未通女ヶ坂(おぼこがざか)

1

大雨とまではいかないが、雨足は次第に強まっている。
靄も立ち込めてきて、視界はすこぶる悪い。おまけに夕方、条件は最悪だ。
文太は愛車のリトラクタブルを開くと、スピードを落とした。
(随分話し込んじまったなァ……)

帰路を急いでいた。

茨城の旧友のところへ遊びに出かけたのはいいが、懐かしさからつい話し込んでしまい、気づけば予定の時間を大幅にオーバーしていた。無理も無い、本当に久しぶりだったからだ、と言い訳は後にして、豆腐屋を生業とする文太は毎朝早くから仕事があるし、夜には商店街の役員としての話し合いにも参加しなければならない。
帰りを急ぎたいのは山々だが、どうして天候には抗えない。
(どうすっかな……この条件じゃああんまり飛ばしたくはねぇんだよなぁ)

通い慣れた秋名の峠な らそれこそ目を瞑ってでも走れる自信はあるが、あまり走らない他所の県の道、しかもこの悪天候で飛ばすのは無謀に近いものがある。
晴れていればそれなりだが。
次第に辺りは薄暗くなってきて、いよいよ視界が悪い。いっそとっぷりと暮れて夜になってくれれば街灯も付くのだが、これくらいの時間帯はまだ街灯も点っておらず、余計に見えにくい。
今走っているこの山道は登りついたところが休憩所で、そこを境に下りになる。下りは得意だから、そこで時間を稼ぐか。
さっきの市街地の交差点で事故渋滞に巻き込まれたのが響いていた。あれさえなければ、こんなに急くことはないのだが。
ゆるい登り道の果てに休憩所の目印の自販機が見えた――と思ったら、真新しい道路標識が文太の目に飛び込んできた。

久保ヶ坂峠

左に矢印があり、そう書かれていた。
直感的に、これを行けば近道ではないかと思った。頭の中に地図を描いてみた。
今走っているこの道は休憩所を境に下る。そして平地になったところで大きく左折して大通りへ接続する。そこから高速へ、というルートだ。

この峠を行けば、大通りへと接続するのではないだろうか? 近道ではないのか?
(行ってみる価値はあるだろうな)
普段ならそういう冒険はしない主義なのだが、何せ時間が許さないのだ。
看板を通り過ぎると、文太はウインカーを上げ、左へ曲がった。

さっきまでは立ち込めていた靄が、こちらでは晴れていた。
きりっとした空気は澄み、遠くまでよく見渡せた。街灯も早くも点っている。雨も上がった。
まだ真新しい道は舗装もガードレールも綺麗だった。
(こんな道があったんだな……)
両脇は木立で、右側を見ると斜面の下に旧道らしき古い一車線の道が見える。ガードレールも錆びている。なるほど、どうやら旧道とは別に新しい道を作ったらしい。
下りのゆるやかなカーブ、おまけに見通しはいいし対向車もいない。
(……こんだけ広くて晴れてりゃ流しても大丈夫だろう)
ギアに掛けた手に力を込めると、一気に踏み込む。
初見の道だが、ここまで好条件が揃っていて突っ込まないのは元走り屋の名がすたるというものだ。
文太のハチロクはガードレールぎりぎりにラインを取り、スキール音を上げてドリフトした。

濡れた路面はタイヤも減らないから好都合だ。

緩やかなカーブが連続する。
下り、しかも連続するカーブは文太の大好物だ。
(こりゃあいいな……)
対向車もいないから思い切り走れるというもので、わざと大げさにしてみたりもした。
秋名の山ほどではないが、なかなかに 面白い山ではある。
きっと天気の良い週末には走り屋達が集まっているだろう。
「ほら、読みが当たってたじゃねーか」
文太の口元が緩んだ。
目当ての幹線道路が見え、信号は点滅信号だ。

