海辺の町

4

あの日見た、この海辺の町の美しさと、涼介の笑顔はまるで芸術作品のようだった。
――あれからもう三年か……。
カーペットに仰向けに寝転んだまま、拓海は小さくため息をついた。長かったようで、あっという間の三年だった。
窓の外からは、波音がする。
ここに来て三年、すっかり耳に馴染んだ音だ。


十時になると塾は終わり、離れの灯りは消える。子供達は帰宅し、拓海と涼介の遅い夕食の時間だ。
居間のテレビからはニュースが流れ、二人が向かい合うローテーブルには、ご近所からの頂き物の干物や煮物が所狭しと並んでいた。
この町の人はみな親切だった。漁師町だから少々口は悪いが、悪気もない。女は皆肝が座っていて、男達は酒が大好きで、海を相手にする仕事に誇りを持っている。そして自称“兄弟”の二人っきりの暮らしを何かと案じてくれる。
この家の小さな冷蔵庫には頂き物のおかずがいつも何かしらあった。
「そういえば藤原、漁協からハガキが来ていたが、何だったんだ?」
先に食事を終えた拓海がご馳走様を言うと、まだ食事の終わらない涼介が尋ねてきた。
「アレ、定期の満期のお知らせですよ。三年満期にしてたんです。ほら、ここに来てすぐに預けた十万ですよ」
「ああ……アレか」
「三年、経ったんですよ」
拓海はぽつりと呟いた。
「三年か……」
涼介も呟き、箸を静かに置いた。
その顔は、三年前に比べると血色もよくなり、削げていた頬も幾分かふっくらした。同性でも見惚れる、芸能人のような容姿は相変わらずだが、最近塾で子供を教える時は眼鏡を掛ける様になった。
「早いですね、三年って」
拓海は小さく笑った。
「ああ、そうだな」
涼介も笑った。



たかが三年、されど三年。



涼介と暮らした三年は、長かったようで短かった。三年の間、拓海は涼介と『母親が違う兄弟』とこの町では自分を偽り、そしてただの一度も知り合いや肉親に連絡を取ったことはなかった。それは涼介も同じだ。
元々持っていた携帯電話は、この町に来てすぐに二人とも捨ててしまった。今は全く別の番号の、新しい携帯電話を使っている。
辞めた仕事のこと、残してきた父親のこと、付き合っていた女性のこと。途中で諦めたレーサーへの夢のこと。今でも未練があるのか、思い出すとツキン、と胸が痛む。
啓介のこと。史浩やケンタ、松本、宮口。イツキや池谷や健二、 立花、これまでバトルをしてきた沢山の人たち。同級生や、親類や、世話になった上司や同僚。全く思い出さない日はない。毎日、誰かのことを思い出しては自責の念に駆られる。
涼介のため、といってこの町に涼介と共にやって来た。自分は逃げたわけではなく、涼介のお目付け役なのだと自分に言い聞かせて。
けれど実際はどうだろう――自分だって涼介と同じように、色んなものから逃げているのだ。
連絡を取る機会は無限にあったのに、誰とも連絡を取らずに偽りの生活をしている。三年経って、涼介もすっかり落ち着いているというのに。



拓海は台所で食器を洗っていた。水が冷たい。もう秋もすっかり深まって来たのだから当たり前だ。そろそろガス給湯器を使う季節だ。 風呂でも沸かそうかと思っていたら、ニュースを見ていたはずの涼介がいつの間にか後ろに立っていた。
「藤原、」
「はい」
呼ばれて振り返ると、二人しか居ない家なのに、涼介が耳元で囁いた。
「――今日はいいな? 明日、休みだろ?」
艶のある低い声に、拓海の中の性的な部分が刺激され、思わず手にしていた皿を取り落としそうになった。
何がいいのか、改めて尋ねるまでもない。
「はい……いいです」
返事をしながら、拓海は己の頬が赤く染まるのを感じた。



涼介と初めて身体を重ねたのは、ここに来てひと月目のことだ。
涼介の塾の、まだたった一人だった生徒が、テストを片手に『学年で一人だけ百点を取れた』、と嬉しそうに報告に来た日の夜だ。
涼介は初めての生徒の快挙に大いに喜び、酒屋で缶ビールを買った。その夜、二人はささやかな祝杯をあげた。
それはお互い、この町に来て初めて飲んだ酒だった。
最後に飲んだ酒は、あの飲み会だ。
その夜の涼介はいつもより饒舌だった。
久々の酒と嬉しい出来事にたかが缶ビール一本で二人ともすっかり酔って、行儀悪く居間のカーペットに並んで寝転がっていた。
気付けば、涼介が拓海の上に覆いかぶさり、影を作っていた。
藤原、いいか? と、やはり艶のある低い声で尋ねられた。
拓海は男との経験など、当たり前だがその時まで全くなかった。
一瞬断ろうかと思ったが、涼介のことを思うと、拒むことは出来なかった。拒んでもし、涼介がどうにかなってしまったら、と思うと、頷くより他はなかった。
はい、と頷くと、涼介が唇を重ねてきた。長い指が、拓海のシャツの裾から入り込んで脇腹を撫でた。
それからだ。
拓海と涼介がセックスをするようになったのは。



