卒業文集(前編)



(side:松本)
プロジェクトDが始動して、まだ一週間も経っていない。
二月上旬。本格的な遠征はひと月後、3月になってからだ。
それまでは打ち合わせと、凍結していない道路を選んでの走り込み、ハチロクとFDのチューンアップ。そしてこれから一年を共に戦うメンバー間の絆を深めることに重きを置く、と涼介さんは最初の打ち合わせで宣言した。



「あれ、」
その日、打ち合わせ場所のファミレスに遅れてきた藤原を見て驚いた。
驚くという表現は悪いかもしれない――藤原はただ当たり前の格好をしていただけだ。
「こんばんは、松本さん」
リボンを外したセーラー服姿の藤原が、学生鞄を手にして、ドリンクバーにいるオレに近寄り頭を下げた。
「ああ、こんばんは……」
それまで二三回しか会ってなかった藤原は、その二三回とも、だぼっとしたセーターにジーンズというラフな格好だった。
女の子なのは分かっていた、高校生だとも聞いていた。が、実際セーラー服で現れると、なんだか変な気分になった。
「今日、制服なんだな。今って仮卒じゃなかったのか?」
「そうなんですけど、オレ卒業文集の係りなんで、今日学校行ってたんです」
「あー、なるほど……」
十年近く前の思い出を掘り起こせば、そんなものがあった気がする。何を書いたかはもう忘れてしまったけれど、まだ実家に埃をかぶってあるはずだ。
「皆あっちにいるよ。いつもの場所」
「わかりました」
「ドリンクバーは藤原の分も言ってあるから、何でも……」
顎で、店の一番奥の大人数用のテーブルを示した。既に皆は来ていて、涼介さんを中心に打ち合わせという名の雑談中だ。
藤原は軽く頭を下げて鞄を置きにテーブルへと歩いていった。
その後姿は、当たり前だけれど本当に女子高生で……。
「……女子高生だったんだよな、……アイツ」
確かめるように、口にしてみた。




