海辺の町





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秋晴れの空を拝むにはまだ早い時間だ。
海の側に住み、海を暮らしの糧にするこの町は、漁がある日は夜が明ける前から賑やかだ。
漁港には船のエンジン音が鳴り、漁協の競り場は威勢のいい声が飛び交う。
トラックやフォークリフトが荷揚げされた魚介類をせわしなく運び、一仕事を終えた漁師達はその日の浜値に一喜一憂する。


「藤原君、これ頼むよ!」
「あ、はい」
短い休憩から戻ると直ぐ、送り状の束を上司から渡された。
枚数と行き先を一通り確認し、拓海はアイドリング中のトラックに乗り込んだ。荷物はすでに満載で、山を越えた工業地帯にある食品加工場やスーパーへ、さっき競られたものを卸していくことになっている。
セルを回す前、ちらりと見たのは漁協の向かいにある自分の住む家。
涼介が寝ている。
明かりはまだ灯っていない。


「……」
漁協の仕事がある日は、毎朝拓海の方が先に起きる。
寝ている涼介を起こさぬように家を出るのだ。
(最近、涼介さん……)
あの日、お互いが好きだと告白しあってから。
(なんか激しいんだよなー)
拓海は自分の腰を軽くさすった。
夕べ散々涼介に揺さぶられ、背中から腰に掛けてが重だるかった。これまでにも肉体関係はあったけれど、お互いが好きあっていると自覚してからというもの、涼介はしょっちゅう拓海を求めてきた。
食事の支度をしていれば後ろから抱きしめてくるし、一緒に風呂に入りたがる。入ればもちろん、なにもないと言うわけにも行かない。洗濯物を畳んでいてもすぐ身体に触れてくる。
(仕事に差し支えそう……)
昨夜も激しかった。
自分の上で切ない顔で藤原、とかすれた声で呼んでいた涼介を思いだし、拓海の顔がぱっと赤くなった。
「……そーゆーのは後だ……仕事仕事っ」
慌ててセルを回し、ハンドルを握った。


夕方、子供達がくるまでの間は涼介一人だ。
教室である離れで、今日使う教材の整理をしながら、涼介はふと思い出したことがあった。
――そうだ……。
長机にテキストを広げたまま、居宅の二階寝室へと入った。
昨日の名残をとどめている部屋はまだ饐えた匂いが残っていて、シーツが皺だらけのままだった。散々啼かせた拓海の痴態を思い出すと、涼介はふと笑った。
(可愛いくて仕方ない……同じ男同士だっていうのに……)
好きだと自覚してからというものの、拓海のことが可愛くて仕方なかった。ずっと触れていたくて、拓海についつい手を出してしまう。
(アイツが可愛い……ずっと一緒に居たい。だから……)
二人の着替えが入っている箪笥の一番下、その一番奥。
涼介の預金通帳などが入っているスペースの奥に、小さな箱があった。取り出して開くと、古びた紙袋が。

紙袋の中身をざらざらとカーペットの上にぶちまける。

大量の薬だった。

「これは、もう……必要ないな……俺には」
涼介は一人ごちた。
あの日、拓海とこの町に来た時の涼介には、この大量の薬は確かに必要だった。


海辺の町で暫く好きなように生きて、それに飽きたら自殺する。当初の涼介の「計画」だった。


この薬はその自殺のために用意したものだ。

この町を拓海が選んだ日、涼介はいつか自死することを願っていた。
それまでの日、残りの日々暫くを共にする相方として、消去法で選んだのが拓海だったというだけ。
けれどもう、この薬はいらない。
生ではなく死へと向かうための薬など。
「オレには藤原がいる……だから、オレは……死なない……」
もっと生きたい。
今、涼介はそう思っていた。
拓海が好きで好きでたまらない……おかしくなりそうなくらいだった。


この小さな町での暮らしは楽しいし、満たされている。
心の底から、そう思えた。
大病院の跡取として生きることしか赦されず気詰まりだったことも、赤城の白い彗星だなんて呼ばれていた過去も、ここでは関係ない。
子供たちは純粋に自分を慕ってくれる。
町の人たちは何も言わずに自分たちを受け入れてくれる。
傍には、拓海がいる。


涼介は薬を紙袋へと戻した。
そしてその紙袋は、台所の隅のゴミ箱に捨てた。


「ただいま」
捨てたタイミングで、玄関から拓海の声がした。

「早かったな」
「はい、今日は早番ですから。あ、郵便届いてました」
「ああ」
涼介が玄関に向かうと、拓海が郵便物を下駄箱の上に置き、靴を脱いでいた。
「藤原」
「はい……」
涼介は拓海に近寄り、耳元で、ごそごそと囁いた。
「え、でも…子供達が」
拓海が俯いた。
「まだ時間はたっぷりあるさ。一番早い子でも2時間後だ。一時間もあれば……」
「……わ、わかり、ました」
頬を赤らめ、拓海は慌てて階段を上った。


――先に行って、部屋でオナニーして待っていてくれるか?

と、涼介は言ったのだ。


階段を登る拓海を見送ると、下駄箱の上に置かれた郵便物を手に取った。
町の郵便局から廃品回収のお知らせ、公民館から秋祭りのお知らせ……。
そして、茶色い封筒。
この家の持ち主である不動産屋からのものだった。
大学時代から付き合いのある人が経営する不動産屋で、FCもそこに預けてある。
封筒を開くと、毎月振り込んでいる家賃の領収証が同封されていて、それに小さなメモと新聞の切抜きが挟んであった。


メモと新聞の切り抜きに、涼介は驚いた。


「……そ……んな……」


『拝啓 高橋涼介様 突然ですが、先日、御父様が亡くなりました。不慮の事故でした。現在捜査が進んでいますが難航しております様子ですので、一度ご実家へ連絡することをお勧めいたします  ××不動産 』

新聞の切り抜きは、不動産屋のメモの内容の通りだった。
高崎市の高橋クリニックの院長、深夜にクリニック前の国道で轢き逃げされ死亡――という、小さいが衝撃的な記事だった。







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