二階の六畳の寝室には、背の低い箪笥が二棹あるだけだった。
飾り気のないこの部屋で、いつもなら少し離して敷く二組の布団を、この時は一組だけ敷く。
無言で布団を延べる拓海の後ろで、涼介はカーテンの隙間から外を眺めていた。
海に浮かぶ一文字に、釣り人が数人、夜釣りを楽しんでいる。灯台の明かりが波間を優しく照らしている。
「涼介さん」
拓海が布団の準備を終え、声を掛ける。
涼介は振り返り、布団に膝立ちになっている拓海に後ろから覆い被さり、そのまま整えられたばかりの布団に崩れ落ちた。



涼介は貪るように拓海の唇を奪い、舌を入れ絡ませた。拓海も必死にそれに応じる。最初は涼介にされるがままで、抱かれても痛みと違和感しかなかった拓海も、三年も経てば悦びも覚え、キスだけで下半身は反応するし、涼介を煽る淫らさも身につけた。
拓海の裸足の踵がシーツを擦りもどかしさを訴え、涼介の頭を掻き抱く手が、もっと深く、と涼介を求めている。密着した二人の間で、互いの股間はすっかり勃起して、デニムの中で窮屈そうに出番を待つ。
「っ、ん……」唇が離れ、拓海が切なげな吐息を漏らす。
「りょうす、け、さん」
潤んだ瞳で涼介を見つめる。そうすると涼介が興奮することを、拓海はよく知っているからだ。今でこそこんな駆け引きも出来るが、最初は、幾ら涼介を尊敬していてかっこいいと思っていたとはいえ、同性に肌を触れられ、性器を晒すことには抵抗があった。求められても、歯を食いしばって耐えていた。
けれど、こんな生活では性のはけ口も、頼れるのもお互いしか居ないことはよく分かっていた。家の外に身体を重ねる相手を作れば、この生活の崩壊に繋がると容易に想像できたからだ。だから、拓海は何とか慣れようと務め、その甘美な味を覚えた。一度覚えてしまえばそれは病みつきになる程で、時には涼介が苦笑いするほど乱れた。



衣服を全て脱ぎ、互いの性器を愛撫しあいながらキスを交わす。涼介の長い指が、拓海の硬くなった性器をじれったいほどの優しさで扱く。時折、その奥の双柔にも触れる。拓海も負けじと、涼介の性器を、自分がされたいと思う強さで扱く。
「ぁあ、……っ、すげ……気持ちい、っ」
眉根を寄せ、拓海が泣きそうな声を上げた。その痴態に、涼介は目を細める。
「藤原、っ」
「りょ、すけさん、」
キスの合間に喘ぎ、互いの名を呼ぶ。思い出したようにまだ唇を重ね、舌で歯列をなぞる。
お互いの手はお互いの先走りでもうすっかりべとついて、生臭い性の匂いが部屋中に立ち込めている。どこか海のような、逃れたいけれど逃れられない懐かしい匂い。
自分の手の中にあるコレがもうじき自分の中に入ってくるのだと思うと、拓海の後孔は知らずの内に蜜を湛える。
「一度、出すか? 藤原」
涼介の手の中で、拓海の性器はもうはじけそうなほど硬く赤くなっていた。限界は近い。拓海の手の中の涼介も同じだ。
「や、です」尋ねられ、拓海は首を横に振った。
その言葉に頷いて、枕元の避妊具に手を伸ばそうとした涼介を、拓海の手が制した。
「それ、いりません――」
だから、はやく。
拓海に潤んだ目で見つめられ縋られることに、涼介は弱かった。避妊具をつける、僅かな時間が待てないのだ。
「仕方ないな、藤原は」
涼介はふっと笑うと、拓海の身体を裏返し、避妊具の横の潤滑ジェルのボトルを手に取った。柔らかなカーブを描く、きゅっと締まった尻の谷間へと逆さにしたボトルの中身を垂らしていく。
「ぁあ……っ、つめた……」
枕に顔を埋め、垂らされたジェルの冷たさに拓海の体が反応する。
その冷たさと尻の谷間を割って、熱を帯びた涼介のペニスが侵入してくる。
「んんああぁぁぁっ……!!」
待ち焦がれてやっと与えられた感覚に、拓海は悲鳴にも似た声を上げる。
「ふじわ、ら、動くぞ……」
後頭部から聞こえる涼介の余裕のない声に、拓海は返事をする代わりに、きゅ、と後孔を締めた。
backnext