フロントパネルの時計を見れば、思っていたよりかなり早く幹線道路にたどり着けたことになる。
大当たりだな、と文太は喜んだ。

久保ヶ坂峠、看板には確かにそうあった。

帰宅したのは予定通りどころかかなり余裕のある時間で、文太はほっと胸をなでおろした。
商店街の集まりに出る前に明日の店の仕込を終えられたばかりか、シャワーを浴びる時間もあった。あの峠のおかげだろう。
いい道を見つけた、久しぶりに初めての道で突っ込んだと、商店街の集まりで車好きの連中に軽く自慢したほどだ。

「もしもし、……城島か。今休憩時間だろ? あぁ、こないだはありがとうよ」
それから数日後。
店が一段落した昼過ぎ、文太は電話を掛けた。相手は、先日遊びに行った茨城の旧友の城島だ。
『随分慌てて帰ってたけど間に合ったかい? 文太』城島は電話の向こうで笑っていた。
「ああ、それが間に合った間に合った」
文太は銜えていた煙草を噛み、居間の畳に腰を下ろした。
茨城で医者をしている城島とは旧い仲だった。峠で車を転がしていた十代の頃からの仲だ。豆腐屋と医者と進路を分かっても、時々逢っていた。
『そうかい、だったらいいんだよ。気になってたからね、文太があんなに急いで帰るのも珍しいから』
「いやぁ、久保ヶ坂峠っつー所を通ったんだけどよ、そしたらすぐ着いたぜ。あんないい道があるとは思わなかったなぁ」
『……久保ヶ坂を通ったのかい?』

受話器の向こうの、城島の声のトーンが明らかに変わった。
「ああ、通ったぜ。どうしたんだよ」
フゥ、っと紫煙を吐き出した。紫煙は冷えた居間の空気に溶けていった。
『いや、あそこはね。地元民としちゃああんまりオススメしない道だからね……』
「何だよ、含みのある言い方じゃねーか」
城島がオススメしないというのは珍しいことで、文太はつい、その話に食いついた。
「綺麗な道だったし見通しも良かったぜ? つい遊んで帰っちまったよ」
『何も無かったかい?』
「? ああ。何も……なかったどころか早く着いたぜ」
『そう……だったらいいんだけどね』
「なんだよ、もったいぶるんじゃねぇよ」
『文太』
「ん?」
『気づかなかったかい? あそこに、ブラックマークは付いていたかい?』
「あ?」
残り僅かの煙草を灰皿に押し付けたところで、文太ははたと気づいた。

「……付いてなかったな、そういや」

あの峠は確かに綺麗な道だった。緩やかなカーブが続いて、勾配もちょうどよく、走るには絶好の場所だった。にもかかわらず、真新しい舗装の道路にはブラックマークはそう言われてみれば無かった。
『あそこはね、見た目ほど新しくは無いんだ。あの辺じゃミステリースポットなんだよ。『出る』んだよ。だから走り屋も避けて通るのさ。あの道を通ったら近道なのは分かってたけど、そういう理由でオレはオススメしないから文太には教えなかったんだよ』
「なぁーにが走り屋も避けて通るだぁ。医者が何言ってんだ!」
普段は典型的な現実主義者で、走りとは即ち物理に始まって物理に尽きるんだと数式をさらさらと書いて見せるような城島らしからぬ発言に、文太は笑った。
「いつからそんな信心深くなっちまったんだよ、城島」
走り屋といえば峠、峠と言えばどこでも多少なりとも怖い話はつき物で、昔から城島はそんなものは非科学的だ、気のせいだといつも言い張っていた人間だ。その男が、どうしてこの峠に限ってはそんなことを言うのだろうか。
『他は兎も角、あそこは出るんだよ、本当に』
「出る、って、お前」
『実際のことだよ、オレ自身も怖い思いをしたんだ。事故だって結構あるんだ……旧道のほう、見ただろ?』
「ああ、ありゃ道幅が比べ物にならないくらい狭いじゃねえか。そりゃ事故るさ。そんな話なら秋名だって……」
『とにかく、オレはあそこは勧めないよ。あんまり、ね』

