名誉の負傷(前編)
|
涼介の運転するFCのナビシートで、拓海は落ち着かない様子でソワソワしていた。膝の上で手をもじもじさせ、浮かない顔を隠さなかった。二人を乗せたFCが向かうのは、高崎市内にあるレッドサンズ御用達のファミレスだった。
「藤原、そう緊張するなよ」
「……あ、はい……」
ステアを握る涼介は、横目で拓海の様子を伺うと苦笑した。
「そんな緊張するような相手じゃねえよ――結構いい奴だぜ?」
「そ、そうなんですか……」
涼介が拓海をそのファミレスに連れて行くのには理由があった。
”結構いい奴”と涼介が言った、やはりレッドサンズ御用達のショップの整備士に拓海を会わせる為だ。
春から始まる、涼介率いる県外遠征チームに拓海がドライバーとして参加することになったのだが、その整備士もハチロク専属のメカニックとして参加するのだという。プロのレーシングチームの様に、メカニックとドライバーはいわばコンビを組むような形、というのが涼介の素案だ。
今日の顔合わせを終えたら、その後は早く何でも言い合える仲になって欲しい、今日の仲立ちはするが後は二人で個人的に会うなりなんなりして交友を深めておいて欲しい――と涼介に言われた。
ただでさえ人見知りするタイプの拓海には気が重い話だ。
初対面の人間と打ち解けるのには時間が掛かる上、涼介の県外遠征チームには女性はなんと拓海一人だという。
当初、史浩の知己の、レッドサンズとも懇意な走り屋チームの女性が広報補佐で入る予定だった。それが仕事との折り合いが付かず、話が流れてしまった。それだけでも拓海はがっかりしたのに、その上整備士とは阿吽の呼吸で……などと言われれば、気が重くなるのも致し方ないことだ。
(整備って……涼介さんが指示出して工場に持っていくだけだと思ってたのになぁ)
そういえばレッドサンズはバトル時にワゴン車を持ち込んで、その場でタイヤ交換などをしていた。恐らくはあれと同じような形なのだろう。
「オレや史浩が免許取る前から出入りしていたショップの息子だ。トヨタのディーラーにいた時期もあるから、トヨタ車ならなんでも任せていいぜ。走り屋もやってたから、ドライバーの気持ちもわかってくれるはずだ」
「……はぁ」
(啓介さんはいいよなぁ……レッドサンズ時代と変わりないんだもんな)
拓海は啓介が羨ましいと思っていた。
拓海とダブルエースを張る啓介は、レッドサンズ時代からFDを任せていた整備士をチームに引っ張り込むことに成功したという。
(……気が合わなかったらどうしよう……)拓海は小さく、ため息をついた。
ファミレスに到着し、ウエイトレスに涼介が名前を告げると奥の席を案内された。昼時で家族連れなどが多く、店内はごった返していた。
(あ……あの人か……)
涼介の後ろに隠れるようにして、拓海は史浩と並んで座る作業服姿の男を見た。
短い黒髪で精悍な顔立ち。ショップ名の入った、少しくたびれた作業服を着ている。
「済まない、待たせたな」
拓海を連れた涼介を認めると、史浩と松本は慌てて席を立とうとし、涼介が「いい」と制した。
涼介と拓海は二人の向かいに回った。
(うわ……すごい大人のヒト……)
涼介や史浩も、拓海からすれば充分大人だが、松本はそれよりさらに年上だ。落ち着き方が違う。
「松本、こっちが藤原だ。知っていると思うが。藤原、ハチロク担当のメカニックの松本だ」
「初めまして、藤原。松本だ」
「あ……初めまして。藤原拓海、です」
涼介に紹介を受け、差し出された松本の手を握ると、ごつごつしていてとても熱かった。爪の間にはオイルがしみこんでいて、まごう事なき整備士の手だった。
(……どうしよ、オレ子供扱いされるかな……)
「藤原って呼ばせてもらおうかな、藤原」
フッと笑った松本の顔に、拓海は頬が火照るのを感じた。
四人分のコーヒーが運ばれ、本題に入った。
ハチロクは遠征前に大幅なチューンアップを施さなくてはいけないこと、一度松本が拓海の家を訪れて、ハチロクの正式な持ち主である文太とチューンアップについて話し合うこと、などを史浩と涼介が拓海に説明した。
低く少し掠れた声で、松本は自分の方針と、チューンアップのポイントについて拓海に分かりやすく説明してくれた。
