認めちまえ、そうすりゃ楽になる



(side:啓介)
タイムカードを押し、お疲れ様でした、と頭を下げた。事務所にいる十人ほどがいっせいに頭を下げ返してくれた。
一日の仕事が終わる瞬間だ。
退出のところにカードを差し込んで事務所を後にする。
「藤原さん、」
「はい」
階段をニ、三段降りたところで、声を掛けられて振り返った。
一番ベテランの、といっても三十くらいの女性事務員だ。
ひざ掛けを手にしたまま、彼女は拓海に声をかけたはいいが、次の言葉を選んでいるようだった。
「何か……」
用でしょうか、と拓海は首を傾げた。 この会社初の女性ドライバー、それも新入社員の拓海を、彼女は何かと気遣ってくれていた。
優しい顔に少しの困惑を浮かべ、彼女はあのね、と一段階段を降りた。
「藤原さん、お迎えも結構だけど、会社の近くで、ああいうクルマでアイドリングはやめて欲しいって、彼氏にいっておいてくれるかしら。せめてエンジンは切って欲しいのよ、それとタバコのポイ捨ても」
「……はぁ」
彼女は拓海にできるだけ優しい言葉を選んだつもりだ。きつくいうと最近の子はすぐに辞めてしまう。
ああいうクルマとは黄色いFDのことで、彼氏とは啓介のことだ。
何日かに一回、拓海の退社時間を狙ったように、FDで迎えに来る。
GTウイングのついた、雨宮バリバリの黄色いFDというだけでも目立つのに、啓介はクルマを下りてその辺りをうろうろし、タバコを吹かしてポイ捨てする。
逆立てた金髪にモデルのような顔立ちと180超えの長身、目立たないわけが無い。
ボーっとしている藤原さんにあんな派手な彼氏が、と男性社員たちががっかりしていることも、FDのエキゾーストが近づくと女子事務員たちがいっせいに窓際に移動して、仕事そっちのけでブラインドの隙間から啓介を見てきゃあきゃあいっているのを拓海は知らない。
クルマ好きな年配の上司がロータリーエンジンの薀蓄をたれていることも、だ。
「はい、わかりました。言っておきます」
拓海は素直に頭を下げた。
「ラブラブなのはいいことよ、でもここは会社だからね。裏の団地の人が何かとうるさいし」
事務の女性は、ほっといてくださいと言われなかったことに安堵したのか、笑みを浮かべた。
会社の裏手には分譲団地があり、なにかとこの会社に五月蠅く言ってくる。
「でも藤原さん、あの彼氏、カッコいいし車も凄いわね。スポーツカーでしょ。あの人、社会人?」
「いえ――大学生だったと思います」
確か、と拓海が曖昧に言うと、事務の女性は首を傾げた。




拓海が会社の敷地を出ると、くだんの迷惑な黄色い車はやはり門の前でアイドリングしていた。
その前で啓介がタバコを吹かしている。黄色いクルマというと、黄色じゃねえ、コンペンションイエローマイカだと啓介は不機嫌そうに言う、黄色いクルマだ。
「あの」
「なんだよ」
拓海を認め、啓介はタバコを落として靴先で踏んだ。
「ここでアイドリングするの、やめてもらえませんか」
「駄目なのか?」
「……せめてエンジン切ってください。文句言われるの、オレなんで」
もうすぐボーナスだ。査定に響くと困る。
「あっそ」
「それと、タバコも」
駄目ですから、と拓海が啓介の靴を指差した。
「……出来ないなら、もう来ないで下さい」
啓介はチッ、と舌打ちし、靴の下でぺしゃんこになったタバコの吸殻を渋々拾った。
「わかったよ。わかったから……乗れよ」
拓海は頷いて、FDのナビ側に廻った。
ドアを開ける寸前、顔を上げて拓海は気付いた。
会社の二階、事務所の窓から、たくさんの人間がこっちを見ていることに。





