金曜日のおじさん

「金曜日のおじさん」
そう呼んでいるのはオレだけで、おじさんの本当の名前は知らない。
おじさんも名乗らないし、オレも聞かないから、二人の間ではそれで通っている。
初めて出会った中学一年の夏からずっと、おじさんとは金曜日の夜にだけ会う。だから、金曜日のおじさん、と呼んでいる。
あの頃のオレは毎日毎日、それこそお盆と正月だけの休みが「売り」の、ハードスケジュールな学習塾に通っていた。
その塾の帰り道に、おじさんに「浚われた」。
中学一年の夏の、やっぱり金曜日のことだ。
友達と別れて一人夜道を歩いていたら後ろから車が近づいてきた。窓ガラスが開いて「すまないけど、道を教えてくれるかな」と無精髭を生やしたおじさんが聞いてきた。
「初めての場所だから分からなくて」 困ったように頭を掻くおじさんは、少しお酒のにおいがした。おじさんが窓越しに手渡してくれた地図は手書きで、わかりにくいものだった。 裏通りにある工場に行きたいようだった。
「毎日通ってますから、分かりますよ」「じゃあ、案内してくれるかな」「いいですよ」
こんな時間に裏道にある工場に、何の用事があるのかなんて考えもしなかった。人を疑うことを知らなかったオレは道を教えるためにおじさんの車に乗って――。

おじさんに、抱かれた。

工場はとっくに廃墟になっていた。
「いやだっ、おじさんっ、やめて……!」
「いい子だからじっとしてろ、裂けちまうぞ」
裏通りの廃工場の敷地の奥に停めた車の中、どれだけ叫んでも誰も助けに来てくれなかった。
倒したシートの上で裸に剥かれ、お尻の奥をおじさんの指でまさぐられ、まだ剥けていないペニスを扱かれ、性教育の授業で聞いていた精通を迎えた。
それだけでは終わらなかった。
おじさんのペニスを口に含まされ、苦い精液を飲まされた。沢山裸の写真を撮られ、喘ぐ声を録音された。
驚きと恐怖。そして快感。入り混じったそれらは13歳のオレにはあまりにも強烈だった。
初めての射精の後、ぼおっとする意識の中、おじさんに名前を尋ねられ、素直に答えていた。
「高橋……涼介、です……じゅうさんさ い……」「涼介、か。いい名前じゃねえか」目の細い、煙草とお酒の匂いのするおじさんは笑って、使い捨てカメラでオレのペニスの写真を撮った。その後、おじさんのペニスをお尻の孔に迎え入れて、処女も失った。いや、おじさんに処女を捧げた。
「大人には言うなよ。言ったら、こいつをばらまくからな」
おじさんはカメラを掲げて念を押した。オレはうなずいた。

「涼介、こんなモンばらまかれたくないだろ? 来週の金曜に、またおじさんの相手をしてくれるか?」

それから金曜日ごとに、おじさんは塾の帰りにオレと少しのデートをするようになった。
塾が終わって、オレは皆と別れて少し寂しい通りに向かう。そしたらそこにおじさんの車が待っている。あの廃工場の奥に車を停め、カーセックスをする。
最初はおじさんに扱かれて射精するだけだったのが、おじさんのペニスでお尻を犯されて感じて射精するようになるのに時間はあまりかからなかった。
乳首を舐められて射精し、エッチな写真を撮られて射精し、しまいには耳朶をかじられるだけで射精するようにもなった。

