「14日って、お前ドコ行ってたっけ?」
確か山には来なかったよな、と慎吾はスマホを片手に、視線もスマホの液晶に落としたまま中里に訊いた。
「ああ、風邪気味で体調があんまり良くなかったからな。誰かに移すと悪ぃし」
「仕事は?」
「ちょうど休みだった」
「なんかそれ、損した気分だろ」
「まーな」
慎吾が旨そうに煙草を吸っているものだから、中里も口寂しくなって、胸ポケットからソフトケースを取り出した。
一本咥え、火をつけようとして。
「……それがどうかしたか?」
咥えたまま、慎吾に訊いた。
夜のコンビニの駐車場の片隅での、ナイトキッズ首脳会議。いや、首脳会議と言うにはちょっと大げさだろうか。
お互い仕事帰りだ。
中里はくたびれたスーツで、慎吾はバイト先のエプロンをつけたままで。
缶コーヒーを片手に、次にナイトキッズで集まる予定を立てる。
その最中の、会話の流れの一つ。
の、はずだった。
「いやぁ、誠太郎がさ」
チームメイトの大学生の名前が出てきた。
「ああ」
「アイツ、サークルの合宿だか試合だかで来れなかったんだけどさ」
ぷはぁ、と紫煙を吐き出し、慎吾は「お前を横浜で見たって言うんだ」と火のついた煙草の先で中里を指した。
「はん、そんなとこ行かねーよ」
「だよなぁ? 見間違いだよなぁ。あいつ目ぇ悪いし」
「それ何時ごろだ」
「夜の8時過ぎっつってたかな」
「ふつーに寝込んでた時間だよ」
「じゃあ尚更、人違いだな」
「当たり前だろ。元気でも行かねえよ。んなとこまで行くカネあったらガス代につぎ込むぜ」
「全くだ」
その話は其処で終わり、近々バトルの申込があるかもしれないと慎吾が振った話題に切り替わった。
慎吾のバイト先の繋がりで、腕に覚えのあるらしい栃木のチームがナイトキッズに興味を持っただとかなんだとか……。
とにかく、そんな話だった。
慎吾と別れ、EG6のテールランプを見送ると、中里はR32に乗り込み、さっき慎吾との会話の中で出てきた、誠太郎にメールを打った。
『誠太郎まだ起きてるかな?
お疲れ。
14日に横浜でオレを見たって?』
送ると、すぐに返信が来た。
『こんばんは! まだ起きてますよ!
今さっき庄司さんからあれ中里さんじゃなかったらしいってメール来ました。
人違いですかね? スミマセン。。。』
しょんぼりした絵文字が添えられていて、別に、迷惑などこうむってはいないのだが、中里はその話に興味がないわけではなかった。
『いや、別に迷惑とかじゃないよ。
ちょっと聞かせて欲しいんだけど、そのオレって一人だった?』
送信すると、また、すぐに返信があった。
『いえ。
今から電話していいですか?』
(電話?)
