海辺の町
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何時好きになったのかと聞かれたら、知らない間と答えるしかない。
拓海がゆっくりと育んできた、涼介に対する気持ち。
それは涼介も同じことだった。
種を蒔いて水をやり、若い芽が出て双葉が開いて。
知らぬ間に蕾が形作られ、あ、と思ったら、もう色づいていて。
花は、漸く開いた。
汗をかいた涼介の身体にしがみ付いた拓海は、まだ荒い息を整えながら、窓の外で日が暮れていくのを感じていた。
二度、三度と求め合って、身体はだるくて重たかった。
けれど、心は溢れかえるほど満たされていた。
「……藤原」
大きな白い手が、拓海の髪を撫でた。その声はすっかりと掠れていた。
「涼介、さん、」
顔を上げると、優しく笑む涼介と目が合った。黒い前髪が汗で、額に張り付いていた。
「キス、しようか」
言われて、拓海は頷いて目を閉じた。
触れ合った唇。
今までキスは何度もしていたが、こんなに心が熱くなるキスは、初めてだった。
涼介の手が、拓海の身体の中心に伸ばされた。
背筋がゾクゾクする感覚に、拓海は目をぎゅ、っと瞑った。
大好きだ、ということ。
最初は心配と尊敬と、混乱と、色んな思いの混ざったスタートだった。身体の関係は、成り行きといってもいい。
けれど今は違う――好き合って、ここにいる。
夜の帳が降りた。
散々求め合ったけれど、空腹には勝てなかった。
いつもより遅い夕食の時間、買って来た少し贅沢な惣菜を突付いた。
三年間、毎日の様に向かい合って食事をしてきたが、こんなに気恥ずかしい夕食は拓海にとって初めてだった。
好きな人なのだと思うと、途端に心がざわついて落ち着かなくなる。
目の前に居る涼介の顔を、まともに見れないのだ。
「どうしたんだよ、藤原」
「え、っ」
「なんだかソワソワしてる」
「……それは、だって……」
涼介さんが好きだから、と言いかけて、拓海は俯いてしまった。
「顔、真っ赤だぜ」
サラダのトマトを咥えたまま、涼介が目を細めて笑った。
その笑顔がまたとても男前で、拓海はちらりと目を上げて見て、顔を更に赤くした。
夜の海は静寂ではないが静かだ。
明日の準備をする漁師の姿や、散歩をする誰かの姿。揺らぐ波。安っぽい街灯が照らし出すそれらを、海の音が彩る。犬が吼えている。町でたった一つのスナックからはカラオケでもやっているのか、歌い声と笑い声。
漁協の駐車場では高校生達が自転車を停めてふざけあっていた。
二階の部屋の窓から見下ろす、この町の何気ない夜の風景に涼介は目を細めた。
三年も居れば、この町のこんな夜はもう当たり前で――潮の匂いも波の音も笑い声も犬の鳴き声も、涼介の心を安らがせた。
(――良かった……藤原も同じ気持ちで居てくれた……)
薄汚れた窓ガラスに突いた手は冷たかった。その手をぎゅっと握り、涼介は安堵のため息をついた。
言おうか言うまいか、随分と悩んでいた言葉だった。
自分のことは好きか、と。
好きじゃない、嫌いだといわれたらどうしようと思っていた。
ここに居るのは自分の意思ではないといわれたらどうしようと思っていた。
こんなことは好んでやっているんじゃないといわれたら……。
拓海に気持ちを聞くに当たって、不安は尽きなかった。
聞こうと思った動機は、割と単純で……ある日、いつもの様に拓海から求められて抱いて、ふと思ったのだ。
拓海は確かに自分を求めてはくれるけれど、それは心の底からの衝動ではないのではないか、と。
疑問が不安に変わったとき、拓海への想いを確信した。拓海を好きだ、と。
確かに、最初は酔った勢いで押し倒して関係を持ちはしたけれど。
消去法で選んだ、逃避行の相手ではあったけれど――今は好きな相手だ、と思った。
