泣いていたのは間違いなく藤原だった。

「おいっ、藤原っ!」
車を左に寄せてハザードを着け、慌てて降りて。
桜の木の下で泣いている藤原に駆け寄って声をかけると、驚いた、しかし泣き腫らした顔でオレを見上げてきた。
「……け、けいすけさ……」
しゃくりあげながら、みっともない声がオレの名を呼んだ。
「どうしたんだよ、お前」
もうじきプロジェクトDが始まる、こんな大切な時期になにやってんだよ、コイツは!
ドライバーはメンタル面もきっちりと保っておかないと、常にアウェイのバトルではそこが一番のネックになる、とこの間の打ち合わせでアニキに口酸っぱく言われたばかりだってのに。
細い肩に手を置いて、気づく。
(……うわ、冷てぇ)
藤原の身体は冷えていた。どんだけ、ここで泣いていたっていうんだ。
「藤原、なあ、何かあったのか?」
顔を除きこんで重ねて訊ねたけど、藤原は首を横に振り、何もないと否定した。
「何もないってこたぁないだろっ」
「ありませ、んっ……」
オレより頭一つ小さな女の身体は小刻みに震えている。
何もないと言う答えが嘘だって位、オレにだってわかる。
「……ともかく、乗れよ」
こんなところで泣いているところ、きっといろんな人に見られただろうけど……これ以上ここでいたって仕方ない。
ナビに藤原を乗せ、オレはFDを再び走らせた。
緩い坂道を上がりきって、少し行くと下りになる。下りには、桜並木はない。


「……」
暗い車内は、藤原が相変わらずしゃくりあげている声だけがロータリーサウンドに混じっていた。
いい年、つったってこないだ高校出たばっかりだけど、大人に分類されてもいい年の女が、あんなところでこんな時間に泣いていた。
きっと何かあるはずだ。
勤め始めたばかりだという会社でやなことでもあったのかな……。
「藤原、家ってどこだ」
「え……」
「送ってってやるよ」
このままドライブして泣きやむのを待つかと思ったけど、いっそ家に送り届けてやろうと路線変更を決めた。ここは渋川だし、藤原んちも渋川だからそんなに遠くはないだろう。
「……家、どこだ」
送っていく、とオレが言ったとき、藤原が反応したのをオレは見逃さなかった。
「あ、……っ、」
「どうしたんだよ、送ってってやるよ」
藤原はなかなか家の場所を答えようとしない。言えよ、と促した。
その時だ。


「啓介さんっ!」
「わっ……!」
ナビから伸びてきた藤原の足が、オレの足を蹴ってブレーキを一気に踏み込む。
一気につんのめり、FDが道のど真ん中で急停車。
「ちょ・藤原っ! なにすんだよっ、危ないだろっ!!」
この車しか走ってないからよかったものを、一歩間違えれば事故につながりかねない行為だ。
「あの、」
泣き腫らした顔が、オレの目の前にあった。
「……っ、」
「お願いが、あるんです……」
「な・なんだよ……」

藤原の手が、ハザードを着け、勝手にサイドを引いて。
「オレを、……抱いてくれますか……」
泣きやまないまま、藤原は確かにそう言った。



『桜夜 2』





(続)





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