卒業文集(中編)



(side:拓海)

――藤原さんは、好きな人いないの?



友達の声が、耳の奥で再生された。



松本さんの唇は少しかさついていた。手は熱く、寄り添った身体からは男の人特有の匂いと、さっきファミレスで飲んでたコーヒーと、煙草の匂いがした。
オレの唇は僅かに震えていた。
振れるだけの口づけを何度か交わした。



「……でね、マリ、思い切って松井君に告白したんだって。それで、……」
今日の昼間の、卒業文集係りの集まりの時。
真面目にアンケートの集計をしていたのは最初の内だけで、分厚いアンケート用紙の山にうんざりしてすぐに雑談になった。
誰かが話し始めた打ち明け話はコイバナへと変わった。
最初はイニシャルトークだったのが、すぐに実名に。
卒業という目の前の一大イベントは、女子高生を大胆にしてしまうって、この間ハチロクの中で聞いた深夜のラジオで言ってた……それはオレの周りでも同じことだった。
「……シたの?」
「当たり前でしょぉ……それも、クラブハウスで……」
「大胆っ」
「マジでぇ?」
オレ以外の係りの子は、仕入れたばかりの友達の恋愛話で盛り上がっている。
聞いちゃいけないと思っていても、耳に入ってくるそれは昼間からするには随分と過激な話だった。
「あの、さ」
手元のアンケートの束を弄びながら、次第と声の大きくなっている友達に声を掛けた。
「アンケート……今日の分、終わんないよ」
みんながオレを見た。
「大丈夫よ、まだあと集まる日は三回もあるんだしさ」
「毎年このくらいのペースらしいし、最後は先生も手伝ってくれるから何とかなるって!」
友達はずいぶんと楽観的だった。
「そうよ。それより藤原さんも、確かまだあのアンケート出してなかったよね? あたしもだけど」
「え、あ……うん」
アンケートは沢山あった。
一つのアンケートにつき、用紙は一枚。
回答率は質問によってまちまちだったけど、平均したら9割がた提出済みだった。
その中の一つに、「好きな人はいるかいないか」というイエスノー形式の簡単なものがあって、回答率がとても悪かった。友達があのアンケート、といったやつ。
みんなきっと、卒業間際に、自分の恋の結論をつけている最中なんだ。
その証拠に、普段は男の子になんて興味なさそうな子の話がたくさん出てきた。コクったコクられた、振ったくっついた……。



「藤原さんは、好きな人はいないの?」
「え、っ……」
急に話を振られて、オレは声がうわずった。
「えっと……その」
「そうそう、藤原さんどうなのよ!」
「藤原さん、可愛い子アンケで3位になってたじゃない」
「ボーイッシュだけどスタイルいいしさ」
「いつも武内君と一緒だけど、カレシじゃないよね?」
「あ、うん……イツキはただの幼なじみだから……」



好きな人、と言われて。
頭に浮かんだのは、たった一人。ついこの間、涼介さんに紹介されて会ったばかりの人。
「藤原、この人がハチロクの専任のメカニックだ」
涼介さんの後ろにいた、背の高いツナギを着た、優しそうできりっとした人。オレより十近くは年上の、大人の男の人。
「松本修一だ。よろしく、藤原」
「あ、よろしくお願いします……」
その時交わした握手の、手の熱さ。男の人の匂い。優しい声。



「……いる、けど」
気づけばそう答えていた。
友達が一斉に沸き立った。



二人の離れる衣ずれの音を、側を通り過ぎる車のエキゾーストがかき消した。
「……松本さんって、」
「ん?」
俯いたまま訊ねた。
「彼女とか奥さんとか……いらっしゃらないん、ですか……」
コクってキスまでした後で聞くとか、オレってバカで向こう見ずだ。ろくなリサーチもせずに。
松本さんはふ、と笑って、指輪も何もない空っぽの左手をほら、差し出してきた。
「いないよ、そんなの……」
「いないんですか」
ホントに? と、重ねて訊ねた。
「だって、松本さんかっこいいのに……」
「車いじるのに夢中な上に、暇があれば写真を撮りに行くからな。かまってくれる女の人なんていないよ。それに、今プロDの男連中は全員フリーだよ」
涼介さんも啓介さんもね、と少し笑いながら言った台詞に、嘘も偽りもなさそうだった。
「っていうか、普通はそういうのを確認してから告白するもんだろ?」
「……すみません。そうですよね、普通……」
「ま、藤原らしくていいけどな」
――よかった。
いたら、いきなり失恋するところだった。
「藤原、」
オレの顎を、その空っぽの左手がくい、と持ち上げる。
「キス、もっと……しようか……」



