初恋Hand
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(side:拓海)
高校2年になったばっかりの、週末の夕方。
その人はオレのバイト先のスタンドに来た。
その日、イツキは休みで池谷先輩は灯油の配達に出ていて、スタンドはオレと店長しかいなかった。
店長はどこかのお得意先と電話してたから、滑り込んできた白いスポーツカーに対応したのはオレだけだった。
「いらっしゃいませー」
バイト開始、ちょうど一時間。制服のキュロットパンツが寒くなくなりかけた頃。
元気よく、とはいいがたいけれどオレなりに勢いよく挨拶したつもりだ。
ウインドウが下りて顔を出したのは、――びっくりするくらい綺麗な顔をした男の人だった。
「ハイオク、満タンで」
ありきたりな、ここに来るお客の3人に一人は言う台詞なのに。
顔と同じくらい、声も素敵で。だからそんな台詞もカッコ良く思えた。
「……あ、は、はいっ」
はい、と言ったオレの声は裏返っていた。明らかに。
間違えて軽油のホースを引っ張りかけたくらい動転した。……なにあれ。なんであんなに、かっこいいんだろ。
マジ、反則。
黒髪で、切れ長の目で、その上スポーツカーって。三点セットで反則だよ。レッドカードだってば。
男の人とか、車とか。ついでに恋愛にもそんなに興味はないとおもっていたけど……ちょっと凄いな、って思った。
ノズルをセットして給油を開始。動揺を抑えながら窓を拭いていると、ちら、とナビシートが見えた。
難しそうな分厚い本が何冊も無造作に置かれていた。内科、とか外科とか人体とかいう文字が見えて、お医者さんかな……それとも医学部の学生さんかな、と想像を巡らせる。
(イケメンでおまけに頭もいいとか……群馬にもいるんだな、そーゆー人……)
そういうのってドラマとかマンガの世界だけだとばかり思っていた。
現実なんて、うちのオヤジみたいな冴えないおじさんだったり、池谷先輩みたいに少し抜けてて残念だったり(先輩ごめんなさい)、そういうものだって考えていたから。
「ちょっと、」
フロントガラスを拭こうと運転席の傍を通る時、その人が声をかけてきた。
「は、はい」
わ。また裏がえった。
「悪いんだけど、絆創膏一枚あるかな」
「え、」
言葉の通り、その人は右手の小指を左手で押さえていた。
「絆創膏、ですか」
「ああ。財布を捜していたら外れてしまったんだ」
ほら、と見せられた右手の小指には血こそ出ていないものの少し深めの切り傷があって、それを押さえる左手にはとれた絆創膏が握られていた。
「……あ、あります。すぐ、持ってきます」
窓拭き用のタオルを握りしめたまま、事務所へダッシュ。いつにない慌てっぷりに店長が受話器片手にちょっと驚いていた。
カウンター下の救急箱から一枚を取り出して、またダッシュ。
「あの、これ、どうぞ!」
息咳きながら差し出すと、その人は「ありがとう」と笑ってくれた。
「この大きさで大丈夫でしょうか」
「ああ、大丈夫だよ」
オレの手から絆創膏を受け取ると、
「フラスコの縁が欠けてたんだよ」
と怪我の理由を明かしてくれた。フラスコとか……やっぱり医療関係の人なのかな。
「頼みついでに、貼ってもらっていいかな」
「……え」
「ほら、怪我してるの右手だろ? 上手く貼れなくてさ」
「あ、……はい、」
確かに、そうだ。右利きの人が左手で上手く貼れるわけはない。
ドキドキしながら、その人から絆創膏を受け取って。慎重に剥離紙をはがして、窓から差し出された指に、ガーゼの部分を当てて。
――わ。手、すごい温かい……。
長い指だった。触れた手は温かくて……落ち着ける温かさだった。
そのことに余計に動揺しながらも、オレは患部に絆創膏を貼っていった。
フラスコ、なんて言っていたから実験とかやってるのかな。
ドキドキしながら、上目遣いでちらりとその人をみた。
切れ長の目が、オレの手元をじっと見ていた。
「ありがとう、助かったよ」
時間にすれば何十秒だっただろうけど、一時間くらいの長い時間に感じられた。
やっとのことでその人の手に絆創膏を貼れた。ありがとう、とお礼を言われ、やっと肩の荷が下りた気がした。
「いえ、そんな……あ、」
給油メーターに目をやれば丁度完了したようで、オートストップが掛かっていた。
「お客様サービスって言うか……当たり前の、ことですから……」
そう言うのがやっとで、頭を下げて給油へと戻った。
電話を終えたらしい店長が事務所から出てきて、支払いなんかは店長がやってくれた。
「凄い車ですね……」
普通の車とは違う音をさせながらスタンドを後にする白いスポーツカーを見送って、ぽつりと感想を口にした。
「ああ、マツダのFC3Sっていう車だ。随分気合入ってるから、ありゃ相当の走り屋だな」
車に詳しい店長がさらりと車種やタイプを口にした。職業柄当たり前と言えば当たり前だけど、何でそんなに直ぐ分かるんだろうっていつも思う。
「……はあ、」
えふしー……と、店長が言った車種を心の中で反芻する。
走り屋なんだろうなってことは何となく予想がついていた。
「えふしー……か」
白馬に乗った王子様っていうのは今時無しかも知れないけど、白いスポーツカーに乗ったイケメンは……ありかもしれない。
指先に怪我をした、温かい手の人。
「……これって……」
恋かな、って。
その人の車が走り去った方を見ながら、オレは呟いた。
(終)
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