電話を切った後、文太は「何が幽霊だ」と鼻で笑った。
文太が普段走っている秋名の山だって、幽霊話は腐るほどあるし、走り屋はしょっちゅう事故を起こしている。
幽霊の正体見たり枯れ尾花で、切れた電線が揺れるのを夜中に見て驚いた走り屋がガードレールに車をぶつけた話は、この辺りの走り屋なら皆知っている笑い話だ。
「医者の癖に何言ってんだか……」
喉の奥で笑うと、文太はあの道、久保ヶ坂峠を思い出した。
「あんまり走ってる様子は確かになかったな……」
走り屋も避けて通る、と城島は言っていた。つまり、対向車をあまり気にしないで済むという事だ。
(今度の週末にでも行ってみるかな……)


『12096 久保ヶ坂峠(茨城県)  投稿者:名無し  ID:5692047
茨城県の久保ヶ坂峠ってご存知ですか? 今は新しい道が出来ていて旧道は車は入れないようになっています。
もっとも、徒歩で旧道に行く様な人は地元の人でもいないと思いますが……。
昔から幽霊が出るとうわさの峠です。
新しい道になっても、その噂は変わりません。やっぱり出るみたいです。
ウチのおじいちゃんから聞いたのは、あの峠はもともと「おぼこヶ坂峠」といって、それがなまって久保ヶ坂峠になったんだそうです。
おぼこって、漢字で未通女って書くんだそうです。つまり、処女のことです。
あの峠にまつわる昔話があります。峠に近い村に、もうすぐお嫁に行く女性がいたそうです。
その女性の家に物盗りが入り、女性に乱暴しようとしました。が、女性はあの峠に逃げ込んで、舌を噛み切って死んだんだそうです。
嫁入りの前だから、その人は処女のまま、亡くなったんだそうです……』

「――何この話、めちゃくちゃだしつまんねー……」
ちゃぶ台に置いた薄いノートパソコンの画面は黒字に白抜きの文字という、いかにもな作りのホームページを表示していた。
それを息子の拓海と覗き込んでいた文太だったが、一通りを読み終えるまでもなく、途中でやめてしまった。
拓海の口から出た感想は、文太も同じ意見だった。
「ンなカビの生えた話でビビってんのかよー馬鹿じゃねぇの……」
最後まで読まずウィンドウを閉じた拓海に、文太は「ブルって損したな」と笑った。
城島があんなことを言うものだから、どんな怪異かとインターネットで検索をしたところ、引っかかったのがオカルト系の掲示板だったのだが、案の定、使いまわされた昔話だ。
「ま、怖い話なんて大体何処でも同じようなコトの使いまわしだ。ビビるようなことじゃねえよ」
「だよなぁ。で、オヤジその峠、行くの?」
「そりゃ行くさ。いいコーナーだったからな。お前も行くか? 拓海」
「いやオレはいい。バイトあるし……」
「つれねえな、拓海」
「いい年して峠で遊ぶのが好きなオヤジは一人でハチロク転がしてろよ。美人のお化けだったら教えてくれよ」
「うるせぇ、ガキの癖に」

怪異の正体を探ろうとしたが、笑い話で、終わった。拓海の頭を軽く小突いた。

予定していた週末は、小雨の降る曇り空だった。
一度攻めた道だからこれくらいの天候はどうということはない。
店を一通り済ませ、拓海をバイト先に送ると、文太の運転するハチロクは一路、茨城のあの峠を目指した。
どんどん夜が満ちてくる。走りに良い暗さになる。
高速を降りてガソリンをいい具合に満たし、この間通った道を逆に辿ると、「久保ヶ坂峠」の真新しい看板が見える。
この間は下りだったから、今日はいったん普通に登り、それから下りを何本か楽しむつもりだった。

峠に入ると、この間よりも両脇の木々が鬱蒼と茂っているように思えた。
(暗いな……)
この間はもっと明るかった気がしたのだが、どうにも薄暗い。街灯は点っているが、それでも暗い。

(上り方面だからか? いや、それにしたって……)
確かにこれでは、幾ら道が広くて綺麗でも、事故のひとつやふたつ起こりそうなものだ。
ゆっくりとハチロクを走らせながら、文太は改めて峠の両側を見た。
この間となんら変わらない筈なのに、どうにも雰囲気が悪い。前回は新しくて開けた道、という印象だったのに。
(あんなに草ぼうぼうだったかな……)雑草が随分と道路に張り出しているのが気になった。踏んで滑りそうなくらいだ。
「っかしいな……ん、……?」