ハンバーグに雑炊にグラタンにパフェに天ぷらに刺身。
思いついたものをそれぞれが片っ端から頼んだテーブルの上は、随分と変な取り合わせになっていた。
啓介さんが雑炊を掬ったれんげで涼介さんのパフェに手を伸ばし、涼介さんが「アイスに海苔がついた!」と騒いでメンバーから笑いが起こる。
打ち合わせといってもまだ遠征までにはひと月もあって、初対戦の相手とも具体的な話は出来ていないらしく、夕食を共にして近況を報告しあうだけの、まだゆったりとした会だ。
実際に遠征が始まると、きっとピリピリとした空気になり、飯も喉を通らなくなるだろうことは目に見えている。だから今くらいは、ゆったりと食事をして親睦を深めておくのが必要なのだと涼介さん曰く。
「へぇ、文集かぁ」
藤原が今日セーラー服を着た理由の、卒業文集という言葉に史浩さんが懐かしいなぁ、と腕を組んだ。藤原は文集のアンケートコーナーの集計に時間が掛かって、それで遅れたのだという。
オレの隣、テーブルの一番隅で、藤原は「こーんな分厚かったんですよ」と両手でアンケートの束の厚さを作った。クラス文集ではなく、学年文集にしたらしい。
「そういや涼介、お前高校の卒業文集のアンケートで、ほとんど一位だったよな」
「そうだったか?」
史浩さんに振られても、当の涼介さんは何のことだったか忘れているらしく、首を傾げた。二人は同級生だ。
「お前、忘れたのかよォ。総理大臣になりそうな人、カッコいい人、芸能人になりそうな人、長生きしそうな人、億万長者になりそうな人。全部涼介が一位だったじゃねえか、オレなんか『騙されやすそうな人』で一位だったんだぞ?」
どっと笑いが起こった。史浩さんらしい、とオレも藤原も笑った。
「アニキらしいな、一位になったのに忘れてるなんて!」
口の端にクリームをつけたまま、啓介さんが涼介さんの肩を叩く。
「痛いな啓介……で、藤原は何かランキングには入ったのか?」
涼介さんの言葉に、藤原がえっと、とかしこまった。
「……ボーっとしてる人で、一位でした……」
「「やっぱり!」」
啓介さんとケンタが腹を抱えて笑った。藤原は恥ずかしそうに、下を向いて真っ赤になっていた。
「啓介、ケンタ。笑いすぎだ」腹を抱えて笑う二人は、流石に涼介さんに窘められていた。
「じゃあ話題を変えるか。松本」
涼介さんが藤原に助け舟を出し、オレに話が振られた。
「あ、はい」
「例のものを」
ほら、と手を出され、オレは頷いて足下の紙袋を涼介さんに手渡した。
「おっ、新作?」
「待ってました」
啓介さんと宮口が身を乗り出した。
「ええ、まあ」
一応、とオレは言葉を濁した。
下手の横好きの域だと自分ではまだ思っている。人様に見せるようなレベルでもないと思っている。
けれど、涼介さんたちはオレの、車以外のもう一つの趣味――オレの撮影した写真を、妙に気に入ってくれていた。
「松本さんの新作、見せてください」
この間、オレのもう一つの趣味が写真だと知ったばかりの藤原は、興味津々と言った様子だ。
「これは綺麗だな」
「それは、家の近くの神社です。この間雪が積もった日の朝に撮ったんです」
雪の積もった朝、家の近くの神社を撮影した写真が十枚くらい。
手水舎の水が凍っている写真に、史浩さんが「芸術だな」と唸る。褒められるとまだ気恥ずかしく、さっきの藤原の様に下を向きたくなる。
もう一つの束は、夜に撮影した、深深と降る雪の中を疾走する涼介さんのFCの写真。
カーブではなくストレートを選んだ。澄んだ夜の闇の中、雪とFCが異なった白を彩っている。
「すっげ……これカッコいいじゃん!」
「凄いッすね、松本さん」
「車の雑誌に載っててもおかしくないぞ、これは」
皆が口々に誉めそやす。動く車は撮影するのは難しいけれど、車関係の人間だと見せた時の食いつきがいい。
「松本、また引き伸ばしてくれるか、これ」
「わかりました」
これまでにも何度か、涼介さんや啓介さんや史浩さん、レッドサンズのメンバーの車の写真を撮影しては、気に入ってくれたものを引き伸ばしてプレゼントした。
それらはそれぞれの自宅やガレージに飾られていて、オレとしては恥ずかしさ半分と嬉しさ半分だ。啓介さんのFDの写真に至っては、何を間違ったか高橋クリニックの会計コーナーに飾られているらしい。
「すごい……」
藤原が廻ってきたFCの写真の束を手に呟いた。
「写真て、オレ詳しくないですけど……これ、すごいです」
藤原がオレを見上げて、めずらしく微笑んだ。……ちょっと、ドキッとした。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
僅かな動揺を隠し、藤原から受け取った束を、元の紙袋に仕舞う。
「そういやまだ藤原は松本にハチロクを撮ってもらってないな。その内、撮ってもらえよ」
「え、あ……はい」
涼介さんの言葉に、藤原はオレを見て、「その内、お願いします」と頭を下げた。
「いいよ、いつでも言ってくれ。いいものが撮れるかどうかはわからないけどな」




集まりは、散々飲み食いをして解散となった。
本格的な打ち合わせは次回からようやく出来るらしい。
解散の後は自由で、カラオケチームと帰るチームに分かれる。カラオケチームは啓介さんが中心だ。
明日も仕事のあるオレは帰るチームで、史浩さんが会計を済ませている後ろで皆に挨拶をし、一番最初に店を後にした。
「松本さん、」
シルビアのイグニッションを回す直前、カラン、とファミレスのベルが揺れ藤原の声がした。
「藤原?」
オレのシルビアに駆け寄ってきた藤原は、あの、その、と少し迷った様子で、どうした? と訊ねると、もじもじしながらお願いがあるんです、とようやく本題に入った。
「……ハチロクの写真、今日撮ってもらってもいいですか?」
駄目ですか、と重ねて訊ねられた。
店から出てきた啓介さんたちが、おやすみぃ、と元気良く手を振り反対側の駐車場へ消えていく。
手を振り返しながら、オレは急な話に戸惑った。が――愛用のカメラは、お誂え向きに後部座席に載っていた。
「いいよ。藤原が、今日がいいなら」
イグニッションを回すのはやめた。藤原はホッとした顔で、お願いします、と頭を下げた。
シルビアはファミレスの駐車場で留守番をさせ、オレはカメラ片手に藤原のハチロクのナビに座った。




