
「いやあ、どうでしたかな、ご満足いただけましたか」
先ほどのリビングに入ると、涼介の衣服が変わっている事に気づき、マサさんは小さく笑った。
(まあ、普通はオカズにするもんだがね)
かく言う彼自身、あの動画を編集しながらオカズにした。
「いい映像でしたよ。依頼した甲斐はありましたね」
涼介は綺麗な顔に笑みを浮かべ、紙袋を手渡してきた。
受け取って、中を改めると、マサさんの表情が驚きへと変わっていく。
諭吉の帯封は一つあれば十分かと思っていたのが、5つもあった。
「それで、いかがですか?」
涼介に訊ねられ、「いや、もちろん、結構です」とマサさんは分かりやす過ぎる反応を示した。
この下衆が、と涼介は心の中でなじった。
帰りは涼介が玄関まで見送った。
「すみませんね、お茶もなしで……今日は家のものがいないので。おもてなしも何もなくて。これでも、良ければ」
どうぞ、と涼介が差し出したのは、市販の缶コーヒーだった。
「ああ、どうも」
「これ、頂き物で申し訳ないんですが皆さんで」
と、玄関の上り口に置いてあった、お中元だというビールが入っているという、デパートの包装紙に包まれた重い箱を渡した。中で缶が動き、鈍い音がする。
「いやあ、どうもどうも」
すっかりと上機嫌で嬉しそうにそれらを受け取ると、マサさんは乗ってきた、ぼろぼろの外車に乗って帰っていった。乗り込むまでも、何度も涼介に頭を下げていた。
早く帰れ、と涼介が思っているのも知らずに。
まぬけなエキゾーストが遠ざかっていく。
涼介はふ、と笑った。
「だれもあれが本物のお札だなんて言ってないんだけど、大した喜び様だ」
あの男に渡した札束5つ。本物のお札は上下の一枚ずつ、つまり本物は10万円だけで、中は全て偽札だ。
尤も、精巧に出来た、という枕詞が付くが。
リビングに戻って、映像のディスクをケースに収めると、涼介は目を細めた。
ソファの脇のゴミ箱はティッシュの屑が幾つも丸めて突っ込まれていた。
「ふ、」
見たかった映像……愛しい人が蹂躙される様を見ることが出来た。
自分では、したくてもできないこと。
嫌われたくはないから。
涼介は二階に上がると、廊下の突当りにある客間のドアをそっと開けた。
「『文太』さん」
声をかけたが、反応はない。
客間のベッドの上には、眠る『文太』がいた。
『文太』はあの『撮影』の後、マサさんを始めとする男たちに、意識も朦朧としたまま道端に捨てられた。殆ど裸同然で。
その『文太』を、『偶然』、『通りかかって』、『助けた』のが涼介だ。
高橋クリニックで手当てをし、この家に寝かせてある。
目覚めたらきっと、『文太』は涼介に感謝してくれるだろう、そして……。
後のことを思うと、涼介の胸は高鳴り始めた。
遠くで救急車の音がする。
ああ、あの男があの缶コーヒーを飲んだんだろう、と涼介は思った。
事故だ、誰かのそんな声が聞こえる。
あの缶コーヒーには、所謂非合法のドラッグが大量に含まれていたのだ。
摂取すれば異常な興奮と幻覚をもたらすものだ。それを飲んで運転などすればどうなるか。
そしてビールだと渡した箱には、缶に入ったガソリンが詰まっていた。
救急車と、消防車が高橋邸の前を走っていく。
「おや、事故ですか?」
「あら高橋さんのところの……そうみたいねぇ。この先の坂道で、古い外車が電柱にぶつかって、なんだか燃えてるらしいのよ」
涼介が家を出ると、隣人の老婦人が外に出ていた。
会話を交わし、空を見上げると、遠くで黒い煙が上がっている。
「本当だ」
「いやあねえ、物騒だわ」
「本当に。物騒ですね」
パトカーもサイレンを鳴らしながら走っていく。その方向を見ながら、涼介は馬鹿めが、と心の中でつぶやいた。
あんな男に金を渡して、弱みを握らせるほど涼介は愚かではない。
欲しいものを手に入れたら、あとはさようならをするに限る。
偽札も男も、今頃全部燃えてなくなっているだろう。
涼介は踵を返し、家に戻った。
『文太』がもうすぐ、目覚めるころだろうから。
(終)
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