前方に、車がいた。
正確には、ハザードを付けて路肩に停車しているのだ。
白い車だ。
(なんだ、バッテリーでも上がっちまったか)
峠の雰囲気が良くないのが気持ち悪かったこともあり、文太はハザードをつけている車の隣に停まった。
「どうかしたのかい」
サイドを引いて降りると、ボンネットを開けて覗き込んでいる青年がこちらを向いた。
「あ、」
まだ若い、背の高い青年だ。息子の拓海よりは年上か。
「あの、音が……」
「音?」
「ええ、変な音がするので、気になって……」
青年がボンネットを開けて覗き込んでいる車はFCで、文太のハチロクと同じくらい旧いスポーツカーだ。
この齢で乗り回すくらいだからよほど車が好きなのだろう。色々と弄ってあって、なかなか手をかけている。
「どれ、見せてみろよ」
青年を退かせて覗き込んでみる。旧いが高い車だけあって、年式の割りによく手入れはされている。
「音って、どんな音だ」
「キュルキュル言うんです」
「ふぅん……、」
暫く探っていると、あれか、と気になる部分が見つかった。旧い車は手入れがどうしたって欠かせない。スポーツカーなら尚更だ。
こっちを変えたと思ったらすぐにあっちがどうにかなってしまうものだし、部品も純正は次第に手に入りづらくなっていく。
「これだな」
指差してやると、青年は「やっぱり、」とほっとしたような、困ったような顔をした。
「こいつがだいぶガタが来てんな。だから走る時に音がするんだろう」
「やっぱり……この間整備士に言われた所だったんです、そろそろ替え時だって」
青年曰く、整備してもらっている工場に部品を取り寄せてもらっている最中だという。
「じゃあ部品が来たらとっとと変えてもらったほうがいいだろうな。普通に走る分にゃ大丈夫だろうけどドリフトだの高速走行だのは控えた方がいいだろうな」
「そうですか……そうですよね」
他は、特に異常はなさそうだ。ボンネットを閉めると、青年は「ありがとうございます」と深く頭を下げた。
ナンバーを見ると、文太と同じ群馬ナンバーだ。
「お前さんも群馬か」文太が訊くと、青年は頷いた。
「ええ、実家は高崎なんですけど、今はこの辺りの貸し別荘で住んでいるんです」
「貸し別荘……」
そういえば貸別荘群の看板を見た気がする。
「良かったら、うちでお茶でもいかがですか。お礼と言っては何なんですが」
青年ははにかんで俯いた。
伸びかかった黒髪と、切れ長の目が特徴的な、とても綺麗な顔をした青年だ。
「お茶、か……」
文太は少し考えた。
折角来たものの、久保ヶ坂峠の雰囲気がこの間と違って悪く、どうにも走りこむ気にはなれそうにない。
そのままUターンして帰るのも拍子抜けだ。だったらお茶くらい――……「じゃあ、遠慮なく」そういうと、青年は嬉しそうに微笑んだ。

まるで芸能人のような、くっきりとした美しい顔だった。

涼介と名乗る青年のFCの後を着いて文太のハチロクは走った。
峠を下りて大通りから入ったところにある小高い丘に貸し別荘群はあった。
ログハウス造りの建物が十棟ほど並んでいる。その一番手前が、涼介が借りている別荘だという。
涼介は大学に入ったばかりで、FCにはまだ乗り始めて間もないらしい。
「夏休みなので、一人でゆっくりしたいと思ったんですよ」
涼介の家は医者をしていて、涼介自身も医学部に通っているのだという。
自家所有の別荘もあるのだが、そちらはあいにくと弟が友達と集まって騒ぐ為に先に押さえられてしまい、「仕方なく」貸し別荘で過ごすことにした――と、何とも金持ちらしいエピソードに文太は苦笑せざるを得なかった。