「……ねぇ、啓介さん」
「あん?」
チューンドカーのエキゾーストはうるさい。FDのそれは格別で、カーステレオから流れている人気アイドルの歌も半分かき消されていた。だから拓海はステアを握る啓介に少し大きめの声をかけた。
「啓介さんって、オレの彼氏ですか?」
「はぁ?」
拓海の質問に、啓介は素っ頓狂な声を上げた。
「お前、バカじゃね?」
シフトダウンしながら、啓介はあきれた顔で拓海に振り返った。
拓海は頬杖をついて、いつもと変わらずぼーっとしていた。
「……彼氏じゃなきゃ、なんだってんだよ」
「さぁ」
「さぁ、って。お前、さ」
ため息を一つ、啓介はこぼした。
目的地が近づいてきた。
赤城の山の麓の、安いラブホテル。わざとらしいピンクやブルーのネオンサインが夜闇に目立つ。
FDは当たり前のようにそこに滑り込んだ。




「彼氏じゃなきゃなんだってんだよ……」
ホテルの部屋で、啓介はその言葉を繰り返した。
「な、藤原」
ソファに座った啓介の、脚の間にひざまづく茶色い頭を優しくなでながら。
天を仰いでそそり立った啓介自身を、拓海は当たり前のように口淫していた。両手でくるみ込んで、温かくぬめった喉奥深くに咥え込む。 「彼氏じゃないのに、こんなことできるのかよ、お前は」
形のいい顎に沿って撫でてやると、拓海がピクンと反応したのがわかった。
「ん、っ、」
「感じんだな、そこ」
喉で笑い、啓介は股間に血液が集中していくのを感じていた。太い幹を、拓海の舌が根本から頂へとなめ上げていく。べろりと這わされた舌のなまめかしさが、視覚的にもいやらしい。唾液と先走りの混じったもので濡れた啓介自身を、拓海がなめている。
男の征服欲を満たす光景だ。
「……いいな、この眺め。絶景」
普段は何も欲していなさそうな顔をしているのに、性的な言葉などひとつも知らなさそうなそぶりなのに。
拓海は啓介の前ではこんなにもいやらしい。
これが彼氏と彼女でなくて、何だというのだろう。
「彼氏じゃなきゃ、お前のこと迎えにいったりしねえよ」
拓海の顎をつかんで口淫をやめさせ、立ち上がって代わりにソファに寝そべるように命じる。拓海は「もう?」といいながらも素直に従い、ジーンズのジッパーを下ろしてソファにうつ伏せになる。
啓介の両手が拓海のジーンズと下着を一気に下ろす。
白い尻と、むっちりとした太股と。みだらな匂いを漂わせ濡れそぼった女の部分があった。
「あんなに見られたら、会社に行きづらくなります……」
「今更?」
「今更って?」
「知らねぇのかよ。オレが来るたび、お前の会社の人たち、窓に張り付いてガン見してんだぜ」
「うっそ……ッ、」
くっ、と拓海が息を詰める。啓介が後ろから押し入ってきた。
「っア……、ぁ、」
「いいじゃん。見せ付けてやりゃあいいんだよ……」
ゆっくりと、しかし深く動きながら、啓介はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「オレは藤原の彼氏だって」
「ちが……ッ、」
「違わねえよ……いい加減、認めろって」
「や……、」
いいところを探り当ててペニスの先端を当てるように啓介が腰をくねらせると、拓海がのけぞった。
その”や、”は、どちらに対する言葉なのか。
「やじゃねえよ……ッ、」
啓介が腰を激しく動かし始めた。狭いソファは軋み、拓海の泣き声に近い喘ぎを孕んで揺れる。啓介はただ、律動を繰り返す。




誰のものにもなりませんから。
いつだったかそう言ったこの女に、いい加減認めさせたい。


お前はもうオレのものなのだ、と。



「認めちまえよ……そうすりゃ楽になるぜ」



お前を取り巻く色んなものからな、と啓介は笑った。



泣いているように見えた――拓海が泣いているように――啓介には、見えた。
「な、藤原……もう泣かなくてもよくなるからさ……」

(終)





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