予告ホームラン



(side:渉)
その夜、拓海は一人、秋名湖畔にハチロクを走らせた。
特に理由も目的もなかった。
誰もかまってくれない夜がある。例えば、今夜のような夜。涼介も啓介も京一も松本もケンタも史浩も――皆それぞれに理由があり、悉く掴まらない。
そういうときは暇で仕方ない。だからというわけではないが、ドライブをして気を紛らわせる。
最後の砦の文太には、ここ最近ずっと避けられている。




ハチロクを降り、寂しい湖畔をあてもなく歩いた。
昼間は観光客でにぎわうこの場所も、この時間にいる人間はさすがにいない。
静かに揺らめく水面。月明かりを歪んで映す。
互いに好意を持つ男女が並んで歩くには、絶好のシチュエーションだ。
ふと見れば、遠くにハチロクと同じような車があった。
「――あ、」
埼玉ナンバー。ハチロクレビン。もしかして、と拓海は思い、その車の方へ歩いていった。
案の定その車から降りてきたのは……秋山渉だ。
「お前、」
渉も拓海に気付いたようだ。
「お久しぶりです……元気ですか?」
「ああ」
拓海は渉に駆け寄った。



――拓海は今夜のターゲットを、決めた。


「何時ぶりでしたっけ? 今日はドライブですか?」
横髪を耳に上げて、拓海は首を傾げた。
「……そうだな、そんなとこだ……」
渉がぷい、と顔を背け、言葉を濁す。
「前に会ったのは何時だったか……」



夜の湖畔。
知らない人間ではない相手。男と女。絶好の、シチュエーション。
走る前から勝ちの決まったバトルのようなもの。拓海はふ、と微笑んだ。



「ねぇ、」
ジュースでも飲みませんか、と拓海が渉の手に触れようとした時――渉は拓海の手を撥ね除け、後退った。
「あ、」
「オレはな……」
心地良い音と軽い痛みで拓海の手は撥ね退けられた。
「……はい、」 渉が返事をする拓海を見た。
というより、睨んでいた。
「……」
「オレはな。お前みたいな女には、騙されないんだよ」
「……騙される?」
渉の言葉に、拓海はわからない、というような顔をしてまた首を傾げた。


(鋭い人だな――)
拓海は撥ねられた手を後ろにした。

「トボけんなよ。おぼこっぽい顔しやがって、やるこたやってんだろうが……話はあちこちから入ってきてるんだぜ」
「話?」
渉の語気は強かった。拓海はまた首を傾げた。
走り屋は人の口に戸を立てるということを知らない。群馬の走り屋の事情は、もう既にあちこちに知れ渡っているのだろう。多少の尾鰭を付けて。
「オレはお前をいつか落としてやる。だから待ってろ。それまでせいぜい、他のヤツラに遊んでもらうんだな」
落とされるのはカッコ悪くてごめんだぜ、と。
渉は軽く屈んで拓海の頬にキスを一つ、くれた。
そしてじゃあなと去っていった。



レビンが遠ざかっていく。
エキゾーストが夜の峠に木霊する。
「……おもしろい人かも」
拓海はふ、と笑った。
「落とされてみたい、かな……」
いつも落としてばかりだから……と、拓海は渉にキスされた頬を、そっと撫でた。
熱い唇だった。





(終)





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