触れるキスをまたして、耳元で囁かれた。ここじゃ人目があるから、って。
頷くと、松本さんは少し考えて、どこがいい? と聞いてきた。
「えっと……」
オレは考えた。ここから一番近くて、二人きりになれる場所……。
峠には、ラブホが何軒かある。でもそんなところにこのハチロクで入るのは……ちょっとどころかかなり勇気がいる。最近この車は有名になっちゃってるから、入っていくところをもし見られたら……。
「オレの家、今日オヤジは飲みに行っていませんから……」
ベタな誘い文句だと思った。
でも本当のことだった。明日の朝まで、オヤジは帰ってはこない。
どうですか、と呟くように……誘った。
「いきなり藤原の家とか、いいのかな……」
松本さんが、困ったように微笑んだ。オレは……頷いた。
「じゃあ、……行こうか」



秋名から家までを運転するのに、こんなに緊張したことはなかった。初めてハチロクを運転した中学の時より緊張した。
明かりの消えた無人の自宅はひっそりとしていて、自分の家なのに、入るのにとても勇気が要った。鍵もかかっていない裏口のドアノブにかけた手が、震えていた。
裏の家の犬が鳴いて、ドキッとした。
「こっち、です。照明つかないんで気をつけてください……」
先に立って家に入る。松本さんは何もいわずにカメラを片手に後からついてきた。
狭いたたきのところで、二人の体が触れ合った。
「あ、ごめん」
「いえ」
そのとき、感じた。
松本さんの……おっきくなってる……って。




豆球だけの赤い居間を通り、急な階段を上る。
震える手で、自室の電灯のスイッチを押す。安っぽい照明が、六畳のオレの部屋を明るくした。
人がいきなり来て慌てるほどモノはない部屋だけれど、それでも好きな人が来るってわかってたら、掃除でもして、花でも飾ればよかったかもしれない。
「……結構シンプルな部屋だな」
松本さんが部屋を見渡して言った。
「女の子らしく、ないでしょう?」
イツキは何度も遊びに来ていて、そのたびに「もっと女の子らしい部屋にしろよ」と呆れていた。この部屋じゃ、男か女かわからないと言われ、自分でもその通りだと思ってはいた。けど、装うのは好きじゃなかったしやりかたもわからなかった。
……イツキの言葉を今になって、従っておけばよかったと思う。
「そんなこと……藤原らしいよ」
「あの、その辺に座っててください。お茶でも入れますから……」
部屋を出ようと松本さんの脇をすり抜けようとしたら、腕を捕まれた。
「いいよ、そんなの」
「でも」
「いいって」
引き寄せられ……抱きしめられた。
「まつ、」
「藤原」
松本さんの顔が、目の前にあった。
真剣な顔だった。
「……あ、……」
その顔がゆっくりと近づいてきて、……何度目かの、キスをした。



今日告白しようと思ったのは、友達との昼間の話がきっかけなのは否めない。
煽られたわけじゃないけど……松本さんを好きだと自覚して、ファミレスで顔を見たら、やっぱり好きなんだと思って。
それに、女の子らしい服装……スカートを、制服しか持っていなかったから。
「……ん、……」
入り込んできた松本さんの舌に、どうしたらいいかわからず、自分のものも絡めてみた。
松本さんは片手にカメラを持ったまま、もう片方の手をオレの体に回して、背筋を、お尻を撫でた。
衣ずれの音がして、撫でられたところがぞくぞくする……。オレも、松本さんの体に手を回してみた。作業服の上からでもわかる力強くて逞しい身体は、ふざけあった時に触った男友達や、肩たたきをしたときに触ったオヤジとも違っていて、……なんていうのか……。
「……やばい、」
「えっ」
唇を離した松本さんが、困ったように俯いた。
「もっと自制できるつもりだったのに、……藤原が可愛すぎて……ちょっと、やばいかもしれない」
「……え、あ……」
そんなこといわれるだなんて思ってなくて、オレはなんて答えていいのかがわからず、顔を背けた。
オレの腰に回された松本さんの手が、制服越しに熱く感じられた。密着している身体の、オレのお腹のあたりに、さっき入り口で感じた松本さんの股間の……堅さが……。
「……いいのか?」
耳元で、ささやくような声で尋ねられた。
なにが、と主語はなくてもわかった。
「はい」
オレは頷いた。