意味深な改行に中里がOK、と返信する間もなく、携帯が震えた。
『もしもし、誠太郎です』
「ああ、……中里だ。おい、OK出してねぇぞ」
『すみません、運転中でした?』
「んなことはしねーよ。コンビニの駐車場。それより、どうしたんだ?」
メールでやり取りをしていたのに、いきなり電話で話したいとは、何かあるのだろうか。
身に覚えがないわけではなかった。
だから中里の鼓動は、速度を増していた。
『いえ、あの、なんつーか……メールで上手く説明できないっぽくて……』
「なんだよ、それ」
灰皿に煙草を押し付け、もう一本を咥えて火をつけた。
『サークルの試合みたいのがあって、打ち上げで横浜に行ってたんですけど……』
「うん」
『海沿いの、結構いい夜景の見えるトコで……オレ地名とかよく覚えてないんですけど、そこで中里さんを見たんですよ』
「だからオレはそんなトコ行かねぇよ」
『ですよねぇ、ましてや、あの高橋涼介と一緒になんて……』
心当たりの名前が誠太郎の口から出てきて、中里は絶句した。
『それも、レンタカーですよ? あり得ないですよね!』
「……レンタカー?」
『はい。だって、ナンバーのひらがなが”わ”って、レンタカーですよね?』
「……ああ、そう、だな」
誠太郎の話はこうだ。
大学のサークルの何やらの打ち上げで横浜のレストランを貸しきった。
レストランから少し歩くと、海沿いの、夜景の綺麗な、お洒落なスポットがあり、夜な夜なカップルでいっぱいだという。
冷やかしがてらサークルのみんなで繰り出したら、案の定カップルだらけだったようだ。
『その中にレンタカーが一台、いたんですよ。それ運転してたのか、高橋涼介で……あ、オレが見たときは停まってたんですけど』
高橋涼介は、遠目にも目立つ存在だ。だから見間違えるはずはない、と誠太郎は断言する。
それは、中里も同意するところだ。
あんな目立つ男が世の中にごろごろいたら、迷惑千万だ。
『で、ナビに乗ってたのが中里さん……に、見えたんですよ』
「……その時間は家で寝込んでたよ」
『そうだったんですね、すみません。いえ、なんかヨソのチームの人間も絡んでくるから、なんかメールじゃ、アレかなって……はは』
「別に、そう見えたんなら仕方ねぇだろ」
すみませんを繰り返す誠太郎に、中里はいいんだよ、を繰り返して電話は終わった。
携帯の通話終了ボタンを押すと、中里は大きく息をついた。
「……マジかよ」
14日は確かに体調が悪かった。
だから朝から、寝込んでいた。
そうしたら、昼過ぎに高橋涼介が尋ねて来た。
何が理由なのか、高橋涼介は最近、何かにつけて中里に会いたがっていた。
近くに寄っただの、チームはどうだ、だの、些細な理由をつけては中里の所へ訪ねてきていた。
14日もそんな感じで家に押しかけてきた。中里は御覧の通りだと体調不良を理由に、玄関先で追い返したのだが。
『そうか、中里は体調が悪いのか、だったらこれ飲めよ。ウチの病院からパクって来たヤツだ』
レッドサンズの連中が体調が悪い時に配るんだ、と高橋涼介は中里に錠剤をくれた。
ピンク色の錠剤を2錠。
眠くなるけど、起きたらすっきりするぜ……と。家が病院の、しかも現役の医大生のお言葉には甘えるに限る。次の日は這ってでも行かなければいけない案件があった。
丁度家にあった総合感冒薬は切らしていたし、買いに行くだけの体力もなかった。
『ああ、ありがとうよ。もらっとくぜ』
高橋涼介が帰るとすぐ、錠剤と共に貰ったゼリー飲料を飲んだ。それからくだんの錠剤を飲んだ。
ベッドにまた潜り込んで、20分もすると確かに睡魔が襲ってきて……目が覚めたら次の朝だったのだ。
確かによく眠った。
眠りすぎたくらい、眠った。
身体はすっきりしていたから、効能に偽りはなかったようだ。
(なんでアイツの名前が出て来るんだ……?)
誠太郎が中里を見たという時刻、中里はぐっすりと眠っていたはずだ。
頭の中を幾つかの推理が掠めるが、どれも現実的ではない。
それでも。
15日の朝、目覚めた時に気づいたいくつかの違和感。
閉めていた筈のカーテンが少し開いていたこと。
外していた筈のパジャマの一番下のボタンがしっかりと止まっていたこと。
下腹部の違和感。
これらはいったいどう説明すれば、いいのだろう。
(そんな……まさか)
誠太郎の目撃談は、その答えのような気がしなくもない。
いや、そんな答えは欲しくない。
まさかで、あって欲しいのだ。
あの時間、自分はベッドで眠っていた。
その筈なのだ。
誠太郎が見たのは人違いだ。
その、筈だ。
そうでなくては、困る。
(終)
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