「どうぞ、ゆっくりなさってください」
通されたリビングは木の匂いが充満している。
貸し別荘とはいいながらも家具調度類は割りと豪華で、暖炉まである。
夜のとばりが降り始めていた。
文太は勧められるがままに一枚板のしっかりしたベンチに腰掛けて、やはり一枚板のテーブルに肘を着いた。
「何時くらいまでここに居るつもりなんだ?」
「来週一杯は」
涼介が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、話は自然と弾んだ。
峠の走り屋にあこがれて買ってもらったばかりのFCは、まだまだ乗り慣れないらしい。
医学部は忙しく夜も遅いため、走り屋を名乗るのに走りこむ時間はなかなか取れないのだという。
FCを乗りこなすため、一人でゆっくりと勉強をしたいがためにここを借りたものの、勉強をしていたら一日があっという間に過ぎてしまうと涼介はぼやいた。
やっとFCを走らせる時間が取れたと思ったらあの異音だ。
「なかなか、うまくいきませんよね」
困ったように笑う顔は男の癖にやけに綺麗だった。
「走りが上手くなるなんてぇのは、どんだけ走り込んだかである程度は決まっちまうからな。センスなんて良く言うが、ありゃあくまでも一部分だ。実際うすっぺいらもんさ。走る時間がないと、なかなか難しいだろうな」
「そうですよね……」
文太の向かいに座り、涼介はため息をついた。
「ずっと憧れていた車なんです、あのFC……それで、大学入学のお祝いに大分探してもらって買ってもらったんです」
「ほぉ」
「関東一円探し回っていいのがなくて、結局大阪から取り寄せました」
金持ちらしいな、と文太は小さく笑んだ。
「もっと乗ってやりたいんですけど、」
「ま、時間を何とか作るしかねえな」
「そうですね……そういえばあのハチロク、藤原さんのお車なんですよね」
「ああ、新車から乗ってたけどもうオンボロになっちまったな。仕事でも乗ってるからな。見たろ、ボディに店の名前書いてあるんだ」
「お豆腐屋さんなんですね」
「ああ」
こんなことなら、売れ残った豆腐の一つでも持ってくればよかった、と思った。

クルマが好きで走りの世界に足を突っ込んだばかりの青年との話は弾んだ。
息子の拓海はどうにもクルマはあまり好きではないらしく、クルマの話はあまりしない。だから若いクルマ好きとの話は文太には新鮮だった。涼介からはいろいろと質問が投げかけられ、文太は答えてやった。
涼介は忙しい身の上などもあってチームにはまだ所属していないこともあり、知識はある部分では深いが他の部分では断片的で、雑誌などの受け売りのところもある。
テクニックなども彼から聞いたところをそのまま信じれば同じくで、天性のカンと才能である程度は上手くはあるものの、圧倒的な走り込みの足りなさで損をしている部分もあるようだ。
若い頃は寝る間も惜しんで走った、という文太の話を、涼介は興味深そうに聞いていた。
昔の車の方が今の車よりも面白い、と涼介は断言した。そういうことを言ってくれる若いクルマ好きの発言に、文太が頷かないわけはなく、「そうだそうだ」としまいには固い握手まで交わした。

女のように冷たい手だった。

すっかり話し込んで夜も更け、文太は貸別荘を後にした。
「すまねぇな、勉強と走りの邪魔しちまった」「いえ、楽しかったですとても……」
薄暗い玄関で見送ってくれた涼介は頬を赤くして満足げだった。
「また、いらしてくださいよ。藤原さん」
「ああ」
「今度は藤原さんの車に乗せてください」
「そうだな……」
「楽しみにしていますから」
いうと、涼介がそっと、文太の手を握ってきた。
「……、」
やはり冷たい手だった。
意味深に見える深い色のまなざしが、文太を見つめてきた。
「藤原さんと居ると、とても楽しいです……オレ、」
「そ、そうか、」
文太は握られた手を解くと、「じゃあな」と背を向けた。
一瞬、冷たいものが背筋を走ったのだ。
「待ってますから」
縋るような声が背中に投げかけれらた。

(続く)
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