脱落者、1名
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(side:松本)
プロジェクトDの初遠征が迫っていた。
遠征前最後の打ち合わせと走り込み。
まだ肌寒い筈の赤城山は、熱気と緊張感に包まれていた。
「……それで、当日にはかなりの調整をするから……」
オレと藤原は並んでハチロクのボンネットの中を覗き込みながら、当日までの流れをおさらいしていた。この車は日常的に店の車として使っていることもあって、余りガリガリにも出来ない。遠征時に大幅なセッティングを施し、遠征が終わればまた元に戻すことになる。
まだ車のことは勉強中だという藤原の為、オレはできるだけ分かりやすい言葉を選んでいた。涼介さんからは部品の名前もまだまだあやしいと聞いていたし、実際その様だ。
この間まで働いていたガソリンスタンドで少しは勉強をさせてもらったらしいが、あやふやなところが多い。
一つ一つ指差しながら、遠征までに日常でチェックしておいて欲しい箇所や、遠征地で変更を予定している箇所、またその理由や変更によって考えられる乗り心地の変化などを説明していく。
ファンシーな柄のメモ帳に、藤原はそれらを書き留めていく。
初めて涼介さんに紹介された時、女の子にしては背が高くて可愛くてボーイッシュで、でもボーッっとしてて着るものとかには無頓着な子だな、と思った。
涼介さんからも予めそう言われていたのだけれど。
ギラギラしている部分が全くなかった。
この子が本当に啓介さんや涼介さんや、妙義の中里やいろは坂の須藤を破ったんだろうかと、疑問に思えた位。
「ここ、ですね」
藤原の細い指が、部品の一つを指す。
「そう。ここ。毎朝、配達が終わったらチェックして欲しい」
「はい……わかりました」
あまりやる気の無さそうな声で、藤原が返事をする。
照明の当たり加減で、見たい部品の位置が見えにくい。自然、寄り添う形になる。
藤原の髪が、頬に当たる。
年頃の女の子の匂い。シャンプーと、甘い体臭。
ボーっとしているけれど、ひとたびハチロクを駆らせれば別人の様にキれた走りをするのには正直驚いた。
大きめの、洗いざらしたトレーナーの胸元は、藤原が女であることをしっかりと主張している。
白い首筋、耳の後ろ、細い手首。どうしてもそういうところに目が行ってしまうのは、悲しいかな男の性だ。
「……」
藤原の書いている字をみた。
可愛らしい、イマドキな女の子の字。ちょっと縦長に癖をつけた字。
「――あっち、なんか白熱してますね」
藤原は少し離れたところでジャッキアップされているFDの方を見た。
そこでは啓介さんと宮口が、互いの意見をぶつけ合っている。
「違うって、そーじゃなくってさ!」啓介さんが大声を上げ、身振り手振りを交えている。
冷静な宮口は首を横に振る。
バンの前でノーパソを広げていた涼介さんが立ち上がって近寄る。後ろから史浩さんもついていく。
「あそこは、いつもああらしいよ……レッドサンズの時から」
「そうなんですね」
その藤原の字は、開け放たれていた。
その藤原の目は、オレではないところを見ながらも、オレを見ていた。
余白が。
耳の後ろが。
誘っている。
軽く凭れてきた、藤原の背中の柔らかな重み。
ああ。
脱落しそうだ。
「……どうだ、松本。藤原の様子は」
啓介さんが宮口の意見を渋々ながらも受け入れ、中断していたFDの作業が再開した頃、涼介さんが歩いてきた。
「ええ、結構強熱心ですよ。割とすぐ覚えるんじゃないですかね」
オレは作業後の最終チェックをしながら答えた。
藤原はバンの中で、史浩さんやケンタと夜食をとっていた。
「チェックか」
「はい」
「終わったら、お前も夜食にするといい」
「ありがとうございます」
涼介さんからは、コーヒーのにおいがした。
「……紳士協定」
「ん?」
部品を締めながら、オレは今更なことを口にしてみた。
「やっぱり、結んでおいた方が、よかったですね」
「ああ……」
涼介さんは「お前に聞くんじゃなかった」と苦笑し、額を押さえた。
藤原を――たった一人の女性をプロジェクトDに参加させるに当たって、男達は「紳士協定」を結んだ方がいいのではないかという話が、当初涼介さんと史浩さんの間で上がっていた。
最年長者として意見を求められたオレは、藤原のことをよく知らなかった。だから「そういうのって必要でしょうかね?」と思ったままを口にし、結局良識と分別ある最年長者の意見ということで採用されてしまった。
その意見を口にした時、藤原とはファミレスで一度会っただけだった。
女の子にしては可愛い方だとは想うけれどボーっとしてるし、服装も女らしくないから、あまりそういう発想には結びつかなかった。
が、実際ここに来て――……紳士協定は必要だったと、思えてきた。
『プロジェクトD 紳士協定 藤原拓海に手を出すべからず』
「……現在、誰が一番に脱落するか、耐久レース状態だ」
涼介さんは肩を竦めた。
「そう、ですね」
オレは小さく笑った。
ぼーっとしていて女らしくなさそうに見えて。
その癖、近づくと男に何か性的な欲求を喚起させる。
藤原はそういう女だ。
見た目からして派手だったり、胸元があからさまに開いたような服を着ていたり、男に媚びるような素振りを見せるならこちらも構えるし、そういう女だと思うけれど、藤原はまず見た目にだまされる。完全ノーガードのところに不意打ちを食らわせてくる。
こちらを見ていないフリをして、見ている。