ハチロクは秋名の山へと向かっていた。
秋名なら、どこが撮影するのにいいかを考えながら、オレの視線は運転席の藤原に釘付けになっていた。
藤原のハチロクのナビに座るのは二度目だ。
この前は、まずはご挨拶までにと軽く流した――といっても、藤原の実力の片鱗に驚かされたのだが――。
あの時は、藤原はラフな格好で、走りもとりあえずのデータを取るためのもので、オレはノートパソコンを開いて膝に置いていて。
横Gとノートパソコンと、藤原の予想以上の突っ込みのクレイジーさに、そこまで考える余地はなかったのだけれど……。
今夜の藤原はセーラー服だ。
このごろの子はみんなそうだけれど、真冬なのにやたら短いスカート。
そこから伸びる、長くて白い脚がまだ幼さを残していること。ルーズソックスとローファー。
リボンを外したセーラーの、胸の辺りの発育の良さ。
……知らずに鼓動が早くなっている。冗談抜きで。
車の中という、ここは密室だ。

ちょっと、ヤバイかもしれないな……これは……。

膝の上のカメラを握るオレの手に、僅かに汗が滲んできた。喉が渇いてきた。
男の本能が刺激されているのがわかる。
女子高生と密室、という単純な構図。どこか、コンビニで飲み物でも買って、気持ちをクールダウンさせたい――と思っていた時。

「……今日、なんですけど」
「うん?」
ファミレスを出て、ずっと会話がなかった。やっと、藤原が口を開いた。

「アンケート、一杯あったんです。それこそ、総理大臣になりそうな人、とか。お金持ちになりそうな人、とか」
「ああ、そういうの……オレの時もあったよ」
オレはね、と言いかけたが、藤原が遮った。
「自分でいうのも何なんですけど、……可愛い子って項目で……、一応、学年で三位だったんです、オレ」
「へぇ。凄いじゃないか。確かにボーっとしてるけど、藤原は可愛いと思うよ。いやみなところはないしね」
藤原は、ありがとうございますというと、前を向いたまま唇をぎゅっと噛んだ。
「あと、……好きな人はいますかっていう項目があって……イエスかノーかなんですけど……」
「うん……」
ああ、よくある質問だ、と思った。
「……オレ、その質問のだけまだ出してなくて、今日出したんです……それで、イエスに、マル、……したんです……」
「…………」
オレは――次の言葉を失った。



……それ、って……。


ハチロクは峠に差し掛かり、スピードを保ったまま坂を上った。
対向車のライトがハイビームのままで、すれ違いざまに藤原の顔を照らした。
泣きそうな顔になっていた。



待避所に、ハチロクが停まった。
「……すみません、あの……」
サイドをギッと引き、ライトを消し、藤原が俯いた。
「藤原、」
オレは藤原の肩に手を置いた。
ここまでされて、気付かないだとかわからないだとか言う男はよっぽどの馬鹿だ。


「松本さんのこと……好き、です」


震える声が、狭い密室の空気を震わせ、オレの予想を綺麗になぞった。

オレの心臓が跳ねた。跳ねたその瞬間は、とても長く……感じられた。

待避所のハチロクの脇を通り過ぎる車が何台かあった。そのたびにライトが、オレたちを照らした。
「今日、……その、文集の係りの子は皆女の子で、仲のいい子ばっかりなんですけど、なんか打ち明け話みたいになっちゃって……」
「ああ」
短いスカートをぎゅっと握り、藤原はいつもよりか細い、震える声だった。
「アンケート出してないって言ったら、藤原さんには好きな人いるのかって訊かれて……頭に、松本さんのことが浮かんで……」
「……うん」
「まだ二回か三回しか会ってないのに、松本さんが浮かんで……松本さんしか浮かばなかったんです。初めて会った日から、気になってて……それで、いるって言って、イエスにマルして……」
藤原が、オレを見た。
目が潤んでいた。
「すみません、……プロDが終わるまで言わないでおこうって思ったのに、今日松本さんと会ったら、……やっぱり言いたくなっちゃって……」
まだ、始まってもいないのに。と藤原はごめんなさい、と謝った。
「なんで謝るんだよ」


可愛い、と思った。いじらしいと思った。
やっぱりまだ十八の、まだ幼さの残る子だと……思った。

オレはシートベルトを外した。
手を伸ばし、目の前で一世一代の告白をした藤原のベルトを外した。
「松本さ……」
「藤原、目、瞑って」
言うと、藤原が目を瞑った。


唇が触れ合った。











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