思いを受け止めてもらえた、それだけでも満足だった。
卒業ってイベントが、女子高生を大胆にしてしまうっていうのはオレもご多分に漏れてはいなかったらしい。
普段のオレなら、告白とか絶対できなかったし、ましてやこんなシチュエーション……。
男の人とつきあうとか、少し前までは考えたこともなかった。そもそも、自分は女らしくないって開き直ってたし。一人称も、男の子に混じってサッカーやってた時の癖が抜けなくてオレのままだし。
ハチロクとともに走り屋だなんて言われるようになってから、自分の知らない世界を知るようになって、いろんな男の人が目の前に現れはじめて。
バトルのたび、自分が「女」だってことを、否が応でも自覚させられて……。



いわれるがままに、ベッドに横たわった。
その上に松本さんが陰を作った。二人分の重さに耐えるのははじめてのベッドが、ぎしっと軋んだ。
松本さんの肩越しに見た自分の部屋の天井は、見慣れているはずだったのに違う部屋のように見えた。
「……写真」
松本さんが、手にしたカメラを掲げた。レンズの部分が長い、本格的なヤツだ。
「はい、」
「可愛い顔……撮っても、いいかな」
「え、……あ、はい……どうぞ」
躊躇いながらも頷くと、松本さんはファインダーをのぞき込んで、シャッターを押した。
ピピ、って電子音がして、フラッシュが眩しかった。
カメラを脇に置いて、また……キスをした。
「ん、……」
体重をかけてきた松本さんの肩に手を置いた。
男の人の身体って、こんなにも重いんだ。はじめて知った。
「あ……」
唇が離れたと思ったら、セーラーの脇のジッパーを上げられた。潜り込んできた手が背中に回り、ブラの金具を器用にはずされた。
締め付けられていた胸が楽になって、心臓がはねた。
セーラーごと全部捲り上げられる。
裸の胸が、松本さんの前にさらされた。
「……ぁ……」
「綺麗な身体じゃないか、藤原」
「そんな」
ことないです、とかぶりを振る。
他人に見せたことなんてないから、恥ずかしさしかない。
「んんっ…!」
右側に、熱いぬめりが。
松本さんがオレの胸の頂に、むしゃぶりついてきた。
「あ、はっ、」
ちゅうちゅう、音をさせて。
吸われてる……胸を、松本さんに……。

身体全体が、切ないようなじれったいような感覚に侵されていく。エッチな気持ちになったときの感じの、とても濃いヤツだ……。
「んあ……ふ、っ……」
零れる声が自分のじゃない位エッチで、それがまた恥ずかしかった。胸のもう片方を自分でちらりと見たら、先っぽは堅くなって上を向いてた。松本さんが今度はそっちを吸い始める。
「藤原、美味しいよ」
「そんなのっ……」
恥ずかしい……膝を立てて切なさを逃がそうとしたけれど、身体の中にこもったこの感覚はどうしようもなくて。
「可愛くて美味しいおっぱいだ」
「あ、あ、」
松本さんはさっき吸ってた片方を手で優しく揉んでいた。
愛撫……っていうのかなコレ……。



ああ、オレ……エッチなこと……してるんだ。
そのとき初めて自覚した。


――オレ、松本さんと……すごくエッチなことしてるんだ、って……。



初めての経験と感覚は、恥ずかしさと緊張の上にふわふわだったりじりじりだったり、表現しがたい形がいろんな色で混ざりあっていた。
濃縮したエッチな感覚に、頭がどうにかなりそうになる。


松本さんはいつものメカニックの顔から、ゆっくりとけれど確実に……「男」の顔になっていった。











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