そんなことを一言も口にしないのに、誘惑をしている。
露出など微塵もない格好をしている癖に、あからさまな格好の女よりも……ヤバい。
ハチロク担当で、プロDの中でも一番藤原と接する機会の多いオレは、正直キツい状態だ。
紳士協定などいらないといった手前……余計、だ。
「啓介なんか、もう脱落寸前だ」
藤原の勤め先の運送会社の前を、しょっちゅう黄色いFDがウロウロしているとか。
「へぇ?」
じゃあ涼介さんは、と訊こうとし、それは愚問だと気づく。
「……青臭いガキに戻った気になるよ……」
ため息混じりに絞り出した、その一言が涼介さんの答えだ。
「気をつけろよ、最年長者殿」
涼介さんが皮肉交じりにオレの肩をポン、と叩いた。
チェック後、コーヒーを飲んだら小便がしたくなった。
茂みに入っていくと、その先に藤原がいた。
「藤原、」
藤原は木に凭れ掛かって、棒の付いた飴を嘗めていた。
「何してんだ」
「ここ、夜景綺麗なんですよ」
「夜景?」
藤原が指す方を見ると、成る程眼下には街が広がり、キラキラと美しい。
春というにはまだ早い。冬仕様の夜景だ。
「展望台よりこっちの方が綺麗だって、涼介さんが教えてくれたんです」
「ふうん」
成る程、涼介さんは目の毒だからと藤原を視界から追い出したか。
――ふと、甘い匂いが漂ってきた。
「何食べてるの?」
知っていて、訊いてみた。
藤原の口を出入りする、ロリポップ。
「史浩さんがくれました」
藤原は口から出したピンク色のロリポップを、ほら、と掲げて見せてきた。
流石高校からの親友コンビは絶妙のタッグだ。藤原に夜景と食い物を与えて、遠ざけたか。
「イチゴ味です」
濡れた唇が、少し微笑んだ。
甘い匂い。
ここは、みんながいるところから遠いという事実。
嵌められたのかもしれない――藤原だけでなく、涼介さんと史浩さんにも。
誰しも最初の脱落者には、なりたくないものだから。
「松本さん?」
ぽた、と。
藤原の手のロリポップが、足下に落ちた。
「あ、」
もったいない、と藤原が手を伸ばそうとする。その手を、握る。
「藤原っ」
「ま……」
抱きしめて、甘く濡れた唇を塞いだ。
凭れかかっていた木に押し付けた。
脱落者、1名。松本修一。
藤原は抵抗することなく、オレの後頭部に両手を回してきた。
二人の間で、柔らかくたわわな藤原の胸が潰れた。オレの脚の間に、藤原の脚が押し込まれてくる。
股間の漲りを確かめるようなその太腿の仕草に、ああ、と、思った。
舌が絡み合う。背筋を走るのは快楽と、自棄。
「ここじゃヤですよ……」
「ああ」
唇を離すと、いつもはボーっとしている目が潤んで、細められオレを映していた。
「じゃあ、帰りに……」
麓のホテルの名を、三度。藤原の耳元で囁くと、藤原は頷いた。
脱ぎ捨てたトレーナー。ジーンズ。
その上に、薄汚れたツナギ。
「いやらしい身体……してたんだな」
糊の利きすぎたシーツの上、一糸纏わぬ姿になった藤原は、細すぎない身体に出ているところは出ているという、男好きのする身体だった。
「松本さんも、結構筋肉質ですね」
鍛えてる人って好きですよ、と細い手がオレの腹筋をなぞった。
初めて? と無粋なことを聞くほどのガキじゃない。最年長者の余裕を見せておきたいところだ。
こういう誘い方をする女の子が、処女かどうかなんて今更な話だ。
どういう味がするのか、どういう喘ぎ方をするのか、どこがイイのかイく時どんな顔をするのかどんな体位が好きなのか――重要なのは、そこだ。
「ハチロクも、藤原の身体も、オレが全部見てやるよ」
かっこつけた台詞のひとつも言いたくなる。いや、言わないと……やってられない。
藤原を落としたんじゃない。
落とされたんだ。オレが。
「……じゃあ全部、見てくださいね?」
ね、松本さん、と。
藤原は仰臥し、脚を開く。
オレは潤みを湛えた箇所を指で開く。
蠢き、男を待っている。甘酸っぱい匂いを漂わせる潤み。
そに舌を這わせると。
「あん……っ、」
藤原の口から、聞いたこともないほど色気付いた声が零れる。
その潤みは、海のような味がした。
見上げると髪と同じ色の繁みの向うに、上下するお腹、その向うにやわらかな胸が重力に逆らわず両側に流れ、その先端は興奮を隠さずつんと尖る。
そして藤原の火照った、喘ぐ顔がある。
「ッ、……ふ……ぁ……あ、っ」
嫌々をしながら、オレの刺激に素直に反応している。
ペニスが痛いくらいに勃っている……こんなになるまで勃つなんて、久しぶりかもしれない。
藤原の声はいやらしい。
身体も、味も、なにもかもいやらしい。
藤原はオレの上に自分から跨ってきた。
身体の重みで、ペニスが藤原の中に埋もれていく。
「や、も……最高……、」
根元まで埋めると、藤原はのけぞった。
「上、好きか? 藤原……」
訊ねると、手を握ってイエスと伝えてくる。
藤原が腰を揺らし始める。
たわわな胸を下から持ち上げてやると、短い髪を揺らしながら藤原が「あ、あ、」と声を裏返らせる。
もう戻れない、と思った。
家にではない。
ただのメカニックとドライバーの関係には、だ。
嵌められた、と思った。
涼介さんに、史浩さんに。
藤原に。
紳士協定。
結んだところで、多分オレは真っ先に脱落していたのだろう。
次の脱落予定は啓介さんだ。
なにかアドバイスできることは……あるだろうか?
(終)
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