目を閉じれば、喘ぐ拓海の顔が浮かぶ。涼介さん、と、余裕のない顔で自分を呼び、求めてくる拓海の顔が。
その拓海は今、下で風呂を使っている。水音が、桶を置く音がする。
(堪らないな……好きだと思うと……)
湯を使った拓海が上がってきたら、抱こうと思っていた。
涼介が求めれば、拓海はきっと抵抗しないだろう。
昼の延長で、明日の朝が心配になるほど乱れ、涼介を満足させるだろう。
(しかし……明らかにしないほうが良かったかもしれないな……)
そう。
互いに好きだということは、強く結びつき合っているということ。
つまり、この結びつきが解けるのが、何よりも恐いのだ。
(アイツを……失いたくない……)
そう思った瞬間、涼介ははっとした。
そうだ。
涼介は逃げてきたのだ。
今まで築き上げてきた、何もかもから。
そして心のままに、好きに生きると決めて、ここにいる。
そのための「道具」として選んだのが拓海だ。松本は駄目だったから。
その「道具」であったはずの拓海を、失いたくない「存在」にしてしまった。自分で。
それは涼介にとって、失策といって過言ではなかった。
(くそっ……オレとしたことが……)
唇を噛んだが、気持ちは抑え切れなかった。寧ろ、増大しているといってもいい。
階段を上がる音がする。ぺた、ぺたとくたびれた足音。仕事がきつかった夜、拓海は良くこんな歩き方で階段を登るのだ。
「りょーすけさん」
後ろから声をかけられた。カーテンを閉めながら振り返ると、パジャマ姿で頭にタオルを乗せた拓海が茹った顔をして笑っていた。
「お風呂、どうぞ」
「……ああ」
「ちょっと熱めにしましたから。もう、冷えますしね」
今夜は早く寝ましょう、という拓海の提案は、2秒後にはなかったことにされた。
「あ、っ……嫌だ、こんな……格好……ッ」
灯りを消した部屋で、布団も敷かずに拓海は涼介に組み敷かれていた。
きれいにした身体はまた汚された。
涼介の舌が這い回る。
恥ずかしい格好をさせられた拓海は、カーペットに顔を押し付け喘いだ。
「じっと、して……藤原」
優しくしたいんだ、と涼介は言い訳を口にした。
言葉とは裏腹に、その手は、舌は、ちっとも優しくはなかった。
「あああっ……!」
手で広げられた箇所は、昼間の精をまだ僅かに湛えていた。
そこへ涼介の舌が捻じ込まれる。
「いや、涼介さん、や……だ……」
(なんか、涼介さん……凄い……激しい……どうしてだろ……)
昼間とは違う涼介の荒々しさに、拓海は虚ろになっていく頭の片隅で、当惑した。
さっきはあんなに優しかったのに。
「ひっ……!」
涼介の爪が、乱暴に鈴口を引っかいた。もう片方は、激しく拓海の中をかき回している。
「藤原、イけよ……っ! ほら、イけ……」
「んんっ……、だ……駄目……ッ、指、そんな……あ、二本もッ……入れないで……!」
「二本じゃない……三本だ。もっと、奥がいいか? なぁ、藤原っ」
激しい水音を立てる拓海の中――波で遊んだ時の音のようだ、と涼介は拓海の中を指でかき回しながら、小さく笑んだ。
ある一点を、涼介の指先が掠めた。
「んはぁぁぁっ――!!!……」
拓海が仰け反り、白濁をしぶいた。
道具が、離したくない相手になった。
それが失策なら、失策でいい。
新しい策を練るまでだ。
離したくない相手を、ずっと手元に留めておくまで。
心のままに生きて、離したくない相手は手元にいる。
これは、もしかしなくとも至上の幸福ではないだろうか――意識を手放した拓海に突っ込んで揺さぶりながら、涼介は僅かに狂い始めたことを自覚した。
当初の計画と、自分自身が。
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