松本からは普段の走行距離やルート、現在気になっている点などを聞かれた。
近々、拓海が松本を隣に乗せて赤城を走ることで話は纏まり、その後は砕けた話題に変わった。
(思ってたより優しそうな人だ……)
拓海は松本からは気になっている点などを聞かれ、しどろもどろになりながらも懸命に答えると、松本は頷きながらメモを取ってくれていた。
小一時間ほど話せば、松本に対する拓海の警戒心はすっかりとけた。
気難しそうな人だったら――と思っていたが、そんな様子もなさそうだ。涼介が言った、そんなに緊張する相手じゃないぜというのは本当だったようで、拓海はホッとした。
「そうだ、これ藤原に渡しておくよ」
松本は作業服の胸ポケットから革の名刺入れを取り出し、一枚をテーブルに置いて裏にさらさらと書き付け、拓海の前に差し出した。
「あ、どうも……」
片手で受け取ろうとする拓海に、涼介が「名刺は両手で受け取るんだぞ、藤原」と言い、拓海は「あっ、はい!」と慌てて両手を差し出した。そのやり取りに史浩が笑った。
「そんなに苛めないでやってください、涼介さん。オレの名刺なんて大したものじゃありませんし」
「いじめちゃいないさ。藤原は社会人になるから、ビジネスマナーを教えたまでだ」
松本と涼介のやり取りを聞きながら、拓海は(そんなの知らなかった……)と顔を赤くしながら、貰った名刺をまじまじと見た。
『 有限会社 カーショップ松本
整備士 松本修一 』
(へえ、修一さんって言うんだ……)
裏を見ると、ボールペンで11桁の数字が書かれている。携帯番号だ。
「そっちの方が確実に掴まる番号だ。いつでも掛けてきてくれよ」
冷めたコーヒーを飲み干し、松本が笑んだ。
「わ、わかりました……」
拓海はそう言ったものに、(いつでも掛けてきてくれっていってもなぁ……)と、どういうタイミングで掛ければいいのかがいまいちわからない。
(イツキや茂木に掛けるみたいに、暇なときに電話すればいいのかな??)
名刺の表と裏を何度も見直しながら、拓海はさて松本とどんな風に連絡を取り合おう、と考えた。
「そういえば、藤原は知らないだろうけど、松本は藤原を何度か見てるんだぜ」
通りすがりのウエイトレスにコーヒーのお代わりを注文しながら、涼介が意外なことを口にした。
「え、そうなんですか?」
驚いた拓海が、涼介と松本の顔を交互に見る。松本は優しく微笑んで頷いた。
「ああ。オレは啓介さんと藤原とのバトルの時にレッドサンズのオフィシャルやってたから、藤原を見てるんだよ」
「はぁ……」
啓介とのバトルというともう半年も前で、拓海は慌てて記憶を手繰り寄せたが……覚えはない。
「あの時はレッドサンズは一山いくらってな位いたから、覚えていなくて当たり前だ」
涼介がふ、と笑った。
「ギャラリーも多かったからなぁ」
史浩も笑った。
「そうだったんですか……」
「オレは丁度藤原が啓介さんを抜いた所でトランシーバー握ってたんだよ。凄かったぜ、あの走りは……」
「あ……ありがとうございます」
松本は拓海を見る目を細め、あの日見た拓海の走りを凄かった、と言ってくれた。
「目の前で藤原のあの走りを見たから、オレはメカニックを引き受けたんだ」
拓海は心臓が早鐘を打っているのに気付き、俯いた。
(うわ……どうしよ、凄い恥ずかしい……)
見たことがあるというだけでも驚いたのに、そんなことを言われるとは思ってもいなかった。
「あ、すみません。……ちょっと上脱いでいいですか。なんだか暑くって」
松本が涼介の方を見て、着ている作業服の上着に手をかけた。
「ああ、いいぜ。……エアコン効きすぎだな、今日の場所は。オレも脱ぐよ」
涼介もどうやら暑い様で、先にジャケットを脱いで丸めた。
ほらあれ、と史浩はテーブル近くの業務用エアコンを指した。暑がる理由はそのエアコンだ。
「いつもならエアコン付近は避けるんだけど、今日はここしか空いてなくてな」
オレも、とパーカーを脱ぐ史浩の言葉を聴きながら、拓海は(男の人って暑がりだよなー……)と心の中で呟いた。
松本が上着を脱いだ。下は、まだ冬だというのに白い半袖Tシャツ一枚だ。
(――……!!!!)