狭い車の中、毎週金曜日、オレはおじさんと交わっていた。

塾は高校に上がっても同じ塾だったから、 おじさんとは何年も続いた。

「おじさん、来週も会えますか?」
「ああ……そうだな。また、ここでな」
セックスを終えて、汚れた身体を拭いながら聞くと、おじさんは頷いてキスをくれる。
萎えたおじさんのペニスをまたほお張ると、おじさんが「こら」と笑いながら叱って、そのくせちゃんと勃ってくる。
「一週間分のセックスをしたいんです」 オレが乞うままにおじさんはオレを抱いてくれた。
「ほら、ここ、まだ欲しがってるでしょう」
倒したシートの上、おじさんにお尻を向ける。いやらしく腰をくねらせて、おじさんを煽る。
おじさんの熱いペニスが挿入され、歓喜と快楽がオレを包む。
「おじさん大好き……愛してます」
言うと、おじさんのペニスがオレの中で大きくなるのが分かった。

オレの言葉に嘘はないつもりだった。

おじさんの言うことは何でも聞いた。 高校に受かったお祝いだと言って、おじさんがくれたのは女の子が着ける下着だった。それを着けておじさんとセックスしたこともあった。
「よく似合ってるじゃねぇか、涼介」
おじさんはそう言ってほめてくれた。
勃起したオレのペニスが、小さすぎるレーシーな下着の横からはみ出した。おじさんはそれを可愛がってくれた。


その頃、オレは家庭も学校もあまり面白くなかった。 うちは両親ともに医者で、医学部に入れ、入れないなら値打ちはない、が口癖だった。 外面だけは良くて、その実仮面夫婦だった。
学業だけで生徒の優劣をつける学校も面白くなかった。 話の合わない友人たち。塾もその延長線上。
だから金曜日のおじさんとのデートは、 カーセックスは、オレの一番の楽しみだった。
オレを可愛いといってくれるのはおじさんだけだった。 いやらしいことに興味があるとオレが言うと、それが当たり前だと肯定してくれた。勉強は出来るけどつまらないとオレが言えば、おじさんは笑ってそうだ、そうだと言ってくれた。 オレを肯定してくれるのは、おじさんだけだった。 オレのイく時の顔がたまらなくそそると言ってくれたのも、オレの精子は美味しいと言ってくれたのも。 黒い髪も顔もとても綺麗だと言ってくれた のも。オレとのデートが楽しみだと言ってくれた のも。 おじさんだけだったから。

おじさんとの金曜日は、あの頃のオレの全てだったといってもいい。
だから、許せなかった。

高校二年の冬の、木曜日の夜。
明日のおじさんとのことを楽しみに、 塾の帰りにコンビニに寄った。
そこにおじさんがいた。 おじさんは「違う子」を連れていた。線の細い、背の低い男の子。その子と手を繋いでいた。
その子は中学生だけどオレの知っている子だった。少し前までオレの通っている塾に来ていた、有名な市会議員の息子。その時は違う塾に通っていた。おじさんはオレには気づかず、その子の手を引いて出て行った。

オレだけじゃなかったんだ!br>
裏切られたとすぐにわかった。哀しみと、辛さと、 恨みが渦巻いた。
オレはおじさんだけだったのに!
オレはおじさんしか見ていなかったのに!
オレはおじさんだけのものだったのに!

だからオレは警察に電話をした。

『もしもし、警察ですか? あの、最近、 ○○駅辺りの塾帰りの子を付回す車がいるんです。声を掛けてきたり……怖いからパトロールして下さい。 車種は……ハチロクで……』

オレの電話から後、塾の周りにはパトカーが頻繁に巡回するようになった。

――おじさんはそれ以来、オレとの逢引の場所には来なくなった。


木曜の夜にあのコンビニに行ってみたら、 あの子が人待ち顔でずっとたたずんでいた。あの子もおじさんを待っていたんだ。
その前をパトカーが行き来していた。

おじさんの連絡先は知らなかった。
知っていたのはおじさんが乗っていた車、ハチロクのナンバーだけ。
だから、それで終わった。 オレはおじさんの名前すらも知らなかった。 身体はよく知っていたけど。