その瞬間、拓海を驚きが包んだ。
(嘘……だ……)
拓海の目は、白い半袖Tシャツ一枚になった松本に釘付けになった。
松本の左腕の二の腕から肘にかけ、古そうな、しかし大きな傷が走っていたからだ。
ファミレスには一時間半程いて、お開きになった。
来週にでも啓介やFDのメカニックも交えて一度赤城山で集まることを話し合い、お開きになった。拓海が松本を乗せて走るのもその時、ということになった。
「どうだ、藤原。いいヤツだろ?」
帰りのFCの中で、涼介はレジで貰った飴を舐めながらナビシートの拓海を見た。
「……藤原?」
ナビシートで、拓海は呆然としていた。
松本から貰った名刺を手に、心ここにあらずといった様子で、何処を見ているのかわからない顔をしていた。
「藤原、どうしたんだ?」
「あ、……いえ、別に」
涼介のいぶかしがる声にハッと我に返った拓海は、「何でもありません」と笑顔を作った。
涼介に自宅に送り届けてもらった拓海は、自室に入るとすぐにベッドに倒れこんだ。
どん、と重たい音がして、安普請の壁が震えた。
「嘘だろー……」
呟いて、手にした名刺を見た。
既に皺が寄っている。
松本修一、という名前を、何度も繰り返して目で辿った。
(まさかあの人だなんて……)
あの日は必死だったし、薄暗かったから顔も声もはっきりとは覚えていない。
でも忘れてはいない。”あの人”の優しさと男らしさ、そして左腕の傷。自分の所為で”あの人”に刻まれてしまった、傷のこと。
(あの人が松本さんだったなんて……!)
叫びだしたい気持ちを堪え、拓海は名刺を握り締めた。
その日の夜、拓海ははやる気持ちを抑え、まず史浩に電話した。自分の記憶が間違いでないことを確かめたかったからだ。
携帯に掛けると留守電だった。自宅に掛けると、2コールで史浩本人が出た。
『はい、高橋……ああ、藤原。どうかしたのか?』
優しく落ち着いた史浩の声に、拓海は少しホッとした。涼介よりは史浩の方が、こういう話はしやすかった。
「あ、すみません……史浩さん。あの、少しお聞きしたいことがあって」
『いいけど……何だ?』
「今日お会いした、松本さんのことなんですけど……」
拓海が史浩に聞いたのは3つ。史浩は『自分の知っている限りだけれど』と前置きをして、答えてくれた。
一つ目は、松本が走り屋時代に乗っていた車。白いシルビアで、現在も手を入れて乗っているという。
二つ目は、走り屋を辞めた時期。4年前、家業のカーショップを本格的に継ぐためだったという。
そして三つ目は、あの左腕の傷のこと。
『……どうしたんだよ、藤原。なんでそんなこと聞くんだ?』
さすがに三つ目の質問には、史浩もすぐには答えてくれず、訝しがった。
「あ、いえ……その……」
拓海は言うべきかどうすべきか迷ったが、
「もしかしたら、昔オレ……の、友達がお世話になった人かもしれなくって……」
と、架空の友人を持ち出して誤魔化した。
『……そうなのか?』
「はい……左の腕に、傷があった人みたいで……ただ、その……お名前とか知らなくて」
正確には傷は「あった」のではなく、「付いた」のだが、そのあたりは曖昧にした。
『世話に、って? どんなだ?』
「……それは、ちょっと……あの、プライベートな話なので」
幾ら史浩でも、男性にはいいにくい話だった。
『そ、そうか……すまない。デリカシーのない質問だったかな。じゃあ、言うよ。あの傷は、……』
拓海の口調に言い辛い話だということを察した史浩が慌てた。
そして教えてくれた。松本の傷のことを。
『……松本もはっきりとは話してくれないんだけどな。4年前に、誰かを庇って切られたらしいんだ。その傷が元で、引退バトルには負けちまったんだけどな』
(……やっぱり……)
史浩の声を聞きながら、拓海は錘が心の底に沈んでいくのを感じた。
予想通り、”あの人”は松本だった。
(まさかこんな形で再会するだなんて……)
史浩に礼を言い、受話器を置きながら拓海はため息をついた。
「”あの人”にごめんなさいもありがとうも言えてない……オレ……」
階段を登り、自室に戻ると拓海は唇を噛み締めた。
(ッ……!)
今思い出しても涙が出そうになる、あの日の記憶。その中にいる、”あの人”。
それは4年前の、秋のことだった。
|
home/後編