おじさんとの関係を壊したのはオレであり、おじさん自身でもあった。

おじさんと会わなくなってから、オレは激しい後悔と喪失感に襲われた。
あのまま何も言わずにおじさんとの関係を続けられるほど、オレは大人ではなかったし、賢くもずるくも無かった。 あの子との関係をおじさんに問いただす勇気さえも持っていなかった。
おじさんとのセックスを思い出して一人あの廃工場でオナニーをして、おじさんの来るのを待った。
おじさんは来なかった。代わりにパトカーが行き来するだけだった。
もしかしたら警察に捕まったのかもしれないと思い、一人で涙を流したこともあった。


――親の希望通りの大学に入って、あの塾にもあの廃工場にも行かなくなった。
代わりに、オレは峠で車を走らせることを趣味にするようになった。
いつだったかおじさんに、「おじさんは趣味は無いの」と聞いたら、「時々峠で車を走らせてるくらいだな」と言っていた。 それが楽しい、と。
カーセックスをするこの車も、峠に出れば早いんだと言っていた。
だからオレも峠に出た。
またおじさんと会いたかったから。

おじさんとの関係が途切れて数年、愛し合った時期と同じくらいの年月が経った頃。
おじさんではなくその息子が、あの車に……おじさんと オレが愛し合っていたあの車に乗って、オレの前に現れた。
奇しくも、オレと同じく車を走らせることを趣味にしたオレの弟を負かした車が、そのおじさんの車だった。乗っていたのはおじさんの息子。

(あの車……)

「ずいぶん若いな……名前は」
「藤原拓海」

藤原とうふ店と書かれたハチロクには、確かに覚えがあった。
間違いなくあのナンバーはあのおじさんの乗っていた車だ。
オレが載せてもらっていた頃は、あんな店名は記していなかったけれど。
おじさんの車から降りてきた高校生は、これはオヤジの車でと言い訳をしていた。


なるほどと、合点がいった。

金曜日のおじさんに、また会える。 オレは頬が緩むのを堪えていた。
「涼介、このバトルどう思う?」
チームメイトに訊ねられ、オレは「さあ」とあいまいに返事を返した。
バトルなんてどうでもよかった。
ただ、おじさんへのきっかけを掴めた。それでオレは満足していた。

もう一度愛してもらえるだろうか?


あの頃のように。
オレの心臓は早鐘を打っていた。




「……うちの啓介を負かすとは、お前見込みあるよ」
バトルは予想通り。
弟の啓介は、おじさんの息子……藤原拓海に負けた。
バトルの数日後に、藤原拓海が働いているというガソリンスタンドに行って、彼の家を訪ねる口実を作りに話しかけた。
おじさんに会いたかったから。
オレが求めていたおじさんと、また会えるんだ。
オレの声は上ずっていただろう、きっと。
昔散々カーセックスをしたおじさんのクルマは、いつの間にか豆腐屋のハチロクと二つ名を頂き、ここ最近、このあたりの走り屋の羨望の的となっていた。
「そんな、別に……オレはただオヤジが教えれてくれた通りに走っただけで……」
「オヤジさんって、藤原はオヤジさんに走りを教わったのか。なるほど、血ってやつか」
照れながら俯く藤原拓海は数日前にオレの弟をぶっちぎって勝ったとは思えないほどの、普通の高校生だった。
オヤジさん、とおじさんのことを聞き出そうと俎上に上げる努力をする。
「血っていうか……オヤジとオレとは実は血は繋がってないんですけど……」
「そうなのか?」
「ええ、オレ……中学の頃に、身寄りを無くして……親戚の所に引き取られていたんです。その頃、毎週水曜日の夜に、オレに会いに来てくれていたのがオヤジだったんです。だからオレ、オヤジのことを水曜日のおじさんって呼んでたんです」
その後引き取ってくれて養子縁組をして、と藤原は頬を染めながら、語ってくれた。


「ああ……そう、だったのか……」


おじさん。 今度はオレだけにしてくれますか?
目の前のこの、あなたの息子を負かしたら。
貴方はオレだけを、愛してくれますか?


(終)

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